落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「レイコの青春」(35)  認可保育園への道(2)園長先生の手記その2  

2012-08-11 10:23:24 | 現代小説
(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(35)
認可保育園への道(2)園長先生の手記その2





 
 園長先生が書いた綾乃ちゃんのノートは11ヵ月前の、
生まれて4週間目で初登園した、その日の感想から始まっていました。


 お母さんに抱っこされて初登園してきた綾乃ちゃんは
少しだけ「ほっそり」と見えました。
後で伺ったら予定日より、2週ほど早い出産とのことです。



 そこから書き始められた綾乃ちゃんの記録は
ほとんど毎日にわたって短いメモが、気がついたままに書きこまれています。
日によっては、2つも、3つも立てつづけに間髪をいれずに
書きこまれている時もありました。


「微熱があります。風邪の気配はあるかしら、」
「少し咳き込んだので、部屋の湿度をあげてみました。」
「先ほどからは、すやすやと寝ています」 私も一安心。


「どうしたのかしら、今日は、朝からご機嫌ななめ・・・」


 他愛もない事がらまで含めて、感じたままのメモ書きが、
11か月にわたって、綿々と書き綴られています。




 問題の、亡くなったその日のページだけが、
いつも綺麗に、形よく並んでいた園長先生の文字が、ここだけ例外に乱れています。
綾乃ちゃんの容態とその対応の様子を、刻々と時間を追いながら
そのすべてを拾い集め、それらが2ページにわたって書き込まれています。


 園長先生が、最初に綾乃ちゃんの寝姿を
確認したときの時間が、まず書きこまれていました。
それから、10分後に2度目に確認に行った時には、すでに
うつぶせ寝状態で有ったことも、ちゃんと書かれていました。
しかし特に気にすることもなく、そのまま
事務の仕事へもどってしまいました、と追い書きがありました。
此処の部分の文字だけが、しっかりとした清書になっています。
おそらく後日なってから、園長先生が書き足したものと思われます。



 3度目の見回りは、それからさらに20分後のことです。
見回りに回った園長先生が、前回と同じうつぶせ寝姿勢の綾乃ちゃんに、
違和感を感じ、抱き上げた時には、すでに呼吸が停止している状態であったと
記されています。



 保母さんに救急車の緊急出動を依頼して、
自身はすぐに、人工呼吸の手配をしてその救命活動に入りました。
救命活動を始めた時間、人工呼吸の回数、救急車の到着までの所要時間などなど、
詳細なそのときの時間と展開の様子が、リアルタイムで書き込まれています。
ノートの左のページには、時間を追った当日のメモ書きが並らんでいました。
右のページには、後日に書かれたものと思われる清書した記録が
対比するように冷静に並んでいます。
そして、その最後の部分は、こんな言葉で締めくくられています。
おそらくそれは、入院中に合間を見ながら書き記したもののようです。





『保育者足る者は、おごることなく、その一生が勉強です。
時代が変わり、新しい出来事が日々生まれるようになれば、また
新しい知識や対応が必要とされることでしょう。
たかがうつぶせ寝、されど、うつぶせ寝・・・・
私は、一生をかけて、このことの後悔をしなければなりません』




 「綾乃は、こんな風にして・・・」



 美千子が、肩でひとつ息をついてから、
膝の上で、園長先生のノートを閉じてしまいました。
黙ったまま、うつむいて目頭を押さえます。
レイコが、そんな美千子へ遠慮がちに声をかけます。


 「ごめんね、美千子。
 辛すぎる記録だと思うけれど、
 私の一存で、園長先生から預かってきました。
 いつかは美千子さんに、渡せる時が来るならばと、
 お見舞いで、病室を訪ねた時に、そう園長先生から頼まれました。
 そのことがまた、美千子を悲しませることになるということは、
 最初から解りきっていたのに・・・、私はまた、
 断りきれずに、余計なおせっかいをかって出ました。」



 美千子が、レイコの言葉に目をあげました。
もう一度、膝の上で園長先生のノートを広げなおします。
悄然と居間の片隅で立ち尽くしているレイコに向かって、美千子が手招きをします。


 「おいでよ、レイコ、
 少し、話をしょう。
 あんたはいつでも正直すぎるから、
 したくない話になると、すぐにそうして、
 借りてきた猫のように丸くなってしまうんだもの。優しいすぎるわよ。
 それに比べたら、私はいつだって、
 どんな時にも、全然、自分の本心を表現することが
 できなかったなぁ・・・」



 「何言ってんの、美千子。
 私から見れば美千子は、いつも輝いていて、みんなの真ん中に居た。
 それこそ、ひまわりそのものだった。」


 
 「自分でも、そのことを誤解をしていたのよ。
 ずっと長い間、ひまわりが自分自身だと思い込んで生きてきた。
 みんなにも、そう思われていたし、
 自分でも、そういう立ち振る舞いが
 もっとも私らしいと、勝手に思いこんでいたの、
 あの頃は。」



 「あの頃は?」



 「座ってよ、レイコ。
 あんたにだけには、本当のことを話しておきたい。
 もうずいぶん昔から、好き勝手に、自分を誤解したままに生きてきただけの
 私の、つまんない身の上話になってしまうけど、
 聴いてくれるよね、レイコなら。」



 「私で、よければ」


 「私の中で、一番大好きで、
 一番大嫌いな女友達が、たぶんレイコだ。
 私が好き勝手に、気ままにふるまっているのに
 あなたったら、呼べばすぐに応えてくれたし、いつでも駆けつけてくれた。
 あんただけがいつも、同じ距離のところにいた。
 本当の親友の一人だと、ず~と、実は心の底で思っていたの。
 でもさぁ・・・人生って、思うようにはいかないのよ、
 好き勝手に生きてきたんだから、何の後悔も無いように見えるけど
 それは、ただの外面だけの話なの。
 本当の私の内面には、いつだって、
 後悔や反省ばかりが、渦を巻き続けていた・・・・」



 「まさか、」


 「本当の話だよ、レイコ。
 綾乃だって、産まなければ良かったと、ずいぶん後悔をした。
 もしかしたら・・・
 母親としての自覚が足りない私のせいで
 綾乃が死んでしまったのかもしれないし、私が、
 殺してしまったような気もする。」


 「美千子・・・」





・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/