中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

老入(おいれ)

2008-09-13 09:31:51 | 身辺雑記
 『日本人なら身につけたい江戸の「粋」』(植月真澄 河出書房新社)という新書版の本を読んだ。江戸時代の町人の生き方の根底には「粋(いき)」というものがあったことを述べたもので、粋な生き方は現代にも通じるものが少なからずあるという内容だ。

 その最終章の「人生を『粋』に仕上げる」の最初に「老入」という言葉が出てくる。初めて見た言葉だが、広辞苑にも「オイイレの約」とある。これは今で言う老後の意味だが「老後ということばにふくまれるネガティーブなイメージは感じられない」と著者は言い、さらに続けて言う。

 江戸の人々は、この日を楽しみにし、この日をどう迎えるか、以降の日をどう生きるかを考えていたのだ。「老入」の〝老い″には、生命を重ねて生きる〝生い″のイメージも含まれているのである。

 老入を迎えたらどうするのか。望むのは楽隠居であった。家督を息子に譲り、自分は、趣味などかねがねしたかったことを楽しみながら老いの日を送ることが善しとされていたようだ。「好き」を追い求めるものだ。それに、この本に引用されている江戸中期の俳人であった与謝蕪村の「とし守夜(もるよ)老いはとふとく見られたり」の句のように、老人の知恵と長年蓄積された情報が珍重され、年寄りは社会に欠かせない存在として認められていたという。その日暮らしの庶民の老入もこうであったかのかは疑問が残るが、とにかくいつまでもあくせくと働くことは考えなかったのだろう。

 翻って今を見ると、簡単には老入の日は迎えられない。60歳の定年を迎えても年金はすぐには受け取れない。その年金もさまざまな問題を生んでいる。世の中の変化は急速だから、老人の知恵を求められることもほとんどない。楽隠居など遠い時代の話だと言う人は多いだろう。また功なり名を遂げても、財界人や政治家のようにいつまでもその地位に留まって、生臭さを漂わせる向きもある。もちろん芸術家や文芸に携わる人はいくつになっても自分の道を追い求め、深めていて、それはそれで尊敬すべきなのだが、多くの無名の庶民は楽隠居もできず、さりとて生きるために仕事をすることもままならぬ。

 私自身はいわゆる年金生活者で、ある意味では気楽な生活をさせてもらってはいるが、楽隠居というイメージには遠い。それに、まだまだ浮世のことを慨嘆したり、理不尽さに怒りを持つことは多い。生臭さが抜けきれないのだろう。それにこの本を読んでいて、私の生活に最も欠けていると思われたことは、もう伴侶がいないことだ。水野澤斎という人物が紹介されていて、彼は『養生辨』という書を著し、その中で「身を修めるは夫婦和合を以ってはじめとなす」と言っているそうだ。この本の著者は、何もかもわきまえた古女房ほど心休まる存在はないということに落ち着いたのだと言う。よく理解できることだ。私は老入を迎えてから妻を喪った。いまさら喪った者を追い求めても詮無いことだが、もし生きていれば今の生活はもっとしっとりしたものになっているだろうにと思う。