落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (46) 売れない舞妓

2015-05-24 10:59:18 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(46) 売れない舞妓




 『長い話になります』それでもお聞きになりますかと、女将の恵子が笑う。
『南朝へ3人を乗せて出発すると運転で忙しくなる。だが、すずが到着するまでは、
何もする事が無い。俺は暇を持てましている。
いくらでも長い話に付き合う。話してくれないか、京都が都になったもうひとつの
理由が知りたい』真顔に戻った勇作が、フフフと笑う恵子に媚を売る。



 「海の利と言う言葉が有りますなぁ。
 今から7000年前の縄文時代の前半ごろ、大阪平野の一部である河内平野は、
 そのほとんどが海に沈んでいました。
 上町台地が半島のように突き出た、河内湾どした。
 北から淀川が、南からは大和川が大量の土砂を運んできたため、だんだんと土砂がつもり、
 長い年月をかけて、河内湾が埋め立てられていきました。
 1800~1600年前の弥生時代の後半から古墳時代の前半に、
 湾は大きな湖のようになり、徐々に現在の河内平野が、できはじめたそうどす。
 奈良が最初の都となった、4世紀の半ば頃。
 船で瀬戸内海から河内湖へ入り、半島の上町台地を回り込み、
 大和川をさかのぼれば生駒山や、金剛山の麓まで行くことができました。
 中国大陸から生駒山麓の柏原市まで、直接舟で行けたのぞす。
 柏原で小舟に乗り換え、生駒山と金剛山の間の亀の瀬を越えると、
 もうすぐそこが奈良盆地どす。
 奈良盆地には、大きな湿地湖が広がっていどおす。
 湿地湖を利用すれば、奈良盆地のぞこにかて舟で簡単に行くことができたんどす。
 奈良盆地全体が大坂湾の荒波を避ける、まったとしたり自然の内港です。
 舟を利用すれば奈良盆地は便利に、ユーラシア大陸と交易が出来たんどす」



 「大和地方を平定した初代の天皇、神武天皇の御陵が奈良県橿原市にある。
 なるほど。陸路を使えば、のちの都になる京都へも、簡単に行くことができる。
 交易の都としても栄え、陸路を使えば大和のあちこちへいける地の利を持ちながら、
 なんで奈良の都は衰退したんだい?」


 
 「奈良盆地が日本の最初の都になったのは、地形から見て合理的どおす。
 けど、この奈良盆地を抱える大和川の流域が、いかにも小さ過ぎたんどす。
 川の流域がちっこいということは、資源があらへんことを意味します。
 川の流域が支配している資源は「水」と「森林」のふたつどす。
 水はすべての生命の源で、森林は、エネルギーの源になるんどすなぁ。
 大和川の流域にある奈良盆地は、この「水」と「森林」に限度があったんどす」



 「お・・・予想外の展開だ。だいぶ、科学的な話になって来た。
 へぇぇ、君。ほんとに歴史を語る才覚が有ったんだねぇ。驚いたなぁ」



 「茶化さんとおくれやす。精一杯にハラハラドキドキなんどす。
 30数年前に学んだ知識をホコリを被った頭の片隅から、引っ張りだしとんのぞす。
 舞妓のかたわら、こっそりと読み漁った、昔の歴史書の知識どすから」


 事実。15歳になった恵子は、舞妓をしながら夜ごと、歴史書を読み漁っていた。
眠くないと言えば嘘になるが、それでも毎晩欠かさず歴史書を読んだ。
いつかは歴史の先生になりたいという夢を、気持ちのどこかに残していたからだ。



 「舞妓のかたわら、毎晩、歴史書を読み漁っていただって?。
 正気の沙汰とは思えないね。
 置屋の娘に生まれれば、当然のことのように舞妓になり、芸妓の経験を積んでから
 やがて置屋の女将におさまるという道が決まっていたはずだ。
 君はそんな自分の運命に反発をしていたのかな。歴史書を読むことで」



 「そうやおへん。舞妓をすることに危機感を持っていたんどす」



 「危機感が有ったって?。舞妓と言えば祇園の宝だろう。
 横断歩道でもない場所でも車を停めて、道路を横切れるほどの特別な存在だ。
 危機感なんかないだろう。恵まれた過ぎた国宝のような存在だもの」



 「ウチが舞妓になる前の1975年は、舞妓の数が20名までに落ち込みどおす。
 その後、少しずつ上昇してきてウチの同期は、祇園甲部だけかて21人。
 5花街(上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町)全部合わせると65人の大所帯どす。
 まだ売れてもいあらへんウチは、舞妓の仕事で駄目なら歴史の先生にと、
 本気で転職を考えていたんどすなぁ」



 「なんだ。売れていなかったのかい、最初の頃の君は?」


 
 「ウチより舞の上手な子なんて、数限りなく、なんぼかて居りおす。
 器量かて、ウチをしのぐ子は、これまたなんぼも居るんどす。
 ウチは舞も器量も中の下。取り柄があると言えば、置屋の娘と言う特権だけ。
 けど置屋のむすめだけでは、指名の数にも限度があんのどす。
 祇園のお客さんは置屋の娘ではなう、舞の上手な子と、器量良しを最初に指名します。
 これといった取り柄も特徴もなかった女の子なんどすなぁ。
 舞妓としてデビューしたばかりの、ウチは・・・」


(47)へつづく


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