一昨日横浜に戻ってきました。
帰宅した日、そして昨日。緊張と疲れからか
不安定な精神状態で何も手に付かず・・・
泣き、そして寝ていました。
両親の部屋で、母の隣のベッドでよく寝ていた
はずなのですが・・・
またすぐに両親のもとへ向かいますが、自分の
心身のバランスの為に、今回戻って良かったと
思っています。
86才という父の年齢。
そして、今まで元気でいてくれたこと。
それを思うと、癌も、残り少ない余命も、私は冷静に
受けとめることができました。
今、私の心配は癌ではなく、父の「胆石胆のう炎」です。
心臓が弱っているので、胆のう炎の手術ができない。
食事をとると炎症反応が上がるので
先月18日以来、ほぼ絶食状態・・・・
抗生物質の効果で今月4日からやっと流動食になり、
翌日はおかゆ。
6日に点滴がはずれると聞き、喜んだのですが・・・
5日の夜に、下痢・出血。
胃潰瘍からの出血なので(転移ではない)その処置。
そして輸血。
再び、点滴のみの日々となりました。
昨日「流動食になった。この後はおかゆになりそう。
退院が早くなるかもしれない」と 携帯から連絡してきたが
今日は 何もなし。
母のところへも、朝7時頃に連絡があったけれど、食事の
ことは何も言わなかったようです。
また、炎症反応が出て、絶食になっているのか??
胆のう炎の症状が少しでも収まり、一度帰宅させたい。
おかゆでいいから、ちゃんと食べてもらいたい。
今の私の願いであり、祈りです。
ホームが提携しているホスピスと、在宅看護ステーションを
利用して、在宅介護の体制は大丈夫なはずだが・・・
ホスピスは緩和ケアの病院なので、胆のう炎の治療となると
一般の病院になってしまう。
なんとか自宅(ホームの自室)に戻り、そのまま緩和ケアを
受けることになってほしい。
ただただ、祈るばかりです。
「帰省しなくていいよ。そんなに来ることはないよ」
いつもそう言ってた母が、今回は「今度いつ来れる?
なるべく早くきてね」・・・
初めて聞く言葉でした。
母の性格から想像すると、自分の心細さというより
自分が動けず、見舞いに行かれないので、父が
心細くて寂しいだろう。
自分の耳が遠いので、病院やホームとの折衝ができない。
それで「早く来てほしい。長くいてほしい」
だから、なるべく早く行きます。
精神不安定な妻を暖かく迎えてくれて、また、快く送り
出してくれる夫に、感謝しながら・・・。
トップ写真は、函館の市電。
札幌の住宅地に熊出没のニュースが流れていた頃です。
「出てきた出てきた、山親爺。千秋庵の山親爺」
広告付き電車を見ていたら、そんな昔のCMソングを
思い出しました。
暖かなメールやコメント(非公開も含め)本当にありがとうございます。
お返事を書く余裕がなく、失礼してごめんなさい。
でも、玄関は開けておきたいので、コメント欄はそのままにしてあります。
どうぞ、我儘をお許しくださいませ。