ロシア軍によるウクライナ侵攻開始から24日で1カ月となる。旧ソ連時代から何度かロシアを訪問しているノンフィクション作家の保阪正康さん(82)に、プーチン大統領が侵攻にこだわる意味やロシア国民の今、日本がどう向き合うべきかについて聞いた。(聞き手・小松田健一)
◆20世紀型戦争
21世紀に20世紀型の戦争があるとは思わなかった。典型的な帝国主義的侵略戦争が公然と行われたことに驚いた。ウクライナ侵攻は、プーチン大統領が「大ソ連帝国」を忘れがたく、それを再興しようとしているのだと思う。
プーチン氏が意識する指導者は、ゴルバチョフ氏ではなくスターリンなのだなと感じた。ゴルバチョフ氏は旧ソ連の政治システムを西洋型、つまりいろいろな国と共存する方向に持っていった。それに対して、共存ではなく君臨したいのがプーチン氏。それはとりもなおさずスターリンのやり方だというのが率直な感想だ。
スターリン 旧ソ連共産党の指導者。1878年生まれ。1922年に共産党書記長となり、24年のレーニン死後に権力を握ると多くの古参党員を投獄、処刑する大粛清を行い、独裁体制を築いた。53年3月没
プーチン氏はKGB(国家保安委員会)出身。私は1990年から94年にかけて旧ソ連とその後に成立したロシアを10回ほど訪ねている。91年の旧ソ連崩壊で財政が破綻して年金も払えなくなったときに、KGB退職者に会って話を聞いた。
彼らに共通していたのは、自分たちが国家を支えているという強い意識。KGB職員は自分がなりたくてなるのではなく、国が能力や実行力などを評価してピックアップするので、エリート意識が強い。彼らはウクライナやベラルーシなど、旧ソ連の構成国を独立国とは思っていない。
KGB(国家保安委員会) 旧ソ連の組織。1954年に発足し、国内外での諜報活動や反体制派の取り締まり、国家機関・軍の監視、国境警備などを任務とした。1991年のソ連崩壊とともに解体された。
プーチン氏の意識も同じで、それこそ大ソ連帝国の復活だと思う。
今回驚いたのは、プーチン氏からウクライナは自分たちのものだという言葉が出てきたことだ。ウクライナは大ソ連帝国の一角であって、そこには自主性も主体性もない。われわれの安全のために存在し、背くことは許されないと公然と言い、それを軍事で実証しようとしている。
◆満州国とウクライナ
プーチン氏のやり方を見ていると、かつての日本が自分たちの権益を守るため満州国を「生命線」と言ったのと重なる部分がある。ロシアはウクライナの親ロシア勢力を「独立」させて条約を結び、それを認めさせる名目で軍を出した。これは日本が満州国をつくったようなやり方。日本はその後、国際連盟を脱退して完全に孤立していく。今のロシアも孤立している。
満州国 1931年の満州事変で旧日本軍が中国東北部を占領後、翌32年に建国した傀儡国家。清朝最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀を皇帝に据え、東アジア諸民族が融和、協調する「五族協和」をスローガンに掲げたが、政府の主要ポストに日本人が就くなど、政治・軍事面とも日本の強い影響力下にあった。45年8月の日本敗戦で崩壊した。
私が会った旧日本軍人の佐官クラスだった人たちは強烈なエリート意識を持っていた。その1つに、自分たちに誤りはないという歴史観がある。自分たちがやっていることが価値基準の中心にあることに対する誇りだ。プーチン氏を見ることで、かつての日本軍の専横、独善を感じ取らざるを得ない。
一方で、日本が中国へ出て行った1930年代は軍人が密室で好きなようにやった。情報は公開されなかった。今は情報が世界に流れるわけだから、やっぱりあの時代とは異なるのだなという気がする。
◆上からの改革
ロシアは30年前、ゴルバチョフ氏が指導者だった時代に大きく体質を変えた。共産主義を古い思想とし、20世紀の矛盾は20世紀中に解決するというゴルバチョフ氏の意思があった。しかし、その解決があいまいだった。そのために起きている揺り戻しを徹底的に批判しなければ、1990年代の新しいロシアが意味を持たなくなる。
旧ソ連の崩壊は、市民の側から解体したのではなく、ゴルバチョフ氏ら当時民主派といわれた人が上から変えていった。しかし、改革するには、国民が改革の意識を持つことが基本。ロシアにはそれがなかった。新しい体制で社会主義の共有財産が私物化され、富の偏在が起きた。それにプーチン氏が支えられている。
◆公然と反戦デモ
一方で、ロシアという国が20世紀とは違う点もある。
スターリン時代の旧ソ連国民は「人民」「労働者階級」という名でくくられるだけの受け身の存在でしかなかったが、崩壊後の30年間で民主化の波が入った。だから公然と反戦デモをやる。権力に対して自立する市民意識があると思った。プーチン氏はスターリンであろうと、国民はスターリン時代なんかとうに超えて西洋型の市民社会に近づいている。
プーチン氏がやっていることは権力の私物化で、独裁政権が歩む道を進んでいる。民主主義の概念を持っていない。そのような指導者を国民が見抜き、変えなければいけない。
ロシアの人びとの反戦意識が広まることで、市民革命が起きるのではないかと思っている。つまり「われわれにはこの戦争に何の義務もない。もういい、自由がほしい」と。それが市民革命が起きるかどうかの1つの鍵だ。革命という言葉が強すぎるなら、市民的意識が求める改革。現在は、その方向に向かっていると思う。
その一例が、政府系テレビ局の女性職員が生放送中に反戦プラカードを掲げたことだ。裁く側が世論を見ながら考えているだろうが、もしあの女性が孤立していたら、拷問でひどい目に遭ったかもしれないところ、今のところ罰金刑で済んでいる。彼女が言ったことで重要なのは「権力の言うとおりに行動してきた自分を恥じる」。その意識が市民革命の出発点になる。
◆核抑止力
第2次世界大戦後に世界戦争が起きなかったのは、核抑止力が最大の理由だったと言われている。しかし、核が本当に抑止力だったのかは、あらためて問わなければいけない。プーチン氏は核を使うかもしれない。ひとたび使ったらどうなるかはいまだに分からない。核の限定的使用などあり得るのかという懸念が、プーチン氏の言動からは生じる。
私たちは核を抑止力と考え、危険な綱渡りのような時代をずっと過ごしてきた。21世紀は核におびえる世紀になるのではないか。核のボタンを持つ指導者の資質がいかに大切かが分かる。
こうした問題が起きたときに核保有や憲法改正をすぐに叫ぶ人は、問題の本質が見えていない。まず、ロシアのウクライナ侵攻の本質は何か、きちんと分析、精査することが必要だ。そして戦争をやめさせる方向に動くのが筋。核保有や憲法改正は1番目、2番目に論じることではない。
精査することなく「核を議論することのどこが悪いのか」という主張は、拙速すぎると思う。どの国の指導者も国民も、戦争を止めるために何ができるか考える。そのときに「核を持つ」と言うのは、問題のとらえ方が本質から離れている。(談)
ほさか・まさやす 1939年、札幌市生まれ、ノンフィクション作家。同志社大卒。「昭和陸軍の研究」「あの戦争は何だったのか」「昭和天皇」など、近現代史に関する著書を精力的に執筆。昨年1月に死去した作家の半藤一利さんとは生前の親交が深く、対談や共著も多数。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます