中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

忘年交

2009-01-02 10:33:22 | 身辺雑記
 大阪の会社に勤めている西安人の邵利明(明明ミンミン)が、「爺爺イエイエと私は忘年交ワンニエンチャオですね」と言った。聞きなれない言葉だったから聞き返すと「年の離れた友達ということです」と言った。

 日本にはこのような言葉はあるのかと調べてみると、「忘年の友」があった(広辞苑)。不学にして、この年になるまで知らなかったが、出典は中国の陳書の江総伝という書のようで「年齢の差にかかわりなく親しく交わる友」とあり、「忘年の交わり」とも言うようだ。私と明明の年齢差は45歳くらいで世代も違うが、やはり友達としか言いようがない関係だから、まさに「忘年交」なのだ。

 一昨年、東京にいる上海人の施路敏(敏敏ミンミン)に誘われて南京の祖父母の家に行った時、訪ねてきた敏敏の従姉が私を見て「誰?」と尋ねたら、敏敏は「日本の友達」と答えた。その時は、中国では年が離れていても友達と言うのだなと知った。今思えば忘年交と言うことで、中国では珍しくないことなのかも知れない。

 日本では年齢や世代の離れたもの同士が、互いに友達と考え、呼び合うことは少なく、先輩後輩の関係のようになるのではないだろうか。またあっても、それが私や明明のように男と女だと、何となく色恋沙汰があるように勘ぐったりしないだろうか。

 若者についての著書や発言の多い精神科医で1960年生まれの香山リカさんは、ネット族などから悪罵を投げられることが多いらしいが。その中で一番多いのが「ババア」だそうだ。女子高校生などは20代の男性を「オジサン」とか「オジン」などと言うようだが、若者から見れば私などは「化石」、「墓石」なのだそうだ。このようにして若い世代の側から年配者との間に溝を作ってしまうし、高年者の方でも「若い者は」と敬遠することが多いから、忘年の交わりなどができることは難しいようだ。

 残念ながら私には忘年の友は日本にはほとんどいない。50代にはいないことはないが、それより若い世代には皆無だ。しかし中国にはいる。西安の李真や袁毅、謝俊麗も、上海の唐怡荷や梁莉も20代、30代で、皆私を爺爺とかおじいちゃんなどと呼んでいるが、私にとっては友達で、おそらく彼女達もそう思っているだろうと思う。

 もっとも明明に言わせると、中国でも明明より若い世代、いわゆる「80後(パァリンホウ)」と言われる80年代以後に生まれた世代の若者たちには、忘年交ということは希薄だそうだ。この世代には日本と同じようにネット族が多いし、一人っ子政策の申し子でもあるから、中国人にとっても少し肌合いが違うと感じられるようだ。良きにつけ悪しきにつけ、中国人の気質もだんだん変わってくるのだろう。

 世代の違い、国の違いはあっても友達は良いものだ。大切にしていきたい。

             上海で