信州でイナゴの甘露煮を買った。なかなか旨いものだ。
イナゴには懐かしい想い出がある。戦争中に東京の小学校にいた時、米軍の空襲を避けて宮城県の鳴子町に集団学童疎開をした。鳴子は温泉の町、こけしの町として有名な所で、ここで東京では味わえないいろいろな経験をしたが、そのひとつにイナゴ(蝗)捕りがあった。
イナゴは「稲子」で、稲田に多くいて稲にとっては害虫だ。稲刈りが終わった頃だったか、先生に引率されて稲田に行きイナゴを捕って手に持った小さい布袋に入れた。イナゴは捕まえやすく、すぐに袋はイナゴでいっぱいになった。学校では200人以上の児童がいたから持ち帰ったイナゴはかなりの量になったと思う。これを宿の中庭の隅に据えてあった大きな釜のそばに置いておいたが、やがてあたりに異臭が漂った。釜の中でイナゴを茹でているその臭いだった。こうするとイナゴは腹の中のものを出してしまう。このようにしたイナゴを筵に広げて干していた。それを今度は釜の中で砂糖や醤油を加え、大きなしゃもじでかき回しながら炒りつけると、あたりには香ばしい香りが立ち込めた。一部始終を見ていたわけではないが、ざっとこのような手順だった。こうして出来上がったイナゴの甘露煮は夜の食膳に上がり、私たちは初めてのものだったが、食料が豊かではなかったから嫌がることもなく食べた。
イナゴのような昆虫を食べることは、悪食、ゲテモノ喰いのように思えるが、『世界奇食大全』(杉岡幸徳 文春新書)によると、それは偏見だそうで、アメリカの人類学者のマーヴィン・ハリスの次のような言葉を紹介している。
「わたしたちが昆虫を食べないのは、昆虫がきたならしく、吐き気をもよおすからではない。そうではなく、私たちは昆虫を食べないがゆえに、それはきたならしく、吐き気をもよおすものなのである」
逆説的なようだが何となく納得できる。そして杉岡氏はもちろん昆虫食は我が国でも広く行われていたと言い、「たとえば、1918年に三宅恒方博士が行った調査によると、ほとんどすべての道府県で、虫が食料とされていたことがわかっている。例外は、大阪や香川などの4府県に過ぎない」としている。この調査はかなり古いものだが、当時は、トンボ、カマキリ、コオロギ、ガムシ、ゲンゴロウ、ハチなど55種に及ぶと言う。最もよく昆虫を食べていたのは長野県だったようだが、どのようにして食していたのだろうか。今日でも長野県はよく昆虫を食べていて、代表的なものにハチの子や、渓流魚釣りの餌に使われるザザムシ(ヘビトンボ、カゲロウ、カワゲラなどの幼虫)がある。信州でイナゴの甘露煮を買った時にザザムシの佃煮の瓶詰めも見た。少々高いので買わなかったが惜しいことをしたと思っている。
昆虫食は世界的にもあるようで、テレビで熱帯のある地方で、原住民が切り倒した木の幹の中から大きな甲虫の幼虫を取り出してそのまま食べるのを見たことがある。彼らにとってはクリーミーなこの上ないご馳走らしいが、かなりゲテ物でも食べる私でも、これだけはたぶん食べられないだろうと思った。
中国でも昆虫はよく食べられ、これまでにもいろいろな昆虫を食べたことがある。広西チュワン族自治区では、カイコを小さくしたような、たぶん何かの幼虫と思われるものの空揚げを食べたし、貴州省ではハチの空揚げ、広州ではゲンゴロウや、おそらくガかチョウの蛹を炒めたもの、昆虫ではないが、北京では北京ダックの付け合せになっているサソリの空揚げを食べた。ゲンゴロウは殻が硬くて身には少々臭いがあって、あまり旨いとは思わなかったが、他のものは結構食べられた。
幼虫
ゲンゴロウ
蛹
考えてみると昆虫やサソリ(クモ類)は私たちが常食しているエビやカニと同じ節足動物だから食べられないものではないはずだ。むしろそれなりに旨いものであるはずだし、たんぱく質も豊富だ。とは言っても、身近にいるセミやバッタなどはちょっと捕って食べる気は起こらない。イナゴは多く捕れるものなら集めて少年時代に見た料理法で食してみたいとは思うが、近所の稲田には農薬のせいか姿を見かけることがないのが残念だ
イナゴには懐かしい想い出がある。戦争中に東京の小学校にいた時、米軍の空襲を避けて宮城県の鳴子町に集団学童疎開をした。鳴子は温泉の町、こけしの町として有名な所で、ここで東京では味わえないいろいろな経験をしたが、そのひとつにイナゴ(蝗)捕りがあった。
イナゴは「稲子」で、稲田に多くいて稲にとっては害虫だ。稲刈りが終わった頃だったか、先生に引率されて稲田に行きイナゴを捕って手に持った小さい布袋に入れた。イナゴは捕まえやすく、すぐに袋はイナゴでいっぱいになった。学校では200人以上の児童がいたから持ち帰ったイナゴはかなりの量になったと思う。これを宿の中庭の隅に据えてあった大きな釜のそばに置いておいたが、やがてあたりに異臭が漂った。釜の中でイナゴを茹でているその臭いだった。こうするとイナゴは腹の中のものを出してしまう。このようにしたイナゴを筵に広げて干していた。それを今度は釜の中で砂糖や醤油を加え、大きなしゃもじでかき回しながら炒りつけると、あたりには香ばしい香りが立ち込めた。一部始終を見ていたわけではないが、ざっとこのような手順だった。こうして出来上がったイナゴの甘露煮は夜の食膳に上がり、私たちは初めてのものだったが、食料が豊かではなかったから嫌がることもなく食べた。
イナゴのような昆虫を食べることは、悪食、ゲテモノ喰いのように思えるが、『世界奇食大全』(杉岡幸徳 文春新書)によると、それは偏見だそうで、アメリカの人類学者のマーヴィン・ハリスの次のような言葉を紹介している。
「わたしたちが昆虫を食べないのは、昆虫がきたならしく、吐き気をもよおすからではない。そうではなく、私たちは昆虫を食べないがゆえに、それはきたならしく、吐き気をもよおすものなのである」
逆説的なようだが何となく納得できる。そして杉岡氏はもちろん昆虫食は我が国でも広く行われていたと言い、「たとえば、1918年に三宅恒方博士が行った調査によると、ほとんどすべての道府県で、虫が食料とされていたことがわかっている。例外は、大阪や香川などの4府県に過ぎない」としている。この調査はかなり古いものだが、当時は、トンボ、カマキリ、コオロギ、ガムシ、ゲンゴロウ、ハチなど55種に及ぶと言う。最もよく昆虫を食べていたのは長野県だったようだが、どのようにして食していたのだろうか。今日でも長野県はよく昆虫を食べていて、代表的なものにハチの子や、渓流魚釣りの餌に使われるザザムシ(ヘビトンボ、カゲロウ、カワゲラなどの幼虫)がある。信州でイナゴの甘露煮を買った時にザザムシの佃煮の瓶詰めも見た。少々高いので買わなかったが惜しいことをしたと思っている。
昆虫食は世界的にもあるようで、テレビで熱帯のある地方で、原住民が切り倒した木の幹の中から大きな甲虫の幼虫を取り出してそのまま食べるのを見たことがある。彼らにとってはクリーミーなこの上ないご馳走らしいが、かなりゲテ物でも食べる私でも、これだけはたぶん食べられないだろうと思った。
中国でも昆虫はよく食べられ、これまでにもいろいろな昆虫を食べたことがある。広西チュワン族自治区では、カイコを小さくしたような、たぶん何かの幼虫と思われるものの空揚げを食べたし、貴州省ではハチの空揚げ、広州ではゲンゴロウや、おそらくガかチョウの蛹を炒めたもの、昆虫ではないが、北京では北京ダックの付け合せになっているサソリの空揚げを食べた。ゲンゴロウは殻が硬くて身には少々臭いがあって、あまり旨いとは思わなかったが、他のものは結構食べられた。
幼虫
ゲンゴロウ
蛹
考えてみると昆虫やサソリ(クモ類)は私たちが常食しているエビやカニと同じ節足動物だから食べられないものではないはずだ。むしろそれなりに旨いものであるはずだし、たんぱく質も豊富だ。とは言っても、身近にいるセミやバッタなどはちょっと捕って食べる気は起こらない。イナゴは多く捕れるものなら集めて少年時代に見た料理法で食してみたいとは思うが、近所の稲田には農薬のせいか姿を見かけることがないのが残念だ