赤い靴で 街あるき

横浜の波止場から~♪函館に。
街の散策やキッチンの片隅から。見たり聞いたりの「ひとかけら」を綴ります。

お願い・・・

2012-09-16 | お別荘の父

これから羽田に向かいます。

縁起でもないと笑われそうですが・・・・
人生何があるかわからない。
航空機事故だって、絶対に起こらないとはいえません。

万が一の時・・・
両親はマスコミのかっこうの餌食。悲劇の両親ですから。
もちろん、夫も!!

万が一の場合。このブログは絶対に公開しないこと。
それが私のお願いです。

両親・夫を守ってください。

無事着陸したら・・・病院PCで笑いながらこの記事を
消去します


怒り(糠?暖簾?)

2012-09-14 | お別荘の父

横浜へ戻ったら、この怒りをブログにぶちまけよう!
そう思いながら、函館を後にしたのですが・・・
怒りと悲しみが混乱。文章を綴ることが出来ませんでしたが
少し落ち着いた今。やっと、記事にできそうです。

横浜へ戻る11日。
母と一緒に父の病院へ行くために、タクシーの待つホーム玄関へ
移動していると・・・・
ホームの看護師さんが「お早うございます。ごめんなさい。
お忙しいでしょうから、動きながら聞いてください」と、話し始めた。

「昨日、○○さん(父のこと)のところへ行ってきましたが
泣いていました。循環器の先生がきて<○○さんの心臓は
持って3年。短ければ1年と言われた>・・・と」
「えっ!?そんなことがあったんですか?」
「やっぱり知りませんでしたか。私もびっくりしたんですが
娘さんの前で先生が言ったのか・・気になって」
「いいえ。消化器の担当医には癌のことは言わないでと
言ってあるけれど、循環器の先生が??。
わかりました。ありがとう。これから病院へ行くので、確認して
みますが、本当なら、とんでもないことです」

母が元気なら二人で怒りを共有できるが、今の母が知れば
悲しむだけ。母には言えない。
そう思いながら、父のところへ。でも、循環器の先生のことは
何も言わない。ただ、母を見て涙を流す。

やっぱり・・・。私たちには(特に母が可愛そうで)言えないのか。

看護師長が不在だったので、副師長にこの件を訪ねてみると
「確認してみます」とナースステーションに戻った後「循環器の先生が
きたという話はない」とのこと。

なにげなく父に聞くと「白衣じゃなく青い服の研修医たちを連れて
担当医(ここの循環器に通院していた)が来た」
父の意識ははっきりしている。ホームの看護師も「ご自分の症状や
検査項目や順序も覚えているから、事実だと思います」と
言っていた。


おそらく、消化器のナースステーションを通さず、研修医を連れて
自分の患者を<サンプル>として、見せたのだろう。
確かに父の心臓は癌手術はもちろん、胆のう炎の手術もできないほど
弱っている。でも、それを本人に告げる必要はないだろう!
86才まで生きたのだから、あと1年でも3年でもいいと思っての
発言か??
それが患者の心身にどんな影響を与えるかの想像もできない
ドクターらしい。

でも、ここで戦っても仕方がない。この国で「先生」と呼ばれている種族は
人間に対する考え方やセンスの違う人が多い。
日本語が通じない人も多い(もちろん全てではありませんが)。
仮にその張本人に私が詰め寄っても、馬の耳に念仏。糠に釘。
暖簾に(白衣)に腕押し。
そして、今日は母がいる。タクシー&車椅子の移動はかなりの負担になっている。
糠や暖簾と戦う時間はないのです。

こうなったら、あくまでも父の聞き違い。勘違いと思わせるしかない。
「お父さん、循環器の先生も言ったと思うけれど、お父さんの心臓は
大事にすれば長く持つんだって。でも、無理をすると3年ももたないん
だって。だから退院したら、絶対に無理をしないでね」

そんな会話をするうちに、胃カメラ検査へ。

幸い結果は○。胃カメラの後で父がだいぶ疲れていたし、あまりこの件を聞き出すのも
逆効果だと思い、流動食がOKになったと知ってから、私たちはホームへ戻った。
教えてくれたホームの看護師さんにも「同じことを父が言ったら、先生は
無理をしたら持たないと言ってたよ。○○さんの聞き違いだと大嘘をついてほしい」
そうお願いしておいた。

たった1つラッキーだったのは、私が横浜に戻る前にこの件を知ったこと。
戻った後なら・・・そう思うと、ぞっとする。

そして、今日。「タオルケットがほしい」という父からの電話を受けて
母が頼んで持っていってくれた方からの話では・・・
「元気でした。循環器の先生が来て、大丈夫だと言ったそうです」

私からの話を、副師長から消化器担当医が聞き、循環器担当医に
話したのか?・・・それで??
父の妄想ではなく、やはり事実だったのですね。

夫が「その医者、ちゃんと上手く話せたのかな?」
う~~ん。医者兼作家は沢山いるけれど、医者兼役者はいないものねぇ。
まぁ、とりあえず信じて父が元気になったようなので・・・
振り上げた拳は降ろします。

でも、拳はそのまま。
戦いませんが、拳はしっかりと握り覚えておきます。
そして・・・・いつかどこかで・・・・。

トップ写真は、観光名所五稜郭タワーです。
これを撮っていて、展望台が五稜郭の形だと
初めて気づきました。


横浜からです。

2012-09-13 | お別荘の父

一昨日横浜に戻ってきました。
帰宅した日、そして昨日。緊張と疲れからか
不安定な精神状態で何も手に付かず・・・
泣き、そして寝ていました。

両親の部屋で、母の隣のベッドでよく寝ていた
はずなのですが・・・

またすぐに両親のもとへ向かいますが、自分の
心身のバランスの為に、今回戻って良かったと
思っています。

86才という父の年齢。
そして、今まで元気でいてくれたこと。
それを思うと、癌も、残り少ない余命も、私は冷静に
受けとめることができました。

今、私の心配は癌ではなく、父の「胆石胆のう炎」です。
心臓が弱っているので、胆のう炎の手術ができない。
食事をとると炎症反応が上がるので
先月18日以来、ほぼ絶食状態・・・・
抗生物質の効果で今月4日からやっと流動食になり、
翌日はおかゆ。
6日に点滴がはずれると聞き、喜んだのですが・・・
5日の夜に、下痢・出血。
胃潰瘍からの出血なので(転移ではない)その処置。
そして輸血。
再び、点滴のみの日々となりました。

昨日「流動食になった。この後はおかゆになりそう。
退院が早くなるかもしれない」と 携帯から連絡してきたが
今日は 何もなし。
母のところへも、朝7時頃に連絡があったけれど、食事の
ことは何も言わなかったようです。
また、炎症反応が出て、絶食になっているのか??

胆のう炎の症状が少しでも収まり、一度帰宅させたい。
おかゆでいいから、ちゃんと食べてもらいたい。
今の私の願いであり、祈りです。

ホームが提携しているホスピスと、在宅看護ステーションを
利用して、在宅介護の体制は大丈夫なはずだが・・・
ホスピスは緩和ケアの病院なので、胆のう炎の治療となると
一般の病院になってしまう。
なんとか自宅(ホームの自室)に戻り、そのまま緩和ケアを
受けることになってほしい。
ただただ、祈るばかりです。

「帰省しなくていいよ。そんなに来ることはないよ」
いつもそう言ってた母が、今回は「今度いつ来れる?
なるべく早くきてね」・・・
初めて聞く言葉でした。

母の性格から想像すると、自分の心細さというより
自分が動けず、見舞いに行かれないので、父が
心細くて寂しいだろう。
自分の耳が遠いので、病院やホームとの折衝ができない。
それで「早く来てほしい。長くいてほしい」

だから、なるべく早く行きます。
精神不安定な妻を暖かく迎えてくれて、また、快く送り
出してくれる夫に、感謝しながら・・・。

トップ写真は、函館の市電。
札幌の住宅地に熊出没のニュースが流れていた頃です。
「出てきた出てきた、山親爺。千秋庵の山親爺」
広告付き電車を見ていたら、そんな昔のCMソングを
思い出しました。

    

暖かなメールやコメント(非公開も含め)本当にありがとうございます。
お返事を書く余裕がなく、失礼してごめんなさい。
でも、玄関は開けておきたいので、コメント欄はそのままにしてあります。
どうぞ、我儘をお許しくださいませ。


今日も雨。

2012-09-10 | お別荘の父

昔々・・・長崎は 今日も 雨だった~という歌が
ありましたが・・・
同じ港町の函館も、雨です。

父の病院にて。買ってきたポテトサラダパンと
くるみパンのお昼を済ませて、PCに向かっています。

こんな時でも、よく知らない街でも・・・
美味しいお店を発見できるので、親不孝と言われるかも・・・

でも「それはそれ。これはこれ。」が両親の信条。
わが子を縛らず、限りなく羽ばたかせてくれる
私の両親は許してくれる。
絶対の愛情に育てられ、守られてきた娘は
アラカンの年になっても、がっつり甘えています。

「昼、何かうまいものを食べてこい」・・・
何日も食べられないのに、一切の不平も不満も
言わず、そう言ってくれる父に甘えています。
だから、サラダパンもくるみパンも美味く
いただきました。

今、父は点滴のみ。きょうは薬の服用もないようです。
「飯は出ないし、薬も出ない。だから俺は寝るわ」
そんな冗談を言って、ベッドに横になっていました。
こんなふうに父もそうですが、母も冗談好き。

病院のナースは「う○ち」を「おべん」と言ってます。
「お便出ましたか?」と聞かれた父・・・
耳が遠いので・・・「は??おでん??」
これはジョークじゃなく、本人的には大真面目。
だから、余計におかしくて。
帰宅してから、母と爆笑!!

私はこれから、おでんを食べるたびに「おでん事件」を
思い出すのでしょうねぇ。
(芥子も付いてるし・・・失礼

もう少しで、ケアマネさんと市の認定調査員が
くることになっています。
今後、介護度がどんどん上がってくるのは
明らかですが、そうとは知らない本人は
認定度を上げるための演技意欲満々です。

私は明日の夜、横浜に戻る予定です。
また、こちらに来ますが・・・・
一人になり飛行機が離陸すると、気の緩みと
どうしようもない感情が湧き出てきて
目を閉じると、涙が出てきてしまいます。

雨とともに、秋が一気にくるのが北海道です。
イチョウの木々にも、銀杏が・・・・

さて、父の病室へ戻りますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 


雷雨!

2012-09-09 | お別荘の父

昨夜から今朝にかけ、函館は雨と雷。

幸い、病院への移動中は降りが静かになったので
助かりましたが・・・

先月18日に入院した父は、9月5日にやっと<おかゆ>に
なったのに・・その日に下痢。そして貧血。

胃潰瘍(癌の転移はしてない)からの出血が貧血の原因。
そのための処置と、そして輸血。
再び、点滴のみの日々です。

何とかせめて「おかゆ」に戻れたら・・・
ホームの方では、食事は病院の指示通りに塩分も含め
おもゆ・三分かゆetcで対処できるそうなので
早く母のいる自宅に(ホームの自室)に戻りたいのです。

自室のベッドを介護ベッドと交換することになり、部屋を
広くするため、私は連日お片づけです。
トランクルームもあるので、そちらも含めて。
洋服ダンスなど大きな家具を処分したので
だいぶ広くなりましたが・・・
昨夜は父の机まわりのお片づけ。
体が二つほしい。しみじみ、そう感じています。

トップ画像は、こちらも横浜ビジネスパーク(YBP)で
撮ったものです。
おおらかな表情は、こんなときの癒しになるようです。

さて、そろそろ父のところに戻ります。




ありがとうございます。

2012-09-05 | お別荘の父

今 病院からです。
今日は母を連れて車いすで移動しています。

父は点滴の交換中。pcの前に母を連れてきて
「阪急電車 赤い靴版」を読んでもらいました(笑)

コメントのお返事ができずごめんなさい。
慣れないPC。遅いし、自分の力量もないし(反省)
暖かなコメントを読ませていただいています。
コメントがなくても、いつもの皆様の声援も
しかと聞こえています。
本当にありがとうございます。

では、そろそろ病室に戻ります。

トップ写真は 横浜にある県立保土ヶ谷公園。
先日の虹がかかっていた池の噴水・・・
その池のあたり(池の上)です。


ベリーヌの丘

2012-09-03 | 街・散策(横浜)

暑い暑い函館からです。観測史上何番目かの暑さとか・・・。

写真は前回と同様、横浜ビジネスパーク(YBP)にある
ベリーヌの丘。
函館へすっ飛んだ(8月18日)前日に撮ったものです。

ここを訪れるたびに、大好きなイタリアを思い出します。




イタリアへは2度。8月と9月に行きましたが
どちらも暑かった~。
この日は、その暑さの記憶も蘇ってくるような暑さ。


さて・・・ご心配をおかけしている父ですが
残念ながら厳しい状況です。

ただ、お別荘の父はしっかりしているし何も食べてない
ことにも耐えて、不平やグチも言わず頑張っています。
この平穏な時間ができるだけ長く続くように・・・
そう願いながら日々接しています。

今、ドクターとの面談を待っているのですが・・・
とてもお忙しいようです。明日になるかしら??

在宅看護を受ける体制にしようと、両親の部屋を
広くするために、片付けていますが・・・
修行!修練!!
はたまた・・拷問(笑)。

ケアマネージャーさんと会ったり、ホームの責任者と
お話したり、ホスピスの院長先生にアポをとったり
慣れないことをしていますが、お片づけに比べれば
楽かもしれません。

でも、こうしてPCに向かうと少しでも息抜きが
できるようです。
ベリーヌの丘から、つかの間ですが、イタリアへ
想いを馳せらすこともできます。

あっ。。。主治医(誠実そうな良い先生)からの
呼び出しがかかりました。
では、行ってきま~す。