安倍元首相銃撃事件の発生から9カ月後、岸田首相をめがけて爆発物が投げ込まれた。現職首相を狙った木村隆二容疑者(24)は黙秘を続け、動機は判然としないものの、両事件の共通点は「生きづらさ」だという。戦前のテロ事件や、近年の無差別殺傷事件の背景などに迫った著書でも知られる政治学者の指摘だ。いまの社会状況は1920年代に似ているとも警鐘を鳴らす。生きづらさが暴力性を帯び、その矛先が権力者に向かった結果、治安維持強化が容認され、言論の自由を喪失した時代だ。詳しく聞いた。
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──権力者を標的にした両事件をテロとみなしていますね。実行犯はいずれも定職に就かず、自分のあり方、生き方に悩みを抱えていたようです。
──この30年で労働者に占める非正規雇用の割合は倍増し、足元では4割に膨らんでいます。
アイデンティティーの底が抜けた人が多勢を占めていく中、2000年代後半に相次いだのが無差別殺傷事件でした。典型が秋葉原事件。加藤智大元死刑囚(22年7月に執行)は犯行前、携帯サイトに〈「誰でもよかった」なんかわかる気がする〉と書き込んでいた。3カ月前の土浦事件に言及したもので、「まずいな」と思いました。新自由主義という大きな構造がもたらした生きづらさの問題が暴力につながっている。
「こいつが悪い」と名指しできない構造の中で生きづらさを強いられている。「敵」が見えない状況から、僕は当時「誰かを殺せない事件」と書いたんですが、はけ口が具体性を帯びればテロの時代に入る予感があった。類似性のある戦前期を掘り下げなければと思い、秋葉原事件の翌年に出版したのが「朝日平吾の鬱屈」でした。
■「敵」の具体化は2016年に始まった
──1921年に右翼青年だった31歳の朝日平吾が安田財閥創始者の安田善次郎を刺殺した事件ですね。「テロルの原点」に改題し、今年2月に再出版されました。
第1次大戦後の不景気の真っただ中、都会に出てきた若者が群衆化し、生きづらさの問題が先鋭化した時代でした。家族と折り合いが悪く、仕事も長続きしなかった朝日平吾は「一君万民」という観念に引き付けられますが、「君側の奸」の存在が社会を不平等にしていると決めつけ、自分の不幸の原因だと思い込み、凶行に及ぶ。そうした時代を鏡にして現代を見る必要があると考えたのです。暴力の矛先が最高権力者にピンポイントで向かったことで、テロの時代に入ったと言っていい。「敵」の具体化は2016年ごろに始まりました。
──16年に相模原障害者施設殺傷事件、19年に京都アニメーション放火事件、21年に小田急線刺傷事件と京王線刺傷事件が起きました。
いずれの犯行も無差別に近いものの、津久井やまゆり園を襲った植松聖死刑囚は障害者というカテゴリーを標的にした。うまくいかないのは自分だけでなく、日本全体だと考え、論理を飛躍させた。全く同意できませんが、税金を無駄にする重度障害者を抹殺して社会に貢献したと主張しています。小田急線の事件では「幸せそうな女性」が狙われた。理不尽な暴力が「抽象化された具体性」に向かい、フェーズが変わったと思いました。
自己責任論と主観の時間にとらわれた銃撃犯
──その1年後、銃撃事件が発生しました。
山上徹也被告(42)が抱える問題の一部は、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に関連するものでしょう。教団の献金手法や自民党との癒着をめぐる問題は追及しなければいけない。その上で考えたいのが、山上被告が犯行に及んだ要因は統一教会がすべてなのかということ。時間は科学的には過去から現在へ向かって流れますが、僕たちの主観では現在から過去に向かう傾向がある。
例えば、「なぜ学者になったのか?」と問われた僕は理由を求めて現在から遡行する。人生を振り返り、トピックスをつなげ、こういう経緯で学者になったという物語を作る。小学2年生の時に見学した登呂遺跡に感動し、歴史に興味を持ち始めるというストーリーですが、たぶんウソです。ほかの職業を選ぶ可能性が十分にある中、偶然も作用してこの道を進んだ。同じことが山上被告にも言えると思うんです。
──というと?
10代後半の時期、母親が統一教会に多額の献金をしたため苦労したというのは、その通りでしょう。けれども、重要なのは、その後の20年間。人生を立て直そうとして資格を取るなど、努力を重ねた時期が小泉構造改革にブチ当たっています。
──労働者派遣法が改悪され、派遣業はほぼ自由化。あらゆる業種で非正規雇用が急増しました。
山上被告の暮らしは40代になっても安定せず、この間に兄を亡くしてしまう。なぜ、こうもうまくいかないのか。そう考えた時に、先ほど説明した主観の時間が流れていく。母親が統一教会に入れ込み、家庭がメチャクチャになった。だから自分の人生はこうなったんだという物語が形成され、教団への恨みを増幅させた。
僕が指摘したいのは、この20年間の社会のありようが問題の根底にあるのではないのか、ということ。山上被告の努力にかかわらず、現実には立ち直れる機会や可能性は切り捨てられていった。ツイートからは自己責任論を過剰に内面化した人物像が浮かび上がります。自己責任という「くびき」から逃れられず、助けを求められない悪循環に陥ったのではないか。
──山上被告の凶行によってパンドラの箱が開き、さまざまな問題が可視化されたという見方があります。
山上被告のヒーロー化は断固として退けなければなりません。そもそも、統一教会の問題は周知で、政治家もメディアも学者も沈黙していたのです。山上被告の英雄視は、朝日平吾に対する当時の評価と重なります。事件直後は批判的な報道があふれていた。高校時代から花柳界に出入りし、刃物三昧で、カネに困ると親に無心するとんでもない人物だと。
ところが、安田家の莫大な遺産相続問題が報じられると、世論は一変。安田は守銭奴だ、カネをむさぼる財閥はケシカラン、というふうに変わり、朝日平吾は不公正な社会構造を可視化してくれた、よくやった、と。そうして1カ月後、職場の上司にたきつけられた19歳の中岡艮一が時の首相である原敬を暗殺した。テロが模倣され、テロの時代が始まったのです。
その後、世の中はどう変わったか。市民が「取り締まってほしい」と望むようになり、警察権力がイリーガルな暴力に歯止めをかけることに世論は合意し、1925年の治安維持法制定につながった。テロの連鎖によって治安維持権力が強大化し、1936年の2.26事件後は言論の自由はないも同然。たった15年で社会は変貌したのです。
■権力のまなざしの内面化による言論の自由喪失
──そうでなくても、この10年で監視社会化が加速。特定秘密保護法や共謀罪法が施行し、マイナンバーを強制され、デジタル庁が発足しました。
監視以上に問題なのは、その先に起きることです。仏哲学者のミシェル・フーコーの議論を用いれば、権力のまなざしが内面化された時、監視権力は最大化する。僕たちは「見られているかもしれない」と意識すると、自主規制するからです。僕が極悪の権力者だったら、見せしめ逮捕をやります。デモの参加者を捕まえ、理由は一切明かさない。そうすると、「デモを仕掛けたからだ」「ツイートが原因だ」と臆測が飛び交う。結果、当て推量がすべてハードルになる。
──自主規制の行き着いた先は、言論の自由の喪失につながりかねないと。流れは断ち切れますか?
新自由主義を後押しする自己責任論を解体することが喫緊の課題です。戦後民主主義者が目指した「個人が主体的に、意思を持って選択し、その選択に責任を負う」という人間像は、自己責任論につながっている。過剰な自己責任論を何にでも当てはめようとするから、無理が生じる。人間観の再構築が必要です。
(聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)▽中島岳志(なかじま・たけし)1975年、大阪府生まれ。大阪外語大でヒンディー語専攻。京大大学院博士課程修了。京大人文科学研究所研修員、米ハーバード大南アジア研究所客員研究員、北海道大公共政策大学院准教授を経て現職。「秋葉原事件」「血盟団事件」「親鸞と日本主義」「超国家主義」「自民党」など著書多数。「中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義」で大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。
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