穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
→新章開始!ありがとう!

gooトラックバック練習板「ゴールデンウィーク、どこに行く?」

2009年04月29日 | 王様の耳はロバの耳
gooトラックバック練習板「ゴールデンウィーク、どこに行く?」

5月5日からちょっくらフランスに行ってきます。
航空券を予約したのが3日前というあたり、本気で「ちょっくら」。
世界が異常に近くなった気がする。下手したら、九州や北海道ツアーより安い値段で行けてしまう。

目的地候補はドンレミ村、オルレアン、ランス、ヴェルサイユ。後はルーアンとか。
基本、パリに滞在しますが、時間制約が厳しいのでエッフェル塔も凱旋門もルーブルも予定に入ってない。
やる気満々です。行き当たりばったりのヤケクソともいう。

学生時代にも行ったことがあるのですが、その時は1週間滞在して飯を食った回数が7回とかいう狂った工程でした。
一日食事抜きでヴェルサイユ宮殿に行き、帰りにケーキを買って飢えを満たすとか、そんなノリ。腹が減ったがパンがない。仕方がないからケーキを食べよう。
パリ市民の亡霊に祟られてもおかしくなかった。

交通費を除いた滞在費が日本円で5,000円とか、そんな旅行はもう充分なので、今回はまともに宿も予約しました。(前回は現地で知り合った人の家を泊まり歩いた。とても楽しかったけど、流石にもう出来ない)
予約しました、というか現地に親戚が行っているので、これ幸いとお願いしまくり。
持つべきものは人の縁だなぁ…。
私は英語もフランス語も不明ですが、その親戚が通訳をしてくれることになり、物凄く選択肢が広がりました。
私一人ではドンレミ村なんて絶対無理なところだった。人生って何て素晴らしい。

gooのTB練習板のお題的には以上なのですが、続けてだらだらと私がフランス贔屓の理由を語ってみる。
目的地からバレバレなものの、好きなのは百年戦争とフランス革命。

(※最初にいいわけ。好きと言いつつ所詮は理系の人間なので高校世界史で齧った程度の知識です。まぁ「レッドクリフ見て三国志が好きになった」とか「織田信長が好き。魔王みたいで」とか、そんな程度の話で受け取ってください)

【百年戦争・ジャンヌ】

時代は15世紀。
いわゆる中世ヨーロッパが終わり、近代に入る頃です。
というか、百年戦争の終結が「中世の終わり」の定義の一つ。

ごちゃごちゃ面倒な過程を省略すると、フランスの王様がイギリスの王様相手にボコ殴りにあい、壊滅しかけてました。
そこを「神の声を聞いた」と称する謎小娘・ジャンヌの出現により逆転。
かくして百年続いた戦争は終わり、一時の平和が戻ってきました、というのが概略。

それが何で好きかというと前置きが長くなるのですが。

「人間と動物の違いは何か」という問は昔からされてきていますが、その中の一つに「人間は宗教的な生き物である」というのがあります。
ここでいう「宗教」はキリスト教や仏教といった具体的な神仏のことに限らず、「信念」や「想い」のこと。
「頑張ったから大丈夫だ」とか「根拠はないけど私信じてる」と自分を奮い立たせた経験は誰しにもあるはず。
残業続きで疲れてる中、家族の写真を見て元気を出すとか、大好きなあの娘のために無理を押して頑張っちゃうとか、これらも広義の意味での「宗教」です。
身も蓋もない物理的な話でいえば、「家族の写真」とかただの紙ですよ。そんなものを見て力に転換できるのは人間だけです。

典型的な例ですが、大学受験のときに学業成就のお守りを求める人は少なくありません。
ですが、お守りを神秘的な超アイテムと思ってる人は少数派でしょう。あんなものはただの紙だとみんな分かってる。
でもお守りはやっぱり毎年売れる。何故なら「持ってればとりあえず安心するから」。

基本的に宗教の効果は、この「安心する」の一点のみです。
学業成就のお守りの不思議パワーで、直接的に受験合格する必要なんてない。
「持ってれば、とりあえず不安が薄らぐ」というその安心感が唯一の効果です。
(だから定義的には宗教詐欺は存在しないわけです。本当に奇跡を起こす必要なんてないんだから)

前にこの話を別の人がしたとき、それを聞いた方が「でも私はお守りなんかに頼らない。自分の努力の結果を信じる」みたいなことを言われていました。これも一種の宗教です。
「今までたくさん勉強した自分の努力を信じる」というのも、根拠としてはただの紙のお守りと同レベル。(受験なんだから他の受験者も「たくさん勉強」してるに決まってるので、何の優位性にもなってないetc)
「根拠はないが、それっぽい理由付けで自分を納得させて安心感を引き出す」というのは人間誰しも持ってる(そして活用してる)能力なわけです。

で、ここで愉快な現象が起きる。
学業成就のお守りなんてただの紙です。みんな知ってる。受験会場にお守り持参してる受験生だって、そんなことくらい分かってる。
ですが、緊張でガチガチになってるよりも、適度にリラックスしていた方が良い結果が出る、ということも私たちは経験的に知っています。
つまり「ただの紙のお守りを持ってることで安心する」⇒「安心した結果、受験も上手くいく」。
ということは、結果論的に「ただの紙のお守りには、本当に学業成就の効果があった」ことになる。

これが「信じる者は救われる」の効果。
鰯の頭だろうと豆腐の角だろうと、それを信じることができれば「ご利益」は発生します。
仏教やキリスト教といった宗教は、ぶっちゃけ「信じやすくする」ために設定を工夫してるだけで、本質はこの路線のままです。(鰯の頭を信じて安心感を得るより、仏を信じる方がハードルは低いですから…)

「宗教の効果」と書くと胡散臭く感じる人も多いでしょうけど、「想いの力」とかに置き換えてもらってもOKです。
「家族が応援してくれたから、試合に勝てる」というのも、上のお守りの例と同じです。
応援があったからといって、それが物理的になんだというんだ。でも、実際にそれで気合いが入り、結果にもつながることを私たちは知っている。

私としては、心や精神といったものも科学で解明できる単なる生理現象だと思ってる。
そして上記のような現象も、神秘的な何かを想定する必要もなく、理屈で説明できることです。
ただ「人間」という種は、他の動物に比べてこの能力が特化してる。

その前提を踏まえた上で、ようやく本題。
「想いの力」で人は強くなれる。それは動物にはできない人間の力です。
では、本当にそれは効果的なのか?

お守りの例でいえば、ただの紙のお守りを握りしめて安心感に浸ってる暇があったら、英単語の一つでも覚えてた方が現実的に思えます。
よくアニメや漫画である対立構造ですね。
「想いなんて無駄だ。絶対的な力(や道具や戦力やそのほか諸々)が正義だ!」みたいなやつ。

そこで人間は証明しないといけない。想いの力で事態はひっくりかえせると。
ヒトが「ちょっと頭のいいケモノ」ではなく、「人間」であることを示すためにはこれが必要です。
そんな事例の一つが、百年戦争のジャンヌとその周辺の話だと思ってる。

1428年のオルレアンにて、当時絶対的に劣勢だったシャルル王太子軍は、「神の声を聞いた」と自称するジャンヌの登場により、奇跡的な勝利を収めます。
無論、魔法や超パワーが炸裂したわけじゃない。(もしそうだったなら興ざめだ)
結果からいえば、「思い込みによる突撃戦略が、偶然相手の急所に突き刺さった」。
そんな幸運だけに頼った無謀な戦略がその後も上手くいき、最終的には逆転します。

誤解を招かぬように強調すると、ジャンヌが実際に神の声を聞いたかどうかはどうでもいい。
また「ジャンヌがいなくても勝てていた」という研究もありますが、ここでは本筋ではないので除外。
肝心なのは、単なる思い込みによる「想い」パワーで人はどこまで困難に立ち向かい、乗り越えることができるかを示したところにある。
この点で私はジャンヌがとても好きです。

またその活躍に続く投獄後のエピソードなんかも好き。
敵対する側によって書かれたはずの裁判記録からも、彼女の信念が伝わってきます。
私は取り立ててキリスト教を信仰してるわけでもないので、彼女の聞いたのが本当に「神」だったかどうかはどうでもいいのですが、そういった表面的な部分以外のところでとても魅力を感じます。

前回旅行に行ったときにはオルレアンとルーアンには行けました。
が、生まれ故郷のドンレミには行けなかった。
鉄道が走ってないような片田舎&週に数本バスが通ってるのみ、とかいう酷い難易度のところにある。
聞いた話だと、自転車を調達して最寄りの都市ヌフシャトーから数キロの行程を走破するのがメジャーな手段とか。
個人的に「ドンレミに行ってそこに泊まる」というのに長らく憧れてたので、ようやくそれを達成できると思うと楽しみです。

…まぁ、何もないところなので行って1時間もしないうちに手持無沙汰になるのは目に見えてるのですが気にしない。

(ちなみに蛇足。
ジャンヌの話ではよく勘違いされるのですが、彼女は魔女狩りにあったわけではありません。
ジャンヌのは魔女裁判。そして裁判官の判決は圧倒的多数で「ジャンヌは魔女ではない」でした。
それなのに火刑にあったのは純粋に政治的圧力のせいです。よく宗教の暴走のように言われがちだけれど、逆にまともに機能してた事例の一つです。むしろ影響力が弱かったので政治に負けたともいえる。

蛇足ついでで、宗教の暴走例として引き合いに出される「魔女狩り」はジャンヌの時代の50年ほど後。
「中世暗黒時代」なんて表現のせいで誤解されやすいですが、魔女狩り自体は近代から現代の出来事です。というか「近代」を定義するイベントが魔女狩りのトリガーになってるので、定義からいって中世には起こりえない(例:新大陸発見、活版印刷の発明、百年戦争の終結等が魔女狩りの原因)。
なお、今現在でも毎年100名単位で魔女狩りで亡くなられています。キリスト教というより、アフリカ等でエイズや貧困による苦境を怪しげな土着の呪術のせいにしてリンチにかけるケースが多いそうです。

それとこれも誤解されやすいですが、魔女狩りは教会によって指揮されてたわけではありません。
よく漫画では頭の固い神父や教会兵が出てきますけど、実際は教会は魔女狩りには反対の立場を取っていました。
じゃあ誰の手によるかといえば、社会不安から集団ヒステリーに陥った一般民衆です。
またカトリックよりもプロテスタントの地域で激化した傾向があります。(これはプロテスタントの成立経緯を考えれば当然の結果)
この辺、「ベルセルク」や「ヘルシング」「月姫」等々の影響で、割と広まってる誤解だと思う)

フランス革命の話も書きたかったけど、いい加減長文になったので挫折してみる。
当時のパリ市民の「いいからパンをくれ」という叫びと、それを実現するために立ち上がった勇気は心から尊敬します。
同時にルイ16世の純朴さやアントワネットも素敵。こういう気合いの入ったエピソードがあの国には豊富にあるのが羨ましいです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする