さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

受け身でなく

2016-07-20 | 歌のおけいこ
仕事の行き帰りやレッスンなどで
暑い時間帯に外に出なければならないことが多く、
早くもへばりぎみ&しっかり日焼け…しつつある。

声楽のレッスンを受けているもうひとりの先生(こちらは女性である)、
朝野先生門下の発表会コンサートが24日にあり、
6月のだいだいリートコンサートで歌ったのとおなじ2曲を歌う。

「歌の翼に」(ソロ)と、「秋の歌」(デュエット)。

先日ピアノ合わせがあり、
ソロは、ピアノにきっちり合わせようとしなくていいからもっと自由に
自分のおもうままに…と言われる。

今のでは、お行儀のいい合唱みたい。
独唱なのだから、ピアノに合わせるのではなく
自分が主導権を持って歌いなさい…
ピアノはついてきますから、と。

根がきまじめなのか、
受け身体質なのか、
ピアノと合わせようとすることが習い性にもなっており、
自由に、とか、
自分がひっぱるつもりで、とか言われるととたんに心細くなる。

体裁をつくろうとか、
きれいにまとめようとか、
どう聴こえるかとか、
そんなのはいらないから。

自分がどうしたいか、どう感じているか、
なにに集中するか。
自分は、こうです! それがなにか?
今日のお料理はこの味つけに決めたんです。
だれがなんと言おうと。

…ぐらいに自分を出さなきゃ、主張しなきゃ。

そのひとがみえない歌なんか誰も聴きたくない。
あ、キレイでしたねーで終わるだけよ。
「あなたの」歌が聴きたいんです。

それは、とてもむずかしい。

いたらない、カッコわるい自分をこれでもかってさらけだすとか、
はずかしくて簡単にできることではない。

でも、そういう自分をつくろって
よくみられようと、ええカッコしようとしている自分がいることに
いやでも気づかされる。

自分なんてこんなものよ、
と、いつでも素のまま、かざっていないつもりなのに、
無意識下ではそうじゃない…つくろっている。

そんなこんなのことに気づかされ、向き合わされる。
いたらない自分を、いやでもみせつけられる。

歌うってこわい。

でも、やめられない。

いつか、本当にいつか、
なんの気負いもてらいもなく、
これがわたしなんです、という歌をうたえるようになりたい。

それにしても、
たっちぃ師匠にしろ、朝野先生にしろ、
そして合唱ジュビラーテの小梶先生にしろ、
濃ゆいこと濃ゆいこと…
キャラクターも、指導も。

生半可な気持ちではあかん、という気持ちにさせられる。

なけなしのエネルギーを引きだされる。

ありがたい。

夢中になってなにかをすること、向き合うこと。

それは、仕事であったり家事であったりひととのかかわりであったり
趣味の時間であったり…

生きていることの喜びは、日常のあちこちにある。



コメント (2)
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