中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ドライバーとアルコール依存症

2009-09-11 11:20:25 | 身辺雑記
 福岡県警の49歳の警部補が泥酔状態で車を運転し、国道を逆走して前から来た50代の女性の車と衝突、顔面打撲などの怪我を負わせて逃走した。直後に逮捕され当然のことながら懲戒免職となり、酒気帯び運転の罪で起訴された。公務員まして警察官としての規範意識皆無の人物だが、かねがね飲酒量が多くアルコール依存症ではないかとされて、上司からも注意されていたらしい。

 ドライバーとアルコール依存症との関係について厚生労働省の研究班の調査が発表された。それによると飲酒運転で2回以上検挙されたことがある男性ドライバーの3人に1人が、アルコール依存症の疑いがあり、検挙の回数に応じて依存症の可能性も高まる傾向にあることが分かったとのことだ。

 研究班のメンバーの医師は、「飲酒運転の常習者ほどアルコール依存症の可能性が高いことがあらためて裏付けられた。悲惨な事故をなくすためには厳罰化だけでなく、依存症のドライバーに治療や教育を受けさせる仕組みを早急につくる必要がある」と話しているそうだ。

 至極もっともなことで、米国などに比べるとアルコール依存症患者の更生プログラムについては日本は遅れているようだ。上記の元警部補もアルコール依存症の疑いが濃厚だったのに、適切な改善策が講じられなかった。飲酒運転を取り締まる警察としては何とも生ぬるいことで、警察そのものが飲酒運転に対する強い姿勢が乏しいと言われても仕方があるまい。該当者を処分するだけではすまない、県警全体として襟を正す問題だ。

 アルコール依存症は病気であるが、厄介なことに本人は病気という自覚がなく、自制心も欠如しているからどんどん重症になっていくようだ。だからいくら本人自身に改善を求めても効果はない。家族や職場など身近なものが協力し、時には強制力も行使しなければ回復は望めない。依存症患者は飲酒運転など他人に被害を与えるだけでなく、本人も廃人になる。そのあたりを自覚させるようなプログラムが必要だ。アルコール依存症からの脱却は覚醒剤や麻薬常習の場合と同じように非常な苦痛を伴うものらしいが、それでも本人のためになることだから何とかしなくてはならないだろう。

 乗るなら飲まない、飲んだら乗らないということは、罰金が重くなったこともあって最近はかなり徹底してきたようだが、それでも飲酒運転は絶えない。そこで最近、大手自動車メーカーではそれを防止する装置を開発しているらしい。例えばドライバーが飲酒している場合には自動的にエンジンがかからなくなるなどいろいろと工夫しているようだ。アルコールを検出する装置を車内に置き、息を吹きかけて飲酒状況を確認する。一定以上のアルコールを検出すると、濃度に応じて警報が鳴ったり、エンジンがかからないように自動的にロックしたりする仕組みになっているそうだ。いろいろと考えてはいるようだが、このような装置を装備するにはかなり費用がかるだろうから、普及するにしても時間がかかるだろう。それにかなり酔った者が自発的に装置に呼気を吹きかけるかどうかも分からない。

 私はアルコール類はほとんど口にしないから、飲酒の楽しみを知らない代わりに、酒に飲まれた経験もない。楽しい酔人と陽気に話し合ったこともあるし、不愉快な酔いどれに辟易したこともある。酒についてはまったくの第3者のようなものだからその功罪についてあれこれ言う資格はないが、アルコール依存症だけは何とかしなくてはならないだろうと考えている。

 余談ではあるが、「依存症」は普通「いぞんしょう」と発音している。それでもいいが、正しくは「いそんしょう」とのことだ。もっともこのパソコンでは「いそんしょう」と打ち込んでも「依存症」には変換されない。