中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

老いについてのことば(6)

2008-09-03 08:19:18 | 身辺雑記
 若い人にとっては、老人から老いについて聞かされることはあまり興味を惹かれることではないのだろう。血気盛んな時期には老いは遠いものだから。まして老いの繰言であればなおさら聞きたくもないだろう。それでももし、若い人に老いも含めた人生の問題について問われたら、どのように答えればいいのだろうか。

 
 少なくともわしの見るところでは間違いなく、全ての仕事に満ち足りることが人生に満ち足りることになる。少年期には少年期の仕事がちゃんとあるが、だからといって青年がそれを愛惜するだろうか。青年期の入口にある仕事を、中年と呼ばれるすでに安定した世代が追い求めるだろうか、中年期にはもちろん仕事があるが、老年になってそれが欲しがられたりはしない。そして老年にはいわば最後の仕事がある。それ故、前の各世代の仕事が消えていくように、老年の仕事も消えてなくなるのだ。そしてそうなった時には、人生に満ち足りて死の時が熟するのである。
 
 ・・・・しかし仮に、われわれは不死なるものになれそうにないにしても、やはり人間はそれぞれふさわしい時に消え去るのが望ましい。自然は他のあらゆるものと同様、生きるということについても限度をもっているのだから。因みに、人生における老年は芝居における終幕のようなもの。そこでへとへとになることは避けなければならない、とりわけ十分に味わい尽くした後ではな。
 ―キケロー(中務哲郎訳)『老年について』(岩波文庫 2004年)

(コメント)
 古代ローマの哲学者であり政治家であったキケローが、政治家・文人の大カトーが2人の若者に生、死、老について語るという形式をとった対話編。古代ギリシャの歴史には疎いから、当時の人名や逸話が多く出てくるこの本は私には少し読みづらいものだが、それでも拾い読みしていると心を惹かれるところは少なくない。「全ての仕事に満ち足りる」ということは理想ではあるが、現実にはなかなか困難なことで、彼の言によれば、それでは人生に満ち足りたことにはならないことになるけれども、凡人には適当に満足するほかはないのだろう。今の私は老年を十分に味わいつくしてはいないが、へとへとにもなっていない。若い人に語るに値しない人生であったし、今の老年の日々だが、それほど悪いものでもないように思う。