中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

会釈

2006-11-18 09:22:22 | 身辺雑記
 近所に細い路がある。2人がどうにかすれ違うことができるくらいの幅だから、荷物を持ったり傘をさしたりしている時にはちょっと体を開くようにして相手を通すようにしなければならない。あまり他人のことにはかまわないような高校生でも、この路ではそのようにする。年配者に多いが、すれ違う時に少し会釈をする人もある。もちろんこちらも会釈をするが、この何でもないようなしぐさはなかなか良いもので、見知らぬ人ともふと心が通い合ったような和やかな気持ちにさせられる。

 以前何かで読んだことがあるが、欧米のホテルなどでは廊下ですれ違う時に、見知らぬ相手でもにこっと微笑むことが多いのは気持ちの良いものだとあった。実際先月、杭州のホテルで朝食を済ませて部屋に戻ろうとした時に、すれ違った長身の白人の夫婦とは笑顔で会釈を交わしたが、和やかな気分になったものだ。他にもそういう経験をしたことは多い。この杭州のホテルは五つ星とかで従業員の教育はよくされているのか、廊下で出会うと立ち止まって少し道を譲るようなしぐさをして、笑顔で会釈するのは中国では珍しいことだった。それでもどこのホテルでも、こちらから「你好(ニイハオ)」と声をかければ、明るく応えてくれるものだ。

 もっともアメリカでも大都会などでは、近頃は廊下ですれ違っても笑顔を交わすことが少なくなってきたということも聞いたことがあるが、どうなのだろうか。そうだとすると、アメリカもぎすぎすした雰囲気の社会になっているのかも知れない。前にもこのブログで書いたことがあるが、挨拶は人間関係を円滑にする潤滑油のようなものだと思う。何も仰々しくすることは要らない。狭い路ですれ違う時にちょっと会釈するようなことでいい。相手に対するささやかな心遣いが、今のような少々殺伐な気配もある時代だからなおさら必要だろう。