「カラマツの下の花畑」・・・・♪

軽井沢での子供時代に作った落葉松の下の花畑ーー心は今も~!「草花」「99歳の軽井沢物語」「葛西スケッチブック」ほか。  

キジムシロ

2006-05-17 | <軽井沢・野の花帖>

あまりにも軽石だらけの地面なので
緑の円座をご用意しました。

黄色いお花でふちどって
ぽかぽかぽかぽか温めて
雉さんをご招待。

おままごとのときは借りたっけ。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/kijimusiro.html

キジムシロ・・・・バラ科。

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地梨

2006-04-26 | <軽井沢・野の花帖>

 「季節の花300」

 「地梨の花を取ると火事になる」
「だから、花を取ってはだめ」
沢の畑
を、真っ赤に染めて地梨が咲きだすと、子どもたちは、大人からよく言われました。
地梨とは、草木瓜のことで、3~40センチから60センチにもなるバラ科の低木ですが、千ヶ滝の人たちは、みなそう呼んでいました。

木には、バラ科の証明のように鋭い刺があるので、子どもたちがそんな藪で遊ぼうものなら、大変。引っかき傷だらけになってしまいます。
大人たちの危険回避から出た知恵だったのでしょう。

 朱赤色の花が、あたり一面埋め尽くすさまは、燃え盛る火の海のようで、子ども心にも、何か尋常でない恐ろしさを感じたものです。
それが、大人たちの言う「火事」に結びついたのかもしれません。
子どもたちは、誰も近寄りませんでしたが、花の後に実る、たくさんの実を目当てに、祖父だけは近寄りました。
渋みが強く酸っぱい果実は、子どもにも大人にも見向きもされなかったのですが
祖父は、それを焼酎に漬けて果実酒を作っては、食前酒として飲んでいました。
草木瓜の恩恵に浴したのは、たぶん、祖父だけだったのではないでしょうか。
そのせいか、祖父は健康で、自称105歳まで生きました。

疎開した人々が開墾した沢の畑はその役目を終えて、もとの自然に戻りかけました。が、後に別荘地として開発されて、今その場所には小区画の別荘がたくさん建っています。
渓流は、コンクリートの川床になってしまいましたが、川は昔の場所を流れています。
かつての日には、フデリンドウやオキナグサなどが咲いていた、軽井沢・千ヶ滝の、花たちの
物語を書いておこうと思います。

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