書店で名前は知っていたが、これまで開いてみたことのなかった雑誌を手にとって見た。一見したその内容からかなり右派的な雑誌のようで、この号は「偽りの『日中友好』などいらない」という中国批判記事を特集していて、その中に「レンタル・パンダなんて突っ返せ」という記事があった。筆者はコラムニストやらの肩書きだが、テレビのワイドショーでコメンテイターとして出演しているのを何回か見たことがある。ちょっと興味を惹かれてざっと読んでみたが、いささか驚いた。
冒頭、筆者は「そもそも私はジャイアント・パンダが大嫌いである」と切り出している。人には好き嫌いがあるから、大方が可愛い動物と思っているだろうパンダが嫌いだと言う者がいてもおかしくはない。それでも「大嫌い」と言うのはいったいどういう理由なのだろうと思ってみると、要するに先に発見されたのはレッサーパンダなのに、後から見つかったジャイアント・パンダが、パンダ一族の正統を簒奪したというのがその理由らしい。確かにレッサーパンダの標本が発見されたのは1773年、ジャイアントパンダの毛皮が発見されたのは1864年で、当初はレッサーパンダがパンダと呼ばれていたが、ジャイアントパンダが発見されるとやはりパンダとされ、区別するためにその大きさからジャイアント、レッサー(小型の)をそれぞれ冠するようになったのが経緯である。単なる動物分類学上の問題で、それがどうしてこの筆者の言うような「パンダ一族の正統を簒奪した」ということになるのか。そもそも「パンダ一族の正統」とは何なのか。素人じみた主観的で笑止な論というほかはない。
実はこれはこの記事の出だしであって、彼の言いたいことは中国がおこなってきたジャイアントパンダの国際的な贈貸与の批判にあるのだ。それを言うためにパンダの悪口を持ち出したとしか思えない。彼はこうも言う。 (中国が)倫理や道徳や国際的な約を束ごとを踏みにじって、理不尽な居座り、開き直りをするあたり、ジャイアント・パンダは支那のシンボルにふさわしい・・・・と。ここまで書くと、もう中国憎しの感情が先立って、何の罪もないパンダを犠牲に仕立て上げているように思えてくる。
A4ワイド版のこの雑誌の2ページを占めるこの記事の後半は、中国の「パンダ外交」は欺瞞だと言う論に終始しているが、それはさておいて彼は中国を「支那」と呼び「中国」とは言わない。ここには彼の中国蔑視観が示されている。「支那」はかつて我が国では学術論文にも使われていた呼称であるが、今では蔑称として中国人は嫌う。もう死語扱いになっているようで、私のパソコンで「しな」を入れても「支那」には変換しない。それを一部の日本人がことさらに使う場合には明らかに中国に対する反感、何よりも蔑視がある。だいたい、ある国が名乗っている正式な国名、あるいは略称をいくらその国が嫌いだからといって他の呼称で呼ぶのは、節度がないし傲慢である。少し違うが、JAPは日本(人)に対する米国人が使う蔑称だった。今それを使う者がいて、いくらこれはJapanあるいはJapaneseの略称だと強弁しても納得する日本人はいないだろう。この論者は中国の主席も胡錦濤と呼び捨てである。よほど自分を中国に対して高みに置いているようで、小者ぶりが露わである。
彼の文章は「あの目のまわりの黒い模様をホワイトで消してみるがいい。ただの凶暴な熊が現われる」と結んでいるが、そこまでパンダ(中国)が憎いかと言いたくなる。テレビで彼の発言を聞いていると、右派的傾向があり、嫌中国感情を持っているらしいとは何となく感じていたが、ここまで強烈な反中国論者だとは思わなかった。この雑誌は創刊当初はリベラルな編集方針だったのが、今では「保守愛国を志向する購読者層の要望に応える内容を売りとする硬派な雑誌として人気がある」(Wikipedia)のだそうだ。だから彼も執筆者に選ばれたのだろうが、このように書き散らしたような、人の中にある低い感情を煽るような文章でも共感が得られるのか。「保守愛国」が反中国と重なるところが何か悲しい。
冒頭、筆者は「そもそも私はジャイアント・パンダが大嫌いである」と切り出している。人には好き嫌いがあるから、大方が可愛い動物と思っているだろうパンダが嫌いだと言う者がいてもおかしくはない。それでも「大嫌い」と言うのはいったいどういう理由なのだろうと思ってみると、要するに先に発見されたのはレッサーパンダなのに、後から見つかったジャイアント・パンダが、パンダ一族の正統を簒奪したというのがその理由らしい。確かにレッサーパンダの標本が発見されたのは1773年、ジャイアントパンダの毛皮が発見されたのは1864年で、当初はレッサーパンダがパンダと呼ばれていたが、ジャイアントパンダが発見されるとやはりパンダとされ、区別するためにその大きさからジャイアント、レッサー(小型の)をそれぞれ冠するようになったのが経緯である。単なる動物分類学上の問題で、それがどうしてこの筆者の言うような「パンダ一族の正統を簒奪した」ということになるのか。そもそも「パンダ一族の正統」とは何なのか。素人じみた主観的で笑止な論というほかはない。
実はこれはこの記事の出だしであって、彼の言いたいことは中国がおこなってきたジャイアントパンダの国際的な贈貸与の批判にあるのだ。それを言うためにパンダの悪口を持ち出したとしか思えない。彼はこうも言う。 (中国が)倫理や道徳や国際的な約を束ごとを踏みにじって、理不尽な居座り、開き直りをするあたり、ジャイアント・パンダは支那のシンボルにふさわしい・・・・と。ここまで書くと、もう中国憎しの感情が先立って、何の罪もないパンダを犠牲に仕立て上げているように思えてくる。
A4ワイド版のこの雑誌の2ページを占めるこの記事の後半は、中国の「パンダ外交」は欺瞞だと言う論に終始しているが、それはさておいて彼は中国を「支那」と呼び「中国」とは言わない。ここには彼の中国蔑視観が示されている。「支那」はかつて我が国では学術論文にも使われていた呼称であるが、今では蔑称として中国人は嫌う。もう死語扱いになっているようで、私のパソコンで「しな」を入れても「支那」には変換しない。それを一部の日本人がことさらに使う場合には明らかに中国に対する反感、何よりも蔑視がある。だいたい、ある国が名乗っている正式な国名、あるいは略称をいくらその国が嫌いだからといって他の呼称で呼ぶのは、節度がないし傲慢である。少し違うが、JAPは日本(人)に対する米国人が使う蔑称だった。今それを使う者がいて、いくらこれはJapanあるいはJapaneseの略称だと強弁しても納得する日本人はいないだろう。この論者は中国の主席も胡錦濤と呼び捨てである。よほど自分を中国に対して高みに置いているようで、小者ぶりが露わである。
彼の文章は「あの目のまわりの黒い模様をホワイトで消してみるがいい。ただの凶暴な熊が現われる」と結んでいるが、そこまでパンダ(中国)が憎いかと言いたくなる。テレビで彼の発言を聞いていると、右派的傾向があり、嫌中国感情を持っているらしいとは何となく感じていたが、ここまで強烈な反中国論者だとは思わなかった。この雑誌は創刊当初はリベラルな編集方針だったのが、今では「保守愛国を志向する購読者層の要望に応える内容を売りとする硬派な雑誌として人気がある」(Wikipedia)のだそうだ。だから彼も執筆者に選ばれたのだろうが、このように書き散らしたような、人の中にある低い感情を煽るような文章でも共感が得られるのか。「保守愛国」が反中国と重なるところが何か悲しい。