goo blog サービス終了のお知らせ 

落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (28)12月28日・討ち入りの日

2015-05-03 06:35:15 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(28)12月28日・討ち入りの日



 約束の12月28日がやって来た。
普段はつなぎの作業着で油にまみれて働いている男たちが、真新しい背広に着替え、
2人3人と連れだって、初めての祇園の町へやって来た。


 四条通りを東へすすんでいくと、八坂神社手前の交差点に着く。
石段下にある祇園交差点だ。
交差点の東南角に、コンビニのローソンがある。
祇園の中にあるためか、普通のローソンより落ち着いた外観になっている。



 ここにはかつて、祇園の会所があった。元治元年(1864)6月5日。
祇園祭の宵山(当時は6月に行われていた)で賑わう祇園会所の前に、
三々五々と新選組の隊士たちが集まってきた。
集まって来た隊士たちが武装を整えて、近藤隊と土方隊の二手に分かれる。
三条木屋町一帯をくまなく探索していくためだ。



 新選組は、過激派志士たちの陰謀をすでに探知していた。
祇園祭の前の風の強い日を狙い御所に火を放ち、混乱に乗じて中川親王を幽閉し、
幕府方の一橋慶喜や松平容保を暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去るという陰謀だ。
現在のローソンの地から闇にまぎれて、新選組が探索のために出発していく。
数刻ののち、旅館・池田屋で過激派志士たちと激しく衝突する。


 ローソンの角を曲がった男たちの目の前に、異次元の扉が開く。
いきなり、石畳の道が現れる。
黒の千本格子の出格子。二階からすだれが下がった祇園風の町屋があらわれる。
白粉と紅が似合いそうな町並みが、男たちの目の前にひろがる。
ここには昔ながらのお茶屋、30軒ほどが軒を連ねている。
夕暮れ時になると、お座敷に向かう舞妓がコトコトと音を立ててすれ違っていく。
オイルと揮発油の匂いに鳴れきった男たちの目の前を、美しい着物をまとった
舞妓が、心地よい香りを残して通り過ぎていく。



 置屋『市松』の玄関に立った瞬間、彼らの興奮はついに限界に達した。
艶めかしい匂いが、建物のすべてを支配している。
壁に無造作に架けられている衣装や、何気なく置かれている調度品にも、
なんともいえない艶めかしさが宿っている。
男たちの眼が、どこを見つめてよいのやら、ひっきりなしに宙を泳ぐ。



 それもそのはずだ。置屋は、舞妓や若い芸妓のためだけの共同の寮だ。
責任者の女将を頂点に、舞妓を目指す10代の女の子たちが生活をともにしながら
日々、ひたすら女を磨いていく秘密の花園だ。


 狭い階段を上がっていくと、10畳ほどのうす暗い部屋に出る。
普段は女たちが寝起きに使っている部屋だ。
きちんと片付いているが、先ほどまで若い女たちが普通に生活をしていた空間だ。
舞妓が使う白粉の匂いは、壁や障子にまで染み込んでいる。
ところどころすり切れた畳には、若い舞妓が歩いたなまめかしさが残っている。


 
 部屋に座った10人の男たちは、いつまでたってもそわそわと落ち着かない。
妖しさに惑わされながら、伏し目がちに部屋のあちこちを眺める。
『30分ほど話を聞くだけだ。緊張することは無いさ、落ち着けよ、みんな』
全員の顔を見回している所長の椎名が、一番緊張している。
『おまっとうさん』と声がして、女将の恵子が顔を出す。
恵子の後ろに、正装した2人の舞妓が姿を見せる。
ネクタイを絞めた勇作が、一番最後に「よおっ」と顏を出す。



 「討ち入り前の赤穂浪士じゃあるまいし、もっとリラックスしろお前たち。
 あ、・・・ここは祇園だ。赤穂浪士はまずいな、さしずめ探索前の新選組だな。
 これから行くのは、美人芸妓が待っている老舗お茶屋のお座敷だ。
 喧嘩に行くわけじゃない、お前ら全員、どうにも表情が固すぎるなぁ。
 もっと笑顔を見せろ。と言っても無理か。
 初めてのお座敷遊びじゃ、緊張するのが当たり前だ。
 お前さんたちの緊張を解くために、女将の恵子さんがこれから特別に講義を行う。
 いいか。耳の穴をかっぽじって良く聞くように。
 1回しくじれば、2度と祇園のお座敷にはあげてもらえんからな、そのつもりで。
 全員、こころして女将の話を聞くように。えっへん」



 (29)へつづく


『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら