落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「レイコの青春」(26) 坂道を歩き始める(6)土地購入へ

2012-08-02 09:55:48 | 現代小説
(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(26)
坂道を歩き始める(6)土地購入へ





 資金の調達活動と並行して、
許可申請のために必要な書類の提出準備や、煩雑をきわめる
各種の事務手続きなども、同時に進行をしました。


準備会での要望をもとに、60名定員の保育所建設事前協議書が
入念な準備を経て、ようやく出来上がりました。
担当となる市役所の児童福祉課へ無事に提出をなされました。



 むろん陽子が関与する場面は多く、
山積みの書類や資料を前にして、陽子の奮闘が連日続きました。
やがて市役所からは、非公式ながら、


「当市では人口が急増しているという背景などもあり、
基準にあった保育園がつくられるなら、恐らく(県からも)認可はされるだろう。」
という、内示による反応が届きます。





ついで、土地購入の話が持ち上がりました。


「将来認可保育園になるために 必要な面積であること」
「安値であること」
などを条件に、市内の西部を探しているうちに、、
新市街地の北西部で、259坪の土地が売りにでている事がわかりました。



 しかし、この土地は周囲の水田より更に 30センチも低いうえ、
相当の土盛りが必要であることが判明をします。
さらにこの土地へ通じるている道が狭すぎて、自動車が通れないため、
埋め立て工事が難航しそうなことや、水道管が遠いことなどの
悪条件などが重なりました。
しかし、ひと坪あたり35000円は、破格ともいえる安値です。



 「道路と水道などの不安はあるものの、
 認可に必要な200坪以上の土地を私たちが確保するには、
 この土地を買う以外に、方法はないのではないか。」



 「とりあえず、このチャンスを逃してはならないと思います。
 土地さえ確保できれば、後は何とでもなる。」


 「埋め立て用の自動車が無理ならば、
 リヤカーだって、土は運べる」



 という意見が大勢を占め、急きょ
労働金庫からの借り入れを受けて、土地の購入が決定をしました。



 埋め立て用の道路を整備するために、隣接する畑を借り、
そこへ国鉄の廃材となった枕木を大量に払い下げてもらいます。
準備委員たちが中心となってそれを畑へ敷き詰めました。
国鉄の線路工事の廃土をもらい、埋め立て工事がはじまりました。



 しかし結局、廃土だけでは足らず、地元業者と契約して、
残りの埋め立て部分を完了させました。
この埋め立て工事には、306.500円かかりましたが、
労務提供をしてくれた多くの父母の協力がなければ、
これの以上の経費、おそらく3倍以上はかかったと見積もられます。



 こうして購入した土地の埋め立て工事が完了した頃に、
なでしこには、幸運な知らせが舞いこみました。
申請をした『保育所設置に関する事前協議書』に対して、
県衛生民生部長名による正式な回答が到着しました。



 それには、

「地域的に見ても、なでしこ保育園を設置することが
必要と認められるので、これを承認する。」

とあり、 さらにすみやかに、


「保育園の建設主体である社会福祉法人を設立して、その認可を得ること」、 
「提出された園舎建築図によると、乳児のほふく室が規定よりも
1.65平方メートル不足しているから、改善すること」


 などが、条件として附記されていました。
しかし法人つくりも、簡単なことではありません。




 理事の人数が多すぎる。
理事と監事の人事の中に、親族のものがいる。
理事会の中に園長以外の職員がいるのは、理事会と労働組合の権限を
侵害することになり、運営上不都合が生じるなどの指導もはいりました。


 さらには、法人運営のための定款を作る必要がありました。
保育園運営のための職員の獲得と名簿の提出、
保育園運営のためのオルガンや机、すべり台・ブランコ・ストーブ
・鉄棒・放送設備・黒板・食器戸棚・下駄箱等など、
実に36項目にわたる備品類を完備することと、
その目録の提出などが求められました。



 目録に書かれた備品のほとんどは、当時、移転工事をしていた
商業高校と労使会館からの寄付によるものでほとんどをまかないました。
柵・ブランコ・すべ り台などは、園児の保護者でもある鉄鋼所が、
格安で作ってくれました。
97頁にもわたる申請書や定款の印刷についても、
地元商業高校の女子タイプライター部員たちが応援に駆け付けてくれて
無料でタイプをして、さらに印刷までもこなしてくれました。


 
 建設用地も決まり、県からの承認で力を得たことで、
なでしこ保育園の建設は、一気に実現に向けて元気に走りだしました。
しかしいくつもの問題を、粘り強く一つ一つ乗り越えてきた建設委員会が
こののちに、予期しない事故をきっかけに、
重大な危機に直面をします。



 それは、二人の子供を預けて
いつものようにキャバレーの仕事に出かけた美千子のもとに、
夜の10時を過ぎてから、動揺気味のマネージャーが
「至急の電話です・・」と告げた瞬間から、始まりました。





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