私は関西日中交流懇談会という中国の貧困農村地区に教育支援をしてきたNGO団体の会員になっている。この会では2001年から「一対一の教育支援」と言うプログラムを始めた。これは湖南省や寧夏回族自治区の貧困地区の農村の子ども達に学費を援助するもので、私も2人の子どもを支援してきたが その内の寧夏の南部、固原市の農村に住む回族の女の子が馬軍霞(マ・ジュンシャ)である。
初めて軍霞の援助を始めたのは、彼女が中学1年生になったときだが、家が貧しく小学校を出ても義務教育である中学校への進学が困難だった。現地の教育局を介して私が彼女の支援者になった。このことで軍霞は中学生になることができたのだが、よほど嬉しかったようで、初めて来た手紙には「陸に打ち上げられていた魚が水に戻れたのです」と書いていた。その後何度か現地で会う機会があった。小柄な体はいっこうに変わらなかったが、学業はどんどん進歩していたようで、年に2回送られてくる手紙にそのことが窺われた。
17歳の軍霞
軍霞は大学4年生になる私の一番上の孫娘と同じ年齢だが、大学進学のときに足踏みして1年間予科に入り、この9月から寧夏回族自治区の区都にある寧夏大学の3年生になった。将来は寧夏の西部の貧困地区で教師になる希望を持っていて、地理学を専攻しているが、元気に学生生活を送っているようだ。
隔年ごとに会では援助地区に調査と交流をかねた訪問団を送っていて今年は寧夏の番だった。最近来た手紙では軍霞は私が訪れるのを待っているようだったが、残念ながら私は近頃は脚が悪くて行くことはできなかった。それで団長のAさんが代わりに会って面談してくれた。元気な様子だったとのことで安心したが、私の脚を気遣ってくれたようだ。このほど会の事務局を訪れた時にAさんが彼女の写真を手渡してくれた。相変わらずの小柄だったそうだが、すっかり娘らしくなっていた。
訪問団に同行した運営委員のNさん(女性)が、面談の時に撮ったビデオレターを見せてくれた。軍霞はカメラに向かってちょっと微笑みながら一心に語りかけていた。残念ながら私には中国語は分からなかったが、途中で何度も「爺爺イエイエ(おじいちゃん)」と言うのだけは分かり、本当に孫娘が話しかけてくれているようで、聞いていると愛しくなって涙ぐんでしまった。
思えば中学1年生の時から10年の間に軍霞は成長した。これからの2年間にもいっそう研鑽を積んで、念願の教師になって欲しいと心から願っている。その時には私は80になるので、それまで何か張り合いができたように思う。