(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(42)
認可保育園への道(9)美千子と八千代の想い
「じゃあ、来年の春には、
レイコさんの、保母資格取得のお祝いで盛り上がれますね。
合格したら、盛大にパッとやりましょうよ!
そういえば、いろいろあったけど・・・
なかなかそうして、みなさんではしゃぐということも有りませんでした。
たまにはお花見なんかも、いいですね。」
と、はしゃぐ陽子に、レイコが応えました。
「まだ単位も残っていることだし、
予定通りに行けばと言う見通しだけなのよ。
あくまでも、先のことは未定だから・・・。」
「大丈夫、レイコならやる遂げるわよ。
最大難関のピアノをクリアしたんだもの。
あとの、レポートと筆記試験だけなら、もう、卒業したも同然だわ。
そしたら盛大に盛り上がろうよ。
園舎も完成したことだし、
その先で、レイコが保母になったら、
お祝いに、ぱあ~っと、
若いものたちで盛り上がりましょう!。」
「・・・じゃぁ何かい?
あたしゃ、年寄りだから、そのお祝いのお花見とやらには、
呼んでもらえないということかい?
やれやれ、今時の若い者は、
喉元を過ぎると、
実に薄情、この上ありませんねぇ。」
「・・・あら、八千代お母さん・・・
いつから、そこへ。」
「ず~と、最前より、ここにおりました。
あ~あ、やっぱりあん時に、出資した300万円をポンと返してもらって
こんな薄情な若い娘っ子たちとは、縁を切っておけばよかった。
私もずいぶんと蒙麓(もうろく)をしたねえぇ・・・
可愛い飼い犬に手どころか、
足まで噛まれちまうとは、まったくもって情けない。
渡る世間は鬼ばかりだ。
やだねぇ~、まったく。」
「あっ、いいえ・・・
けして、そう言う意味ではありません。
ただ、このあたりで、若い人たちの慰労も兼ねて、
たまには、パッと騒ぐのも必要かなと・・・
ただそんな風に考えただけで、変な他意などありません。」
「解っていますよ、そんなことくらい。
実際、ここまで辿り着くまでには、
あまりにも、実に色々な事が有り過ぎました。
あんたらは、・・・実によく頑張ったねぇ。」
仲町の母が、目を細めて
遠い昔を思い出し始めたようです。
「あたしもねぇ・・・
北関東でも指折りと数えられた花街のひとつ、
仲町通りで、すでに半世紀以上も、その移ろいぶりなどを見てまいりました。
時代の波と言うのか・・・
歓楽街の仲町通りがさびれていくのを一人でさびしい思いをしながら、
何もできずに、ただ移り変わりを眺めているだけでした。
そしたら、その仲町に、
水商売の人たちの子供を預かってくれるという
共同保育園が出来たっていう噂を、たまたま知人の一人から聞きました。
そりゃあもう、大変にびっくりいたしました。
こう見えても、私は仲町で生まれて育った、生粋の桐生っ子です。
ずいぶんと思いきったことが始まったもんだと
実は最初から、注目をしておりました。
亡くなった園長先生のお仕事場へ、何度も訪ねては、
お茶などもご馳走になりました。
この歳になってから、園長先生のおかげで、
ずいぶんといろいろ、保育についても教えていただきました。」
「園長先生をご存じだったのですか。」
「女が、今の時代に、
一生通して働き続けることの大変さと
働きながら、子供を産んで育てることの大切さを
やさしく・あつく語ってくれた、そんなお方でした。
何かあった折りには、お役に立ちたいと、
私が密かに思ったほど・・・
あの園長先生というお方には、
実に、たかい志(こころざし)と、信念がありました。
けしてやさしくない道を、頑張り抜いた女性のひとりだと思います。
仲町に生きてきた多くの女たちだって、それはまったく同じです。
お座敷で働きながらも、女たちは子供を産み、かつ育ててまいりました。
しかし商売柄、そのことで所帯臭くなってはいけません。
いっそう芸に励んで、みなさんがともに必死で、自分と芸を磨きました。
粋な芸者として、きちんとお座敷でお仕事をつとめあげてから、
家に戻って、また必死で子供たちを育てました。
住む世界がまったく別々とはいえ、女としての想いは一緒です。
実に、共感する事がらが多く、
この人の力になりたい・応援をしてあげたいと
わたくしが、心底思ったかけがえのない人物の一人でした。」
「母を・・・私の母を、
それほどまでに、ご存じだったのですか。」
幸子が背後から声をかけました。
八千代母さんが、振り返ります。
細くなっていた目を、さらに細めて幸子を迎え入れました。
「はい。
あなたの、お母さんは、
実にすばらしい人でした。
惜しい人を早くに亡くしてしまいました。
なでしこのその後は、どうなることになるのやらと、
私も、遠くから心をいためておりました。
後に残ったあなたたちが、園長先生の意思を継いで
動き始めたと知った時には、実は・・・
失礼ながら、またひとつ、心配の種が増えてしまいました。
20歳そこそこの女だけの集団が、厳しい世間を相手に、
やったこともない大きな事業を立ち上げるなんて、
正直、上手くいくとは、とても思えません。
熱意だけでは動かないものが、世間には山ほどもあります。
しかし若さというものは、やはり、それを上回る力を持っていたようです。
ひとりではできないことを、
あなたたちは、チームワークという力で乗り切りました。
大切なことは、人と人とが繋がりあうことです。
かつての芸妓たちは、桐生の芸者たちのために組合を作り、
何度となく、その存続の危機などを乗り越えてまいりました。
ばらばらになるかと思われたなでしこも、また同じように
この困難を、見事に乗り越えてきたようです。
・・・私の出る幕は、ありませんでした。
眺めているだけで、大丈夫だと思い始めていました。
そんな時です。
この子が、美千子さんが、突然私を訪ねてきました・・・・
つい最近の話です
・・・・美千子さんが、泣きながら、私のところにやってまいりました。
なでしこの皆さんが、行き詰まったころの事でしょうか、、
ちょうど何もかもが、停滞をしてしまったように見えたころだったでしょうか。
なでしこの窮地をなんとかしたいけど、今の私には何もできません。
それでも、なんとかしたいので、どうぞ力を貸してくださいと、
泣きながら、私の処へやって来ました。」
美千子が、レイコの陰に隠れて
うつむいてしまいました。
「この子も仲町では、気がきいていて、
よく周りの女の子たちの世話を焼いてくれている
若いお母さんのひとりです。
気が良すぎるせいで、2度も悪い男に騙されたようですが、
根は明るくて、実に優しいとてもいい娘です。
ところが、自分の娘を突然に失ったうえ、
頼みとしてきた園長先生までも失ってしまったために、
その頃のこの娘は、とことんまで心が傷ついていたようです。
しかし、私にはどうすることもできません。
泣いているのをなだめるだけで、実際には、この娘に
何もしてあげられませんでした。
この娘を変えたのは、やはり皆さんの力です。
この娘も、みなさんも、やはり誇り高き桐生の女でしたねぇ。
どうにもならないものを改善するために、
自分たちの力でなんとかしようとして常に行動をしてきた、
機織り時代から続いてきた、女たちの底力ぶりを、
あなたたちもまた、今回のことで、それを実に見事に継承をしました。
女は股に力を入れて、結果を生み出すものです。
あら・・・まぁ、
まだ、独身の方もいらっしゃるというのに
またもや、例え方が、少々不適切なようですね・・・。
でも、私が言いたかったのは、その力です。
見事に立ちあがったのは、この娘自身の努力です。
そうさせたのもまた、皆さんのチームワークの力です。
わたしは少しだけ、へそくりを提供しただけで、実は、やっぱり
・・・何もしてはいないのです。
やはり・・・
やっぱり、お花見には、呼んでもらえないようですね。」
「・・・いいえ、とんでもありません。
私たちの、いちばん大切な主賓として、まっさきに、お呼びいたします!」
そう言うなり、背後から陽子が
八千代母さんに思い切り、飛びついてしまいました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
認可保育園への道(9)美千子と八千代の想い
「じゃあ、来年の春には、
レイコさんの、保母資格取得のお祝いで盛り上がれますね。
合格したら、盛大にパッとやりましょうよ!
そういえば、いろいろあったけど・・・
なかなかそうして、みなさんではしゃぐということも有りませんでした。
たまにはお花見なんかも、いいですね。」
と、はしゃぐ陽子に、レイコが応えました。
「まだ単位も残っていることだし、
予定通りに行けばと言う見通しだけなのよ。
あくまでも、先のことは未定だから・・・。」
「大丈夫、レイコならやる遂げるわよ。
最大難関のピアノをクリアしたんだもの。
あとの、レポートと筆記試験だけなら、もう、卒業したも同然だわ。
そしたら盛大に盛り上がろうよ。
園舎も完成したことだし、
その先で、レイコが保母になったら、
お祝いに、ぱあ~っと、
若いものたちで盛り上がりましょう!。」
「・・・じゃぁ何かい?
あたしゃ、年寄りだから、そのお祝いのお花見とやらには、
呼んでもらえないということかい?
やれやれ、今時の若い者は、
喉元を過ぎると、
実に薄情、この上ありませんねぇ。」
「・・・あら、八千代お母さん・・・
いつから、そこへ。」
「ず~と、最前より、ここにおりました。
あ~あ、やっぱりあん時に、出資した300万円をポンと返してもらって
こんな薄情な若い娘っ子たちとは、縁を切っておけばよかった。
私もずいぶんと蒙麓(もうろく)をしたねえぇ・・・
可愛い飼い犬に手どころか、
足まで噛まれちまうとは、まったくもって情けない。
渡る世間は鬼ばかりだ。
やだねぇ~、まったく。」
「あっ、いいえ・・・
けして、そう言う意味ではありません。
ただ、このあたりで、若い人たちの慰労も兼ねて、
たまには、パッと騒ぐのも必要かなと・・・
ただそんな風に考えただけで、変な他意などありません。」
「解っていますよ、そんなことくらい。
実際、ここまで辿り着くまでには、
あまりにも、実に色々な事が有り過ぎました。
あんたらは、・・・実によく頑張ったねぇ。」
仲町の母が、目を細めて
遠い昔を思い出し始めたようです。
「あたしもねぇ・・・
北関東でも指折りと数えられた花街のひとつ、
仲町通りで、すでに半世紀以上も、その移ろいぶりなどを見てまいりました。
時代の波と言うのか・・・
歓楽街の仲町通りがさびれていくのを一人でさびしい思いをしながら、
何もできずに、ただ移り変わりを眺めているだけでした。
そしたら、その仲町に、
水商売の人たちの子供を預かってくれるという
共同保育園が出来たっていう噂を、たまたま知人の一人から聞きました。
そりゃあもう、大変にびっくりいたしました。
こう見えても、私は仲町で生まれて育った、生粋の桐生っ子です。
ずいぶんと思いきったことが始まったもんだと
実は最初から、注目をしておりました。
亡くなった園長先生のお仕事場へ、何度も訪ねては、
お茶などもご馳走になりました。
この歳になってから、園長先生のおかげで、
ずいぶんといろいろ、保育についても教えていただきました。」
「園長先生をご存じだったのですか。」
「女が、今の時代に、
一生通して働き続けることの大変さと
働きながら、子供を産んで育てることの大切さを
やさしく・あつく語ってくれた、そんなお方でした。
何かあった折りには、お役に立ちたいと、
私が密かに思ったほど・・・
あの園長先生というお方には、
実に、たかい志(こころざし)と、信念がありました。
けしてやさしくない道を、頑張り抜いた女性のひとりだと思います。
仲町に生きてきた多くの女たちだって、それはまったく同じです。
お座敷で働きながらも、女たちは子供を産み、かつ育ててまいりました。
しかし商売柄、そのことで所帯臭くなってはいけません。
いっそう芸に励んで、みなさんがともに必死で、自分と芸を磨きました。
粋な芸者として、きちんとお座敷でお仕事をつとめあげてから、
家に戻って、また必死で子供たちを育てました。
住む世界がまったく別々とはいえ、女としての想いは一緒です。
実に、共感する事がらが多く、
この人の力になりたい・応援をしてあげたいと
わたくしが、心底思ったかけがえのない人物の一人でした。」
「母を・・・私の母を、
それほどまでに、ご存じだったのですか。」
幸子が背後から声をかけました。
八千代母さんが、振り返ります。
細くなっていた目を、さらに細めて幸子を迎え入れました。
「はい。
あなたの、お母さんは、
実にすばらしい人でした。
惜しい人を早くに亡くしてしまいました。
なでしこのその後は、どうなることになるのやらと、
私も、遠くから心をいためておりました。
後に残ったあなたたちが、園長先生の意思を継いで
動き始めたと知った時には、実は・・・
失礼ながら、またひとつ、心配の種が増えてしまいました。
20歳そこそこの女だけの集団が、厳しい世間を相手に、
やったこともない大きな事業を立ち上げるなんて、
正直、上手くいくとは、とても思えません。
熱意だけでは動かないものが、世間には山ほどもあります。
しかし若さというものは、やはり、それを上回る力を持っていたようです。
ひとりではできないことを、
あなたたちは、チームワークという力で乗り切りました。
大切なことは、人と人とが繋がりあうことです。
かつての芸妓たちは、桐生の芸者たちのために組合を作り、
何度となく、その存続の危機などを乗り越えてまいりました。
ばらばらになるかと思われたなでしこも、また同じように
この困難を、見事に乗り越えてきたようです。
・・・私の出る幕は、ありませんでした。
眺めているだけで、大丈夫だと思い始めていました。
そんな時です。
この子が、美千子さんが、突然私を訪ねてきました・・・・
つい最近の話です
・・・・美千子さんが、泣きながら、私のところにやってまいりました。
なでしこの皆さんが、行き詰まったころの事でしょうか、、
ちょうど何もかもが、停滞をしてしまったように見えたころだったでしょうか。
なでしこの窮地をなんとかしたいけど、今の私には何もできません。
それでも、なんとかしたいので、どうぞ力を貸してくださいと、
泣きながら、私の処へやって来ました。」
美千子が、レイコの陰に隠れて
うつむいてしまいました。
「この子も仲町では、気がきいていて、
よく周りの女の子たちの世話を焼いてくれている
若いお母さんのひとりです。
気が良すぎるせいで、2度も悪い男に騙されたようですが、
根は明るくて、実に優しいとてもいい娘です。
ところが、自分の娘を突然に失ったうえ、
頼みとしてきた園長先生までも失ってしまったために、
その頃のこの娘は、とことんまで心が傷ついていたようです。
しかし、私にはどうすることもできません。
泣いているのをなだめるだけで、実際には、この娘に
何もしてあげられませんでした。
この娘を変えたのは、やはり皆さんの力です。
この娘も、みなさんも、やはり誇り高き桐生の女でしたねぇ。
どうにもならないものを改善するために、
自分たちの力でなんとかしようとして常に行動をしてきた、
機織り時代から続いてきた、女たちの底力ぶりを、
あなたたちもまた、今回のことで、それを実に見事に継承をしました。
女は股に力を入れて、結果を生み出すものです。
あら・・・まぁ、
まだ、独身の方もいらっしゃるというのに
またもや、例え方が、少々不適切なようですね・・・。
でも、私が言いたかったのは、その力です。
見事に立ちあがったのは、この娘自身の努力です。
そうさせたのもまた、皆さんのチームワークの力です。
わたしは少しだけ、へそくりを提供しただけで、実は、やっぱり
・・・何もしてはいないのです。
やはり・・・
やっぱり、お花見には、呼んでもらえないようですね。」
「・・・いいえ、とんでもありません。
私たちの、いちばん大切な主賓として、まっさきに、お呼びいたします!」
そう言うなり、背後から陽子が
八千代母さんに思い切り、飛びついてしまいました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/