★結局、国際化、多様性、共生社会と政府が掲げたところで、政権中枢にLGBTを理解せず、嫌悪をもって受け止めている人たちが多くいれば、絵空事だと国民は思う。今回の秘書官の発言に口に出さないまでも賛同する人もいるだろう。人の価値観を変えることに尽力してきた多くの人たちには徒労感もあっただろう。だが今回の発言に多くの国民が不快感を持ったことも事実。首相・岸田文雄の言う「社会の空気」は秘書官や岸田の価値観をマイノリティーと受け止めたことで社会が政治より先んじていることを感じる。
★立憲民主党・国対委員長・安住淳が言う「失われた10年政策検証プロジェクトチーム」の「子ども、子育て政策や、戸別所得補償など、我々の打ち上げた政策はいっぱいある。自民党につぶされたが、実はやっていたらどうだったのかもう1回検証したい」が有効だとは思わないが、09年に民主党政権が掲げた「新しい公共」は大きな意味があったと想う。いわゆる「官」に任せるのではなく人を支えるという役割、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域で関わっている人たちの参加が社会全体を変え、社会全体で支えるという考え方は11年の東日本大震災の時、国民の気持ちを大きく変えたのではないか。
★国民ひとりひとり、地域コミュニティー、ボランティア、企業、学校などさまざまな主体が支え合い役に立ち合うことを知り、NPO法人はそれまで玉石混交と思われていたが、彼らがボランティアをまとめたことで、官や政ではない取り組みが可能であることを知った。社会的責任(CSR)の意識の高まりは企業以外にも影響を及ぼした。LGBTも法律は自民党の反対で成立しないが、多様社会を支えるという意味では見えない意識改革は新しい公共によるところが大きい。そのあと自民党は「日本を取り戻す」と民主党政権の政策はすべてダメと烙印(らくいん)を押したが、官を目の敵にしたからだろう。しかしその芽は見事に社会を作ったといえまいか。(K)※敬称略
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