中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

リニア・モーター・カー

2006-11-11 10:20:44 | 中国のこと
  9月22日にドイツで試験走行中のリニア・モーター・カーが事故を起こし、多数の死傷者が出た。リニアの事故で死者が出たのは初めてのようで、リニアでは世界のトップを走っていたドイツは大きな打撃を受けたらしい。その少し前の8月11日には上海のリニアが走行中に火災を起こしたが、幸い人的な被害はなかった。

  上海のリニアは世界唯一の営業用路線で、上海市内の浦東(Pudong)新区の龍陽路(Longyanglu)駅と浦東国際空港駅間の30キロを最高時速430キロ、約7分で走行している。もちろんドイツ製で、2002年12月31日に開通した。中国語ではリニアは線性発動機牽引列車と言うが、上海のリニアの正式名称は「上海磁浮列車」と言う。

 開通してほぼ1年後の2004年1月に友人の唐怡荷に誘われて、帰国する機会に乗ってみた。龍陽路駅を出発して4分くらいで時速431キロに達したが、すぐに減速して程なく浦東国際空港駅に到着した。何しろ7分間だから呆気ない感じで特に感動することもなかった。外を見てもそれほど高速とは感じなかったが、これは唐怡荷の説明では窓ガラスに特殊な加工がしてあって速度を感じないようになっているのだそうだが、理屈はよく分からない。
 





  その時にも思ったことだが、いったい何のためにこのような短い距離にリニアを走らせる必要があったのだろう。将来、上海と杭州の間に造る路線のテストだとも聞いたが、無駄な投資のような気がしてならない。7分で走行すると言ってもそれほど便数が多いこともないから、普通の電車路線を造って特急を多く走らせればむしろ便利なのではないか。実際、営業的にもあまり成果を挙げていないようで、運賃をかなり引き下げても利用者はさほど多くないようだ。上海の「金看板」の1つらしいが、営業用、観光用どっちつかずの中途半端なものだと思うし、言葉は悪いが最近経済的にますます発展している上海の、何やら見栄のようにも思える。今後また乗ってみようとは思わない。


年賀状を作る

2006-11-11 10:02:51 | 身辺雑記
 毎年のように8月を過ぎると、急に日が過ぎるのが速くなるような気がする。「秋の日は釣瓶落し」の季節になるとなおさらだ。そして、早やもう11月半ば近くなった。年賀状の発売は始まったし、百貨店ではお節料理やお歳暮の予約をやっている。クリスマスのメロディーも聞こえる。何とも慌しいことだ。

 そう思いながらも、パソコンに向かって年賀状を作った。何しろ枚数が多いから早目にやっておかないとパソコンに何かあると困るからという言い訳のようなことだ。やはり年賀状は出したい。これまでに何人かの知人から今年で最後にするという年賀状をもらったことがあるが、何かしらその人の年齢以上に気力の衰えのようなものを感じて寂しい気持ちになったものだ。年賀状は受け取るが出さないと言う人もいるが、これはその人の考えだからとやかく言うことではないだろう。

 私は元気でいる限り年賀状作りは続けるつもりだ。今年はどんな写真を入れようか、どんな文章にしようかなどとレイアウトを考えながらパソコンに向かうのも楽しいものだ。以前は12月になる前に印刷に出し、できると毎日少しずつ書いていった。表書きだけだが大変な労力だった。勤めている頃には大晦日はもちろん、元旦を過ぎてもしばらくは書いていたことがあった。今では暇は十分にあるし、パソコンで作るということもできるから楽になった。せめて表書きくらいは直筆でと言う人もいるが、私は悪筆だからパソコンができて本当に助かっている。実際、受け取る年賀状の大多数はパソコンで作ったものになっている。実に見事な字を書かれるある方でも、いつの間にか表書きにはパソコンを使うようになられた。時代の趨勢ということなのだろう。

  しかし、パソコンでの年賀状作りは確かに私のようにかなりの枚数を出す者にとっては便利でいいものだが、それでも何かしら機械的に処理しているような後ろめたい気持ちもある。昔は年が改まって一家で屠蘇や雑煮、お節で元旦を祝った後で、おもむろに年賀状書き(作りではない)をしたものだと聞いたことがあるが、今ではそういうことはほとんどないのではないか。私の義弟は新年になってから出して、親戚のある婦人から、年賀状は元旦に「届く」ようにするものですとたしなめられたとか、かなりの年配の人でもそんな意識になってしまっているのだろう。

  何はともあれ、今年も年賀状を作れるのは元気で過ごしている証しなのだと感謝しながら、とにかく仕上げた。来月半ばになってから印刷して投函し、それで新年を迎えることになる。