中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

徒然雑草

2012-10-28 20:31:36 | 身辺雑記

10月25日

 ○『プレジデントFamily』という月刊誌の広告が新聞にあった。「どうすれば、子供は賢くなるの?」とあって、続けて大きく「東大生184人『親の顔』」とあり、これが特集なのだろう。これに関して小さい字で惹句がごたごた並んでいる。「勉強意欲が燃え上がる家の『8つの仕掛け』」「何を与え、何を我慢させれば、自分で考える子になるのか」「『最高の思春期』の迎え方」など。「東大生」という大きな文字のそばには「天才!秀才!逸材!」とある。

 どんなことが書いてあるのかは知らないが、子どもを持つ世の親たちの中には飛びついて、書いてあることを実行しようとする者もいるのかもしれない。「東大信仰」というものは相変わらずなのか。 

 

 ○プロ野球のドラフト会議があり、昨年の会議で交渉権を得た日本ハムを拒否した東海大の菅野智之投手を、読売ジャイアンツが単独指名した。他の球団は再拒否のリスクを恐れてか競合することはなかった。今日のスポーツ紙の『報知』(『読売』系)はこうなることが当然と予想していたように一面に大きく、「浪人してまで『愛』貫いた一年」とあり、その表現にかなり気持ち悪い思いをした。一昨年のドラフト会議でも中央大の澤村拓一投手をジャイアンツが単独指名(中日ドラゴンズも指名するかと言われていたが、これも拒否されるリスクを考えて諦めたと言われている)し、この時も「相思相愛」などと言われ,決定した時澤村投手は涙を流して、私などは白けたような気分になったものだ。

 どうもジャイアンツというチームはドラフトに絡んで何かと話題になり、過去にも元木選手や長野選手などに同様の例があったようだ。菅野投手のことは、ジャイアンツファンはもちろん文句なしに喜んでいるだろうが、規則上は問題ないとしても何か割り切れないものを感じる。ドラフト制度の形骸化につながる「一本釣り」(『毎日』社説)などやめてドラフトには条件などつけないのが正常な姿で、その方がすっきりする。若いうちはどこの球団でも行って頑張って名を成し、FAの権利ができてから堂々と意中の球団を希望すればよい。「○○愛」などという日本的なじめじめした雰囲気は無しにするべきだ。こんな思いをするのは私が「弱小」タイガースのファンだからか。

10月26日

 ○東京都の石原慎太郎知事が辞職して新党を作り、自身も国政に出るようだ。「いのちのあるうちに最後のご奉公をしたい」のだそうだが、齢80歳で意気軒昂なことだ。名にし負う現憲法廃止論者で核武装論者。そんなウルトラ右翼老人が国会にまた出て「だらしない議員達を監督する」と言うのだが、もういい加減にしてほしい。 

10月27日

 ○今夜の月は十三夜の月。30日の満月までまだ3日あるから、少し欠けているが、昔は旧暦8月15日の中秋の後の名月として賞された。中秋の月は中国由来だが、十三夜月は日本で言われだしたものだそうだ。一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦 919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われているが、なぜ、この少し欠けた月が「明月」とされたのかは知らない。季節柄、「芋名月」とか[栗名月]などと言われている。

 「十三夜に曇りなし」と言われているそうだが、今夜は晴天。夕方、西の空にかかった十三夜の月は心なしか趣きがあった。

 


教え子のクラス会

2012-10-28 10:03:23 | 身辺雑記

 ずっと前に高校で担任した商業科のクラス会がありました。このクラスは学年に一つしかなく3年間持ち上がりで女子が多く、私は希望して1年の時に担任になりました。その頃は商業科の廃止が話題になっていて、教師になって以来商業科の担任をしたことがなかったので希望しました。それに商業科は教師の間でもやや扱いにくいというような目で見られていまして、担任希望は少なく学年主任が指名して何とか決まることもありました。私の場合も学年主任が別の人を担任に考えていたのですが、その人が渋ったために希望していた私に運良くお鉢が回りました。 

 担任してみると、これがなかなか良いクラスで、8人しかいなかった男子生徒は多数派の女子にやや押され気味でしたが、まじめでおとなしく、女子生徒は明るい子が多く、すぐに気に入りました。当時はザ・タイガースなどのグループサウンズが大流行していた頃で、熱烈なファンの女の子が多く、最初のホームルームで自己紹介をした時に女子が次々に「私はタイガースの○○が好きです」と言うもので、そういうことには疎い私は、タイガースと言うのはこの辺りで人気のあるプロ野球の阪神タイガースかと思い、ある子が「私はタイガースのトッポが好きです」と言った時には「阪神のトップバッターは誰だったかな」とピント外れのことを考えていました。やがて勘違いだと分かったのですが、後である子に騒ぐのは今のうちだろうと少し冷やかし気味に言いましたら、その子は「一生好きだと思うわ」と真面目に答えたものです。その後はいろいろなことがありましたが、クラス全体としては明るく、校内球技大会で良い成績を収めるなど、担任をしていても楽しいものでした。 

  その彼女、彼たちも今年は還暦を迎えました。担任した時から45年経っていることになり感無量のものがあります。1年の時に担任しただけなのに、卒業してもずっと私を担任として扱ってくれ、クラス会には必ず呼んでくれていました。 

 男子4人、女子10人の14人が大坂の「美々卯(みみう)」といううどんすきの店に集まって、楽しいひと時を過ごすことができました。中には同級生同士で結婚した1組や、卒業以来久しぶりに顔を見せた子もいました。それにしても、あのタイガースがどうのと騒いでいた子たちが還暦とは、こちらが年をとるはずだと思いました。孫もいる者もいますから、皆もういいじいさん、ばあさんの部類に入るのですが、私にとってはいつまでたっても懐かしい「あの子」達です。

 悲しい知らせもあり、女子の1人が亡くなっていました。結婚式にも出たことがありました。卒業以来3人目です。私よりずっと若い子の、とりわけクラスの子が先に逝くと胸が痛みます。残った皆は次の機会まで元気にしてほしいし、私も元気で過ごしたいと思います。