中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

内田百

2006-11-23 15:06:26 | 身辺雑記
 久しぶりに本を読みながら大笑いした。

 数日前に、寝る前にベッドで戸山滋比古(とやま・しげひこ)の「ユーモアのレッスン」(中公新書)を読んだ。だいぶ前に買って読んだもので2回目だったが、なかなか面白い。その中で内田百(うちだ・ひゃっけん)が紹介してあった。内田百の名は知ってはいたが作品は一度も読んだことがなく、本人についても何も知らなかった。私自身はユーモアのある人間とはとても言えないし、機知に富んでもいないが、ユーモアについては興味もあるし好きだ。最初に読んだ時には読み流しただけだったが、今回は急に内田百が読みたくなって翌日書店に行くと、書架には1冊だけあったので買い求めた。新潮文庫で「百鬼園随筆」、この文庫に収められた一連の百の作品の最初のものだった。百鬼園は別号で百のもじりのようだ。

 帰ってから読み始めると、これが実に面白い。まさにユーモアの溢れた軽妙洒脱な文章で引き込まれてしまった。文庫本でもあるから一気に読み終わりそうだったが、一度に読んでしまうと勿体ないと思って、その後は電車の中などで少しずつ読んでいた。電車の中で読んだその晩にも例によって就寝前に読んだのだが、その時にある部分を読んで、思わず大笑いしたのだった。ただ一緒に寝た友人の鼾に悩まされたというだけの話なのだが、その鼾の詳細な描写が実におかしく、声を出して笑いながら涙も出してしまい、電車の中でなくて良かったと思った。

 内田百、1889(明治22)年に生まれ、1971(昭和46)年に92歳で没している。明治、大正、昭和を生きた文筆家だから、作品の中で描かれている風俗などは当然その時代のもので古めかしいとも言えるし、文体や使われている言葉も時代がかっている。例えばこんな短い文がある。

  「三越呉服店の配達馬車に人が二人のって止まった。一人が後の戸を開けて、大きな包を出す間、も一人は馭者台で、駆っていた通りに向うを向いていた。何だか河童にいたずらをせられている様で変だと思った。それからまた動き出した時、車が前より少し軽くなっているのは、馬に取ってさぞ妙な気持だろうと思った。」

 ナンセンスとも言えるような一文だが、何かしら面白さ、おかしさがある。

 夏目漱石の門下生であっただけに読んでも退屈したり飽きることがなく、むしろ何かある懐かしさのようなものも感じさせられる。この時代にこの年になって、何をいまさら百でもあるまいと言われるかも知れないが、時代を超えて惹きつけられる作品というものはあるだろう。現に今でも発行されて書店にあるというのは、今も百には根強い人気があるのだろうとも思う。この秋の思わぬ収穫だった。




東福寺

2006-11-23 11:13:06 | 身辺雑記
 卒業生のH君夫妻に誘われて、京都東山の東福寺に紅葉を観に出かけた。平日でもとても混むと聞いていたので、7時半に西宮北口駅で待ち合わせた。最近の私にとっては熟睡中の時刻である6時に起きて7時前の電車に乗ったが、もう通勤通学客で電車は混み合っていた。このような時刻に電車に乗るのは最近ではほとんどない。終点に着くとどっと電車から吐き出されて足早に乗り換え線に向かう乗客の中には、私のような風体の老人は見当たらない。人混みの中を歩きながら、昔は毎日がこうだったなと少し懐かしい気持ちにもなった。

 早く出たこともあって、東福寺には9時半ごろ着いたが、その頃にはもう戻ってくる団体客に出会った。平日より1時間早く8時には門を開いているらしいが、それにしてももう拝観を済ませたのかと少し驚いた。何かしらせわしないものだと思う。団体ツアーとはこんなものなのだろう。団体客が多かったが、それでも予想していたよりは人出は少なくほっとした。

 東福寺は天竜寺、相国寺、建仁寺、万寿寺と共に臨済宗の京都五山の1つで、室町時代に建立された。寺内は広大で伽藍も壮大である。もっともそのほとんどは火災で焼失し、後に再建されたものだ。寺内の紅葉が美しいので名所になり、特に紅葉の季節には参詣すると言うよりは紅葉を観賞する人達でごったがえすようだ。

 紅葉は、細い谷川にかかる通天橋と言う屋根付の橋から見るのが最も美しいと言われている。この谷川は洗玉澗と言い、両岸は美しい紅葉で埋められている。

臥雲橋から通天橋を望む。


通天橋から見る紅葉。

 
寺内のさまざまな紅葉。






 団体客のように時間に追われることもなく、ゆっくり寺内を散策して時を過ごした。昼に近づくにつれて人は多くなって来たが、寺内は広いし、それに大声で話す者もいないから静かな雰囲気で、至極のんびりとした気分になった。中国ではこのような場でも大声を出すものが少なからずいて興を削がれることがよくあるが、こういう点では日本は良いと思う。

国宝の三門(禅寺の門))から本堂を見る。



東司(とうす)。
 東福寺内では最古の建築物で室町時代に立てられた便所。俗称「百雪隠」「百間便所」。説明板に禅宗のものとしては日本最古最大の唯一現存する遺構とあった。修行の始まる朝に修行僧達が用を足した場所だが、さぞ壮観、奇観であったろう。





 H君夫妻とは10月に中国杭州の余杭の山中にある径山寺を訪れたが、東福寺の開山の聖一国師は1235年に宋に渡り、径山寺で修行したと言う。2ヶ月の間に日中の「姉妹寺」を訪れたことになったなとH君夫妻と話し合ったことだった。径山寺には東福寺の僧以外には訪れる日本人は少ないようだから、これも何かの縁なのだろう。

 暖かい穏やかな日で、ゆっくりと楽しむことができた。平日にこういう楽しみを持つことができるのも、今の境遇ゆえで有難いと思う。H君も定年退職し、今は悠々自適の日々を送っている。