「カラマツの下の花畑」・・・・♪

軽井沢での子供時代に作った落葉松の下の花畑ーー心は今も~!「草花」「99歳の軽井沢物語」「葛西スケッチブック」ほか。  

一枚のはがきから

2007-09-14 | <軽井沢・野の花帖>

”すぎにしかた恋しきもの” 
ふとノートの中からこぼれ落ちた古いはがき。それは確かに、自分の出した、母宛の礼状だ。
貼り付けられたその写真の花々から、ホワホワにほおけたススキの穂に見つけた甘い香りもたちのぼってくる。
  

 

過ぎし日の、私の軽井沢みやげ 
も、どうぞ。

 

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地梨

2007-05-09 | <軽井沢・野の花帖>
信州では、リンゴや草ボケが花盛りだとか。草ボケといえば、軽井沢では「地梨」のこと。原野を真っ赤に染めて咲いていた光景を思い出します。過去の記事からの再現です。

 「季節の花300」

 「地梨の花を取ると火事になる」
「だから、花を取ってはだめ」
沢の畑への小径近くの原野を、真っ赤に染めて地梨が咲きだすと、子どもたちは、大人からよく言われました。
地梨とは、草木瓜のことで、3~40センチから60センチにもなるバラ科の低木ですが、千ヶ滝の人たちは、みなそう呼んでいました。

木には、バラ科の証明のように鋭い刺があるので、子どもたちがそんな藪で遊ぼうものなら、大変。引っかき傷だらけになってしまいます。
大人たちの危険回避から出た知恵だったのでしょう。

 朱赤色の花が、あたり一面埋め尽くすさまは、燃え盛る火の海のようで、子ども心にも、何か尋常でない恐ろしさを感じたものです。
それが、大人たちの言う「火事」に結びついたのかもしれません。
子どもたちは、誰も近寄りませんでしたが、花の後に実る、たくさんの実を目当てに、祖父だけは近寄りました。
渋みが強く酸っぱい果実は、子どもにも大人にも見向きもされなかったのですが、祖父は、それを焼酎に漬けて果実酒を作っては、食前酒として飲んでいました。
草木瓜の恩恵に浴したのは、たぶん、祖父だけだったのではないでしょうか。そのせいか、祖父は健康で、自称105歳まで生きました。

疎開した人々が開墾した沢の畑はその役目を終えて、もとの自然に戻りかけました。が、後に別荘地として開発されて、今その場所には小区画の別荘がたくさん建っています。
渓流は、コンクリートの川床になってしまいましたが、川は昔の場所を流れています。
かつての日には、フデリンドウやオキナグサなどが咲いていた、軽井沢・千ヶ滝の、花たちの物語を書いておこうと思います。
2006-04-26 15:08:53 / の記事より

 

コメント (4)
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シオデか? サルトリイバラか?

2006-11-13 | <軽井沢・野の花帖>

 http://www.hana300.com/

真っ赤な 実をたくさんつけたドライフラワーの蔓が、花屋の店頭に並んでいます。これは、クリスマス・リースなどに使う、サンキライの名で呼ばれているもの。じつは、サルトリイバラのことです。
蔓性だけれど、ユリ科シオデ属!
茎には刺があり、茎も節ごとに曲がっていて、サルもこんなヤブに引っかかったら、捕まってしまう―ーということからの名前だそうです。
子どもの頃、田舎でも、見たような・・・。
ただし、実が真っ赤だったかどうかは、記憶にないのです。
けれど、「シオデ」の仲間と聞けば、覚えがあります。シオデは、新芽を味噌汁の具にして食べました。「どんな味?」と訊かれても説明できないのですが、ただ、「おいしかった」ことだけは言えるのです。
トトキなどと同じように、ちょっと山道に入ればあったので、仕事の帰りがけに父などがよく採ってきたのを覚えています。
聞く所によると、「アスパラガスに似た味」だとか。そうかもしれない。
髭のついた新芽の姿も、細いアスパラガスの感じでしたもの。今だったら、てんぷらやマヨネーズで食べたでしょうね。

さて、サンキライです。雌雄異株なので、実がなるのは雌株だけ。私が見たのは雄株だったのか。また、黒い実の熟する、シオデだったのでしょうか。今も謎です。

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ウドの花レストラン

2006-08-16 | <軽井沢・野の花帖>
 

  
   ウドの花*小さな花火が満開。(追分で)

いらっしゃいませ。
ウドの花レストランは、大盛況です。
高いところにある、
見晴らしのいいたくさんの花まで、
せっせ、せっせ、
お運びいただきまして
ありがとう。

お客様は、アリや小さな虫たち。
朝から晩まで、
途切れることなく、登ったり降りたり。

今年も大人気ね!
行列のできる
ウドの花レストラン。

田舎の庭の松の木の傍にあった、ウドの木(!)。毎年、帰省の頃は、大賑わいでした。
花のあとは、花火の先端に青黒い深い色の実をむむんで、
それもかわいらしかった。
若い芽を摘んで、即席にてんぷらの一品を追加できるのも、便利だったなあ。

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野の花と庭の花と

2006-08-07 | <軽井沢・野の花帖>

まだ軽井沢に帰省していた頃は、帰京の土産は花にしていた。
もちろん、留守番をしている人への意味もあったが、
ほとんど自分への土産といったほうがいいかもしれない。

近くの野山で、ススキやハギやオミナエシ、
そして、キオンやヒヨドリ花、ウドの花といった山の花を採ってきて、
庭に咲くオイランソウやコスモス、タムラソウ、シオンなどと花束にして
大切に抱えて帰った。
新幹線の座席で、控えめな爽やかな甘い香りがずーっとしていた。
それは、オイランソウや、他の野の花たちのたのしいささやき。

たっぷりと大きな花瓶二つに活けて、一週間はたのしんだ。

           ☆母への葉書から―ー
     久しぶりに雨が降り、木も草も生き返ったよう。もちろん人間も。
     夕方は秋の風が吹いて、今日からM子も学校が始まりました。
     写真は焼き増ししているので、後から送ります。
     軽井沢の花たちは、今はススキだけが、
     ポワーンとボサボサの穂になって残っています。
     その穂は、花のようなかすかな甘い香りがしています。
      (1994.9.2)

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