熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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わが人生の歌語り 五木寛之氏

2008-02-24 08:08:30 | 日記
 流れ行く川のように時代は移り人も変わる。その後にひとつの歌が残り、過ぎ行く季節の記憶を奏でる~♪
 という須磨アンカーのナレーションで始まる「わが人生の歌語り」は今朝が35回目でした。時は昭和43年、直木賞を受賞して金沢での暮らしも忙しくなりつつあった時代を振り返っていました。小生も会社生活を始めて3年目、ちょうど20歳で大人の仲間入りを果たした年でした。
 金沢といえば親友二人と高校卒業の想い出旅行に初めて寝台車に乗って行ったことが思い出されます。熊谷から当時は上・中・下とある「蚕棚」のような2等寝台で直江津(?)まで行き、兼六園・東尋坊・永平寺などを巡り、能登半島の曽々木海岸に泊まった記憶があります。
 まだ若かったのでこの頃の能登半島の良さは未だ分からなかったのですが、寝るときに仲居さんが蚊取り線香をつけに来てくれました。あれは何かの合図だったのでしょうか?
 さて最初に流れてきた曲は青江三奈(2000年7月2日 永眠 享年54歳) の「伊勢佐木町ブルース」この曲が「ドドンパ」の曲だとは思っていませんでした。「都都逸」と「ルンバ」をかけあわせたラテンリズムで日本が生んだリズムだとか。そういえばこの頃社内の駅伝大会で準優勝したことがあり、キャバレーに初めて連れて行ってもらったこともありました。当時は会費千円で飲んで踊れましたね。六本木の「最後の20セント」とか「プラスワン」も親友と出掛けた懐かしいサパークラブの想い出です。
 最後は「新宿育ち」でした。今でもデュエットの強要で歌っている人もいますね。
 次回は3月30日(日)です。その頃には 「わが人生の歌がたり―昭和の哀歓 第二部も発売されるようです。
 超アナログ人間の五木さんが聞くと怒られるかもしれませんが、ミュージックキャリーにタイマー録音して、それをアイチューンに転送してiPodで聴けるというのは便利な世の中になりましたね。