先日銀座へ出かけた時のことです。
雨が降っていたので、東銀座から銀座4丁目方面まで濡れずに行きたいと思い、
地下道を探していました。
聞いたりしながら、試みましたが、見つからず、
歌舞伎座の店で買い物したついでに、聞いてみました。
すると、店員さんが
「私もこの間迷ったばかりです。とてもわかりにくいので、ご案内します」
お仕事中で悪いので、遠慮したのですが、あと一人の店員さんとも話して、で教えてくださることになりました。
浅草線の線路の下の通路を通って上がると、知っている地下道が見えてきました。
慣れていれば簡単なのでしょうが、これを見つけるのは、なかなか困難でしょう。
親切な店員さん、ありがとうございました。
その地下道を通って無事銀座シックスへ行くことができました。
そして、帰りの電車でーー
つかまるところがないので、足を踏ん張って立っていますと、
すぐ近くにいた少し年配の女性の方から、
「つかまらないで、大丈夫?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「私なんか、つかまっていなかったら、どこかへ飛んで行ってしまうわ」
そんなやり取りを聞いていた、ドアの端の方にいた30代後半ぐらいの男性が、
「ここ、どうぞ」というしぐさで、場所を譲ってくれました。
「ありがとうございます」
二人、ニコニコして、その場所につかまりました。
ずっと日本での生活になじんでいる感じの外国の方でした。
「私ね、本当は、反対方向に帰るんですけど、ここ、エレベーターが無いでしょ。
だから、人形町まで行ってまた戻るの」
人形町で降りるときに、さっきの彼に、
「ありがとうございました」
と言って降りていきました。
そして、私も、東日本橋で、
「ありがとうございました」というと、
「バーイ」というように、手の平を開いて挨拶してくれました。
謡曲は、母方の祖父が嗜んでおりましたので、何か親しみを感じます。
「umeさんの軽井沢物語」から一部を抜粋してみました。
ーー日向吉次郎先生は、明治の頃からか、江戸から流れて小諸に移り住んだ、喜多流の謡曲の大家と聞きました。その先生の一番弟子だった父の許へは、冬になると一里(約4キロメートル)も二里近くも遠い所から謡曲を習いに来る人達が毎晩のように、五人、六人と組になって来たことを覚えています。
「先生は、昼間は凧をウナらせて、夜は自分でウナって(謡曲をうたって)いなさる」などと話題にしたものでした。
(小諸の光岳寺境内には、弟子たちの手によって建てられた日向吉次郎の碑があります。碑文は島崎藤村による)