東京八王子の市立中学3年生の女子生徒2人が傷害容疑で逮捕され、仲間の下級生の女子生徒3人は児童相談所に送致、通告するという記事を見た。
この女子生徒達は昨年11月に市立小学校の校庭で、品川区立の小学6年の女児の腕に「私はぶりっ子です」と書きこみ、ライターで髪の毛を焦がしたうえ、足に軽傷を負わせ、また12月にはJR八王子駅近くの路上で、通りかかった塾帰りの私立中学1年の女子生徒に声をかけ、ビルのトイレに連れ込んで頭や顔を殴るなどして、3週間の傷を負わせたという。このような暴行傷害を昨年1年間に10人くらい「ボコボコにした」と供述したようだ。
主犯格の女生徒は「両親が離婚して私は不幸。金持ちはむかつく。かわいい服や私立中の制服を着た幸せなやつは許せなかった」、「ぶりっ子や幸せそうな女の子を見るとむかつく」と言っているそうだ。他にも「話し方がぶりっ子で、親に愛されている気がした」などの理由で、暴行を加えていたようだ。
いかに精神面では未熟さがある年頃と言っても、このような行為はひどいものだ。不良少女としか言いようがない。確かに5人のうち3人の家庭は両親が離婚という不幸な境遇にあるようで、いずれも家庭では放任、放置状態だったのだろうと想像する。だから幸せそうな同世代の子を見ると羨ましく思ったり、妬ましく思ったりすることはあるだろう。そのような境遇はこの子達の責任ではないだけに同情の余地はある。だからと言って集団で暴力行為に及ぶのは、やはり許してはならないことで厳しく処置するべきだと思う。理不尽な理由で弱い者に集団で暴力を加えることは悪質で卑劣な犯罪行為だということを思い知らせてやることが、この子達のためだと思う。このような歪んだ考え方や行為を可能な限り矯正してやらなければ、長じても同様なことをして、暗い人生を歩むことになるだろう。
昨年は身勝手で理不尽な動機で、見知らぬ他人を殺傷する事件が多くあった。素人考えだが、そのような行為を犯した者の精神状態は青年期以後になって突然顕在化するものではなく、おそらくは10代の頃にその芽はあったのではないか。それが自分の意志や意欲ではどうにもならない環境の中に置かれて鬱屈し、反社会的な暴力行為として顕われるのではないだろうか。この少女達の事件はそのミニアチュア版のように思われた。
この女子生徒達は昨年11月に市立小学校の校庭で、品川区立の小学6年の女児の腕に「私はぶりっ子です」と書きこみ、ライターで髪の毛を焦がしたうえ、足に軽傷を負わせ、また12月にはJR八王子駅近くの路上で、通りかかった塾帰りの私立中学1年の女子生徒に声をかけ、ビルのトイレに連れ込んで頭や顔を殴るなどして、3週間の傷を負わせたという。このような暴行傷害を昨年1年間に10人くらい「ボコボコにした」と供述したようだ。
主犯格の女生徒は「両親が離婚して私は不幸。金持ちはむかつく。かわいい服や私立中の制服を着た幸せなやつは許せなかった」、「ぶりっ子や幸せそうな女の子を見るとむかつく」と言っているそうだ。他にも「話し方がぶりっ子で、親に愛されている気がした」などの理由で、暴行を加えていたようだ。
いかに精神面では未熟さがある年頃と言っても、このような行為はひどいものだ。不良少女としか言いようがない。確かに5人のうち3人の家庭は両親が離婚という不幸な境遇にあるようで、いずれも家庭では放任、放置状態だったのだろうと想像する。だから幸せそうな同世代の子を見ると羨ましく思ったり、妬ましく思ったりすることはあるだろう。そのような境遇はこの子達の責任ではないだけに同情の余地はある。だからと言って集団で暴力行為に及ぶのは、やはり許してはならないことで厳しく処置するべきだと思う。理不尽な理由で弱い者に集団で暴力を加えることは悪質で卑劣な犯罪行為だということを思い知らせてやることが、この子達のためだと思う。このような歪んだ考え方や行為を可能な限り矯正してやらなければ、長じても同様なことをして、暗い人生を歩むことになるだろう。
昨年は身勝手で理不尽な動機で、見知らぬ他人を殺傷する事件が多くあった。素人考えだが、そのような行為を犯した者の精神状態は青年期以後になって突然顕在化するものではなく、おそらくは10代の頃にその芽はあったのではないか。それが自分の意志や意欲ではどうにもならない環境の中に置かれて鬱屈し、反社会的な暴力行為として顕われるのではないだろうか。この少女達の事件はそのミニアチュア版のように思われた。