久しぶりに本を読みながら大笑いした。
数日前に、寝る前にベッドで戸山滋比古(とやま・しげひこ)の「ユーモアのレッスン」(中公新書)を読んだ。だいぶ前に買って読んだもので2回目だったが、なかなか面白い。その中で内田百(うちだ・ひゃっけん)が紹介してあった。内田百の名は知ってはいたが作品は一度も読んだことがなく、本人についても何も知らなかった。私自身はユーモアのある人間とはとても言えないし、機知に富んでもいないが、ユーモアについては興味もあるし好きだ。最初に読んだ時には読み流しただけだったが、今回は急に内田百が読みたくなって翌日書店に行くと、書架には1冊だけあったので買い求めた。新潮文庫で「百鬼園随筆」、この文庫に収められた一連の百の作品の最初のものだった。百鬼園は別号で百のもじりのようだ。
帰ってから読み始めると、これが実に面白い。まさにユーモアの溢れた軽妙洒脱な文章で引き込まれてしまった。文庫本でもあるから一気に読み終わりそうだったが、一度に読んでしまうと勿体ないと思って、その後は電車の中などで少しずつ読んでいた。電車の中で読んだその晩にも例によって就寝前に読んだのだが、その時にある部分を読んで、思わず大笑いしたのだった。ただ一緒に寝た友人の鼾に悩まされたというだけの話なのだが、その鼾の詳細な描写が実におかしく、声を出して笑いながら涙も出してしまい、電車の中でなくて良かったと思った。
内田百、1889(明治22)年に生まれ、1971(昭和46)年に92歳で没している。明治、大正、昭和を生きた文筆家だから、作品の中で描かれている風俗などは当然その時代のもので古めかしいとも言えるし、文体や使われている言葉も時代がかっている。例えばこんな短い文がある。
「三越呉服店の配達馬車に人が二人のって止まった。一人が後の戸を開けて、大きな包を出す間、も一人は馭者台で、駆っていた通りに向うを向いていた。何だか河童にいたずらをせられている様で変だと思った。それからまた動き出した時、車が前より少し軽くなっているのは、馬に取ってさぞ妙な気持だろうと思った。」
ナンセンスとも言えるような一文だが、何かしら面白さ、おかしさがある。
夏目漱石の門下生であっただけに読んでも退屈したり飽きることがなく、むしろ何かある懐かしさのようなものも感じさせられる。この時代にこの年になって、何をいまさら百でもあるまいと言われるかも知れないが、時代を超えて惹きつけられる作品というものはあるだろう。現に今でも発行されて書店にあるというのは、今も百には根強い人気があるのだろうとも思う。この秋の思わぬ収穫だった。
数日前に、寝る前にベッドで戸山滋比古(とやま・しげひこ)の「ユーモアのレッスン」(中公新書)を読んだ。だいぶ前に買って読んだもので2回目だったが、なかなか面白い。その中で内田百(うちだ・ひゃっけん)が紹介してあった。内田百の名は知ってはいたが作品は一度も読んだことがなく、本人についても何も知らなかった。私自身はユーモアのある人間とはとても言えないし、機知に富んでもいないが、ユーモアについては興味もあるし好きだ。最初に読んだ時には読み流しただけだったが、今回は急に内田百が読みたくなって翌日書店に行くと、書架には1冊だけあったので買い求めた。新潮文庫で「百鬼園随筆」、この文庫に収められた一連の百の作品の最初のものだった。百鬼園は別号で百のもじりのようだ。
帰ってから読み始めると、これが実に面白い。まさにユーモアの溢れた軽妙洒脱な文章で引き込まれてしまった。文庫本でもあるから一気に読み終わりそうだったが、一度に読んでしまうと勿体ないと思って、その後は電車の中などで少しずつ読んでいた。電車の中で読んだその晩にも例によって就寝前に読んだのだが、その時にある部分を読んで、思わず大笑いしたのだった。ただ一緒に寝た友人の鼾に悩まされたというだけの話なのだが、その鼾の詳細な描写が実におかしく、声を出して笑いながら涙も出してしまい、電車の中でなくて良かったと思った。
内田百、1889(明治22)年に生まれ、1971(昭和46)年に92歳で没している。明治、大正、昭和を生きた文筆家だから、作品の中で描かれている風俗などは当然その時代のもので古めかしいとも言えるし、文体や使われている言葉も時代がかっている。例えばこんな短い文がある。
「三越呉服店の配達馬車に人が二人のって止まった。一人が後の戸を開けて、大きな包を出す間、も一人は馭者台で、駆っていた通りに向うを向いていた。何だか河童にいたずらをせられている様で変だと思った。それからまた動き出した時、車が前より少し軽くなっているのは、馬に取ってさぞ妙な気持だろうと思った。」
ナンセンスとも言えるような一文だが、何かしら面白さ、おかしさがある。
夏目漱石の門下生であっただけに読んでも退屈したり飽きることがなく、むしろ何かある懐かしさのようなものも感じさせられる。この時代にこの年になって、何をいまさら百でもあるまいと言われるかも知れないが、時代を超えて惹きつけられる作品というものはあるだろう。現に今でも発行されて書店にあるというのは、今も百には根強い人気があるのだろうとも思う。この秋の思わぬ収穫だった。