最近次のような記事を読んだ。
「職場での受動喫煙防止を議論してきた厚生労働省の有識者検討会は、労働者の健康を守る観点から一般の事務所や工場は原則禁煙とし、やむを得ない場合は一定の要件を満たす喫煙室の設置を事業者に義務づけることなどを柱とした報告書をまとめた。厚労相の諮問機関の労働政策審議会で具体的内容を詰め、来年の通常国会に労働安全衛生法改正案の提出を目指す。(以下略)」
私は次男が生まれた年、31歳までタバコを吸っていた。1日に1箱かそれ以上吸っていたからヘビースモーカーの部類には入るのだろう。本数はともかく、今にして当時の自分を思い出すと、吸い方がだらしなく意地汚くさえあったと忸怩たる思いがする。朝起きたらすぐ火をつける。食事前に一服する。食後にまた一服。家を出て駅に向かう途中は歩きながら吸う。これが一番自堕落な姿だったと思う。学校に着くと一服。授業の合間にも必ず吸う。こういう調子だから、当時は受動喫煙という言葉はなかったが、喫煙しない人、タバコの煙が嫌いな人のことは考えることはなかった。そういうことでは喫煙者は自己中心的なところがある。
次男が生まれたころは、職場での精神的な悩みもあって体調不良となり、いらいらすることが多くなり、当時よく目にした言葉では「不定愁訴」、ノイローゼ状態になった。気持ちを落ち着けようと思ってタバコを口にしてもだめで、あるとき思い切ってまだ数本残っている箱をゴミ箱に捨ててしまい、それ以来40数年まったく吸っていない。
喫煙を止めると、タバコというものがいかに嫌なものかを折に触れて実感するようになった。私が勤務した教育委員会事務局のある課の1室はさほど広くはなかったが、そこに20人くらいが勤務していて、喫煙者は多かった。とりわけ私のいた係では私と事務の女性以外は喫煙し、私は前と左右からヘビースモーカー達の濃厚な煙の中に絶えず晒され、気分が悪くなるほどだった。
その後、最後の勤務をした高校では職員会議の時の煙に悩まされた。最初に勤めた頃は会議中の煙などは気にもならなかったが、禁煙してみるとそれは我慢ができないくらいだった。そういう人は私以外にもいたのだろうが、当時は「会議中は禁煙しましょう」という提案をする者はなかった。すれば喫煙者に白眼視されかねなかった。それほどかつての私のように、他人の迷惑には無頓着、無神経な喫煙者が幅を利かせていた。
だから厚生労働省の今回の一般の事務所や工場は原則禁煙とするという報告書には賛成だ。喫煙者の不満の声が聞こえそうだが、これが時勢というものだろう。一般の飲食店でも禁煙するようにしてほしいと思うが、2月に厚生労働省が健康増進法に基づいて多数の人が利用する施設では原則前面禁煙を求める通知を出したそうだが、これは努力規定にとどまっているようだから、まだまだ実現は難しいだろう。
Hg君の家では屋内禁煙にしている。部屋が汚れることを奥さんが嫌うのか、奥さんの受動喫煙を気遣っているのかは知らないが、Hg君やHr君、時々来るKo君などは吸いたくなると、たとえ寒い冬のさなかでも外に出る。これは昔の私はしなかった殊勝な行動だ。それなのにその彼らは外で食事をする時には席に着いた途端にタバコの箱を取り出すことがよくある。さすがに食事中には吸わないが、食後は必ず吸う。食後の後の一服の旨いことは今でも覚えているが、吸わなくなった今では食後の満足感も減退するから、時には煙を手で払ったりして嗅がないようにする。これはタバコを吸わない者の悲哀だと思う。Hg君の奥さんがそばにいても遠慮しないから、彼の家の中での禁煙は奥さんの受動喫煙を心配してのものではなさそうだ。秋にはタバコは値上がりするというが、おそらく彼らが禁煙することはないだろう。
最近は受動喫煙が有害なことはよく言われる。研究された結果では受動喫煙が引き起こす障害として 小児では突然死、学童期の咳、息切れ、小児喘息、成人では心筋梗塞、狭心症、動脈硬化、肺癌など多岐にわたるようだ。長男が生まれた時は小さい家に住み、寝かしつけている長男と同じ部屋でも喫煙していた。そのような自分に今は嫌悪さえ覚える。
かつて私はよく喫煙していたから、タバコの旨さや一服した時の安らいだ気分は理解できる。だから一方的に喫煙者を責め、非難する気はない。喫煙者に必要なのは喫煙の時と場を心得るマナーと非喫煙者への思い遣りだろう。喫煙者が我が物顔に吸い、吸わない者が辛抱するのはいかにも不公平なことだ。喫煙者も相応の我慢をするべきだろう。それがあれば、喫煙者と非喫煙者は共存できるのではないだろうか。
((日曜日はブログを休みます)
「職場での受動喫煙防止を議論してきた厚生労働省の有識者検討会は、労働者の健康を守る観点から一般の事務所や工場は原則禁煙とし、やむを得ない場合は一定の要件を満たす喫煙室の設置を事業者に義務づけることなどを柱とした報告書をまとめた。厚労相の諮問機関の労働政策審議会で具体的内容を詰め、来年の通常国会に労働安全衛生法改正案の提出を目指す。(以下略)」
私は次男が生まれた年、31歳までタバコを吸っていた。1日に1箱かそれ以上吸っていたからヘビースモーカーの部類には入るのだろう。本数はともかく、今にして当時の自分を思い出すと、吸い方がだらしなく意地汚くさえあったと忸怩たる思いがする。朝起きたらすぐ火をつける。食事前に一服する。食後にまた一服。家を出て駅に向かう途中は歩きながら吸う。これが一番自堕落な姿だったと思う。学校に着くと一服。授業の合間にも必ず吸う。こういう調子だから、当時は受動喫煙という言葉はなかったが、喫煙しない人、タバコの煙が嫌いな人のことは考えることはなかった。そういうことでは喫煙者は自己中心的なところがある。
次男が生まれたころは、職場での精神的な悩みもあって体調不良となり、いらいらすることが多くなり、当時よく目にした言葉では「不定愁訴」、ノイローゼ状態になった。気持ちを落ち着けようと思ってタバコを口にしてもだめで、あるとき思い切ってまだ数本残っている箱をゴミ箱に捨ててしまい、それ以来40数年まったく吸っていない。
喫煙を止めると、タバコというものがいかに嫌なものかを折に触れて実感するようになった。私が勤務した教育委員会事務局のある課の1室はさほど広くはなかったが、そこに20人くらいが勤務していて、喫煙者は多かった。とりわけ私のいた係では私と事務の女性以外は喫煙し、私は前と左右からヘビースモーカー達の濃厚な煙の中に絶えず晒され、気分が悪くなるほどだった。
その後、最後の勤務をした高校では職員会議の時の煙に悩まされた。最初に勤めた頃は会議中の煙などは気にもならなかったが、禁煙してみるとそれは我慢ができないくらいだった。そういう人は私以外にもいたのだろうが、当時は「会議中は禁煙しましょう」という提案をする者はなかった。すれば喫煙者に白眼視されかねなかった。それほどかつての私のように、他人の迷惑には無頓着、無神経な喫煙者が幅を利かせていた。
だから厚生労働省の今回の一般の事務所や工場は原則禁煙とするという報告書には賛成だ。喫煙者の不満の声が聞こえそうだが、これが時勢というものだろう。一般の飲食店でも禁煙するようにしてほしいと思うが、2月に厚生労働省が健康増進法に基づいて多数の人が利用する施設では原則前面禁煙を求める通知を出したそうだが、これは努力規定にとどまっているようだから、まだまだ実現は難しいだろう。
Hg君の家では屋内禁煙にしている。部屋が汚れることを奥さんが嫌うのか、奥さんの受動喫煙を気遣っているのかは知らないが、Hg君やHr君、時々来るKo君などは吸いたくなると、たとえ寒い冬のさなかでも外に出る。これは昔の私はしなかった殊勝な行動だ。それなのにその彼らは外で食事をする時には席に着いた途端にタバコの箱を取り出すことがよくある。さすがに食事中には吸わないが、食後は必ず吸う。食後の後の一服の旨いことは今でも覚えているが、吸わなくなった今では食後の満足感も減退するから、時には煙を手で払ったりして嗅がないようにする。これはタバコを吸わない者の悲哀だと思う。Hg君の奥さんがそばにいても遠慮しないから、彼の家の中での禁煙は奥さんの受動喫煙を心配してのものではなさそうだ。秋にはタバコは値上がりするというが、おそらく彼らが禁煙することはないだろう。
最近は受動喫煙が有害なことはよく言われる。研究された結果では受動喫煙が引き起こす障害として 小児では突然死、学童期の咳、息切れ、小児喘息、成人では心筋梗塞、狭心症、動脈硬化、肺癌など多岐にわたるようだ。長男が生まれた時は小さい家に住み、寝かしつけている長男と同じ部屋でも喫煙していた。そのような自分に今は嫌悪さえ覚える。
かつて私はよく喫煙していたから、タバコの旨さや一服した時の安らいだ気分は理解できる。だから一方的に喫煙者を責め、非難する気はない。喫煙者に必要なのは喫煙の時と場を心得るマナーと非喫煙者への思い遣りだろう。喫煙者が我が物顔に吸い、吸わない者が辛抱するのはいかにも不公平なことだ。喫煙者も相応の我慢をするべきだろう。それがあれば、喫煙者と非喫煙者は共存できるのではないだろうか。
((日曜日はブログを休みます)