つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(47) 花代奨励賞

「それがどうして、3本の指に入る舞妓にまで成長したんだい、君は」
勇作が、恵子の顏を覗き込む。
池田屋の女将・多恵と、白川通りに有るスナック「らんまん」のママ・幾代と、
置屋「市松」の女将・恵子が、1980年代を代表する祇園の売れっ子だったという話を、
ついさきほど、舞妓の市侑から聞いたばかりだ。
「デビューしたばかりの舞妓は、舞の上手な子と器量のええ子から売れるんどす。
舞の一番は、らんまんのママ・幾代。
器量の良さと色気では、当時から池田屋の多恵が頭ひとつ抜け出していどおす。
お座敷を盛り上げるためには、豊富な話題と話芸も必要どす。
京都はもともと、古くから歴史に恵まれた町。
夜な夜な読んできたぎょーさんの歴史書が、ウチを助けてくれたんどす。
世の中。なにが幸いするのか、わからへんもんどす」
「80年代の飲み屋街を支えたホステス嬢たちは、会話を盛り上げるために
朝からすべての新聞に目を通し、テレビでニュースをチェックしていたという。
会話を盛り上げていくための、情報集めだ。
夜な夜な歴史書を読むという趣味が、君の舞妓時代を助けてくれたわけか。
なるほど、わかんないものだ。何が人生で役に立つのか」
「趣味ではおへん。本気で当時は、歴史の先生になりたかったんどす。
花街には、花代奨励賞と言う特別な賞が有るんどす。
舞妓になった最初の年。「らんまん」のママ・幾代が一等賞を取ったんどす。
その次の年、今度は池田屋の女将・多恵が一等賞を取りました。
そうなると、悔しいじゃないどすか。
ウチも必死で頑張り抜いて、3年目に念願の一等賞を取りおした」
「花代奨励賞・・・?。なんだ、それ?」
「毎年、正月明け。芸妓と舞妓が所属している女紅場(学校)で始業式がおおす。
新年を祝う舞や邦楽が披露されたあと、前年度の売上成績の上位者が表彰されるんどす。
前年度の花代合計金額に基づいて、上位からのランキングが公表されおす。
新人の舞妓から、90歳のベテランの芸妓さんまで、所属しているすべての芸妓と舞妓が、
おんなし俎板(まないた)の上で競争するのおす。
究極の「成果主義」とも言えおすなぁ。
花代の時間単価は京都花街の場合、新人もベテランも同額おす。
上位をゲットするためのポイントの差は、稼働時間どす。
『どれだけお座敷へ呼ばれたか』で、売上額が決まりおす。
1年間を通じて一番働いた子が、その年の花代奨励賞の一等賞を取るんどす」
「3年目に花代奨励賞の一等賞を取ったということは、3年間で君は、
舞も色気も一番になったというわけだね。
なるほど。そういわれてみれば今の美しさにも、充分に納得がいく」
「お上手どすなぁ。けど、褒めても何も出ませんえ。うっふっふ」
「下世話な興味で申し訳ないが、芸妓や舞妓たちは年間どのくらい稼ぐんだ?。
一度聞いてみたかった。
秘密を暴露しない範囲で、こっそり教えてくれないか?」
「そうどすなぁ。
ここ10年ほど、芸妓さんは200人前後。舞妓は約80人でほぼ横ばいどす。
お座敷で芸妓か舞妓さんと2時間遊んだとすると花代は、25000円~30000円程度 。
夕方6時から夜の12時ごろまで、平均して、3~4つのお座敷を務めおす。
1人当たり、1日10万円の売上になる計算どす。
お昼の写真撮影会などで長時間拘束される日もあるので、それらも入れると、
1日当たりの売上は、12万円程度になりますなぁ。
花代は置屋を出かけたときから、帰宅するまでの移動時間にもかかるおす。
つまり。移動時間+お座敷での時間×時間単価が、花代ということになるのおす」
「休みが少ないから、年間で、300日程度はお座敷に出る。
稼働率を少な目の80%として、芸舞妓さん1人当たりの年間総花代は、
12万円×300日×0.8=2880万円、を売り上げることになる。
京都花街の芸舞妓さんの合計は280名なので、花代の総売り上げは、
80億円弱と推計することができる・・・
ずいぶんと稼ぎ出すんだな、祇園の町は。
じゃ聞くが、君が一等賞を取った時は、いったいどのくらい稼いだんだ?」
「その手には乗りませんぇ。うふふ。数字は一切、企業秘密どす。
けど、平均売り上げの2倍から3倍は売りましたなぁ、忙しかったあのころは。
今は有りませんが、昔はひと晩お客さんとお座敷で一緒に過ごす、添い寝と言う
粋な風習があったんどす。
一晩中、一緒おすから、花代もべらぼうな金額に跳ね上がります。
うふふ・・・」
(48)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら
(47) 花代奨励賞

「それがどうして、3本の指に入る舞妓にまで成長したんだい、君は」
勇作が、恵子の顏を覗き込む。
池田屋の女将・多恵と、白川通りに有るスナック「らんまん」のママ・幾代と、
置屋「市松」の女将・恵子が、1980年代を代表する祇園の売れっ子だったという話を、
ついさきほど、舞妓の市侑から聞いたばかりだ。
「デビューしたばかりの舞妓は、舞の上手な子と器量のええ子から売れるんどす。
舞の一番は、らんまんのママ・幾代。
器量の良さと色気では、当時から池田屋の多恵が頭ひとつ抜け出していどおす。
お座敷を盛り上げるためには、豊富な話題と話芸も必要どす。
京都はもともと、古くから歴史に恵まれた町。
夜な夜な読んできたぎょーさんの歴史書が、ウチを助けてくれたんどす。
世の中。なにが幸いするのか、わからへんもんどす」
「80年代の飲み屋街を支えたホステス嬢たちは、会話を盛り上げるために
朝からすべての新聞に目を通し、テレビでニュースをチェックしていたという。
会話を盛り上げていくための、情報集めだ。
夜な夜な歴史書を読むという趣味が、君の舞妓時代を助けてくれたわけか。
なるほど、わかんないものだ。何が人生で役に立つのか」
「趣味ではおへん。本気で当時は、歴史の先生になりたかったんどす。
花街には、花代奨励賞と言う特別な賞が有るんどす。
舞妓になった最初の年。「らんまん」のママ・幾代が一等賞を取ったんどす。
その次の年、今度は池田屋の女将・多恵が一等賞を取りました。
そうなると、悔しいじゃないどすか。
ウチも必死で頑張り抜いて、3年目に念願の一等賞を取りおした」
「花代奨励賞・・・?。なんだ、それ?」
「毎年、正月明け。芸妓と舞妓が所属している女紅場(学校)で始業式がおおす。
新年を祝う舞や邦楽が披露されたあと、前年度の売上成績の上位者が表彰されるんどす。
前年度の花代合計金額に基づいて、上位からのランキングが公表されおす。
新人の舞妓から、90歳のベテランの芸妓さんまで、所属しているすべての芸妓と舞妓が、
おんなし俎板(まないた)の上で競争するのおす。
究極の「成果主義」とも言えおすなぁ。
花代の時間単価は京都花街の場合、新人もベテランも同額おす。
上位をゲットするためのポイントの差は、稼働時間どす。
『どれだけお座敷へ呼ばれたか』で、売上額が決まりおす。
1年間を通じて一番働いた子が、その年の花代奨励賞の一等賞を取るんどす」
「3年目に花代奨励賞の一等賞を取ったということは、3年間で君は、
舞も色気も一番になったというわけだね。
なるほど。そういわれてみれば今の美しさにも、充分に納得がいく」
「お上手どすなぁ。けど、褒めても何も出ませんえ。うっふっふ」
「下世話な興味で申し訳ないが、芸妓や舞妓たちは年間どのくらい稼ぐんだ?。
一度聞いてみたかった。
秘密を暴露しない範囲で、こっそり教えてくれないか?」
「そうどすなぁ。
ここ10年ほど、芸妓さんは200人前後。舞妓は約80人でほぼ横ばいどす。
お座敷で芸妓か舞妓さんと2時間遊んだとすると花代は、25000円~30000円程度 。
夕方6時から夜の12時ごろまで、平均して、3~4つのお座敷を務めおす。
1人当たり、1日10万円の売上になる計算どす。
お昼の写真撮影会などで長時間拘束される日もあるので、それらも入れると、
1日当たりの売上は、12万円程度になりますなぁ。
花代は置屋を出かけたときから、帰宅するまでの移動時間にもかかるおす。
つまり。移動時間+お座敷での時間×時間単価が、花代ということになるのおす」
「休みが少ないから、年間で、300日程度はお座敷に出る。
稼働率を少な目の80%として、芸舞妓さん1人当たりの年間総花代は、
12万円×300日×0.8=2880万円、を売り上げることになる。
京都花街の芸舞妓さんの合計は280名なので、花代の総売り上げは、
80億円弱と推計することができる・・・
ずいぶんと稼ぎ出すんだな、祇園の町は。
じゃ聞くが、君が一等賞を取った時は、いったいどのくらい稼いだんだ?」
「その手には乗りませんぇ。うふふ。数字は一切、企業秘密どす。
けど、平均売り上げの2倍から3倍は売りましたなぁ、忙しかったあのころは。
今は有りませんが、昔はひと晩お客さんとお座敷で一緒に過ごす、添い寝と言う
粋な風習があったんどす。
一晩中、一緒おすから、花代もべらぼうな金額に跳ね上がります。
うふふ・・・」
(48)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら