百貨店では11月早々からお節料理の予約が始まっている。このような特設売り場がいつごろから設けられるようになったのか記憶は定かではないが、そんなに古いことではないように思う。しかし最近はなかなか繁盛しているようで、いつ売り場の前を通っても予約客らしい人が店員と相談している。ちょっと覗いてみると、1万円くらいから3万数千円くらいまでの見本が陳列してある。蝋細工だから派手な色彩をしているが食欲をそそられるものではない。去年はもっと高い、5~6万円くらいのものが出ていたと思うが、すぐに完売されて感心したものだ。有名高級料亭のものなら10万円以上するとも聞いたことがある。どうしてこのようになったかについては、働く女性が増えたからとか、家ではあまり品数は多く作れないし面倒だからとか言われているがどうなのだろうか。
お節料理と言うものは、以前は(今でもそうだろうが)それぞれの家で作るものだった。私が子どもの頃は年末になると母が忙しそうに作っていた。我が家は関東風の雑煮で切り餅を使ったから、父は平たくのした餅を硬くならないうちに切り分けたり、屠蘇の準備をしたり、箸袋に家族の者の名前を墨で書いたり、門松の準備をしたりしていた。年末の慌しい風景だが何かしら懐かしい。母が作るお節料理は、特に特徴のあるものではなく、どこの家でも作るような昆布巻き、ごまめ、きんとん、甘く煮た黒豆、厚焼き卵、筑前炊き、煮しめなどで、近頃のような海老や肉類はなく彩りも地味だった。元来は正月の間の主婦の骨休めのための保存食だから、裕福な家庭ではいざ知らず、賑やかに飾り立てるものではなかったのだろう。子どもにとってはそれほど魅力的なものではないが、それでも戦中戦後の時代にはやはり普段とは違う感じがして、嫌うことはなかった。今はあの種類も多く、色彩豊かなものでも子どもは1回食べると飽きて、ハンバーグが食べたいなどと言ったりするそうだ。
イソップ物語の「酸っぱい葡萄」のような負け惜しみを言うようだが、店に並んでいる豪華なお節料理も、実際に口にしたらそれほど飛び抜けて美味いものではないのではないかと思う。ある知人から聞いたことだが、つてがあって一流料亭の、それこそ10万円以上はするだろうと思われるものをもらったことがあったそうだが、三が日が過ぎても食べ残し、結局捨てたと言う。もったいないような話だが、冷たいものばかりだし、日持ちするために味は濃い目になっているだろうから、どんなに高価な食材を使っても知れたものだろう・・・などと言うのは、所詮は高級なものを口にしたことのない者のたわ言か。
私も妻もそれなりにお節料理を作っていた。息子たちが独立し2人だけになるとしだいに作る品数は少なくなったが、それでも年末は夫婦で分担して、ささやかだがお節料理らしきもので元日を迎えることはずっと続けた。やはり年が改まるからにはそれなりのけじめがほしかった。しかし妻がいなくなってからはそのようなけじめもなくなり、一人用の出来合いのお節料理で済ませるようになっている。こうして我が家では、「おめでとうございます」と言い交わすこともなく、正月の雰囲気はなくなってしまった。独りの生活でもきちんとして元日を迎える人はあるようだが、私が怠惰なのだろう。年末年始には殊更に妻がいた頃のことを懐かしく思い出す。
お節料理と言うものは、以前は(今でもそうだろうが)それぞれの家で作るものだった。私が子どもの頃は年末になると母が忙しそうに作っていた。我が家は関東風の雑煮で切り餅を使ったから、父は平たくのした餅を硬くならないうちに切り分けたり、屠蘇の準備をしたり、箸袋に家族の者の名前を墨で書いたり、門松の準備をしたりしていた。年末の慌しい風景だが何かしら懐かしい。母が作るお節料理は、特に特徴のあるものではなく、どこの家でも作るような昆布巻き、ごまめ、きんとん、甘く煮た黒豆、厚焼き卵、筑前炊き、煮しめなどで、近頃のような海老や肉類はなく彩りも地味だった。元来は正月の間の主婦の骨休めのための保存食だから、裕福な家庭ではいざ知らず、賑やかに飾り立てるものではなかったのだろう。子どもにとってはそれほど魅力的なものではないが、それでも戦中戦後の時代にはやはり普段とは違う感じがして、嫌うことはなかった。今はあの種類も多く、色彩豊かなものでも子どもは1回食べると飽きて、ハンバーグが食べたいなどと言ったりするそうだ。
イソップ物語の「酸っぱい葡萄」のような負け惜しみを言うようだが、店に並んでいる豪華なお節料理も、実際に口にしたらそれほど飛び抜けて美味いものではないのではないかと思う。ある知人から聞いたことだが、つてがあって一流料亭の、それこそ10万円以上はするだろうと思われるものをもらったことがあったそうだが、三が日が過ぎても食べ残し、結局捨てたと言う。もったいないような話だが、冷たいものばかりだし、日持ちするために味は濃い目になっているだろうから、どんなに高価な食材を使っても知れたものだろう・・・などと言うのは、所詮は高級なものを口にしたことのない者のたわ言か。
私も妻もそれなりにお節料理を作っていた。息子たちが独立し2人だけになるとしだいに作る品数は少なくなったが、それでも年末は夫婦で分担して、ささやかだがお節料理らしきもので元日を迎えることはずっと続けた。やはり年が改まるからにはそれなりのけじめがほしかった。しかし妻がいなくなってからはそのようなけじめもなくなり、一人用の出来合いのお節料理で済ませるようになっている。こうして我が家では、「おめでとうございます」と言い交わすこともなく、正月の雰囲気はなくなってしまった。独りの生活でもきちんとして元日を迎える人はあるようだが、私が怠惰なのだろう。年末年始には殊更に妻がいた頃のことを懐かしく思い出す。