つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(39)お勘定書きは・・・

数時間後。勇作が温かい膝で目をさます。
酔い果てた勇作がいつの間にか恵子の膝で、うたた寝をしていた。
2階の大きな座敷からさきほどまでの喧騒が、まるで嘘のように消えている。
座布団が、あちらこちらに乱れ飛んでいる。
綺麗に並んでいたはずの膳が、ところどころで転倒している。
持ち帰りを忘れた仕出し弁当がわびしく、畳の上に取り残されている。
16畳の部屋に、人の姿はまったく見当たらない。
遠くの部屋からかすかに、談笑している男たちの声が聞こえてくる。
「お目覚めどすか?」
恵子の瞳が、勇作の顔を覗き込む。
『みんなは・・・』勇作が眠そうな目を、こすりあげる。
『ほとんどの方はお帰りになりました。残った方は、奥の部屋で呑み直しの最中どす』
『何時?』ふぁっ勇作が、口から出そうになったあくびをかみ殺す。
「まもなく11時どす。祇園ではまだ、宵の口どすなぁ」
「祇園の11時は、宵の口かぁ。そうか、やっと日が暮れたばかりなんだ。
悪かった。膝。重たかっただろう」
「どうもありまへん。新婚時代を思い出し、少しばかりどすが、
ほのぼのとした気分を、味わっておりました」
「あれ、君。・・・結婚してたの?」
「しちゃあかんの、結婚。
してましたけどわずか2年で別れました。その先はまったく男に縁のない毎日どす。
多恵とは生き方がちゃうのどす、あたしは」
思わず『子供は居るの?』と、口まで出かかってきた言葉を、
あわてて勇作が呑み下す。
『目が覚めたら呼んでくださいと、椎名はんから伝言されていますえ。
奥の部屋で呑んでおりますのが、どうしましましょう?。伝えましょうか?』
起き上がり大きく背伸びをする勇作を、恵子が見上げる。
「椎名は、放っておこう。
それより、まだ宵の口だ。酔い覚ましもかねて、白川のほとりを散策しょうか」
「あら嬉しい。眠る前の約束をまだ覚えとったんや。
酔っ払いなんか放り出して、うちと2人で呑みに行こうと約束したことを」
「なんとなく、そんな言葉が、俺の耳に残っている。
無防備に眠りこけている俺の耳に、君が何度も暗示をかけたんだ。
なんだか無性に、君と歩きたい気分になって来た。
結構利くんだね。君のおまじないは」
ウフフと笑いながら、恵子が立ち上がる。
恵子の肩に手を置き、廊下まで出た時、奥の部屋から椎名が出てきた。
『お目覚めですか、勇作先輩』と椎名が呼び止める。
『ちょっとお話が』と勇作の背中へ手を回し、『ここではちょっと』と
勇作を、廊下の隅まで案内をする。
「先輩が全部支払うという約束でしたが、この状態では、勘定書きが心配です。
トヨタといすゞ。三菱ふそうと日産ディーゼルの4社で参加者が合計で、48名。
舞妓が8人。芸妓が12名、お座敷へ駆けつけてきたそうです。
仕出し屋から届いた料理は、全部で60人前。
予想外と言える大宴会になったため、ざっと見積もりしただけでも、
予算額をはるかに超える、べらぼうな請求額になると思います。
先輩一人に全部を背負わせるわけにはいきません。ウチの会社でも負担します。
請求書が届いたら、俺のところへ回してください」
「馬鹿野郎。祇園の飲み会に突発事態はつきものだ。
つまらん心配をするんじゃない。
最初から、何が起ころうと俺が全部、責任を持つと公言したんだ。
武士と男に二言は無い。
参加者が増えようが、芸妓の数が増えようが、仕出し屋から大量の料理が届こうが、
ビクビクすることはない。
俺が全部支払うから、金のことなど一切いうな。
じゃなぁ椎名。今日は楽しかった。また、あとでゆっくり呑もうぜ」
酔いを醒ましながら、女将と歩いて帰ると、勇作が恵子の背中へ手を回す。
『そうはいきません!。先輩を困らせるわけにはいきません。
遠慮しないで、なんでも言ってきてください』と、さらに椎名が追いすがる。
『わかった、わかった。分かったからもう、何も言うな』と、勇作が、
階段を降りながら、後ろ手で『あばよ』と椎名に指を振る。
(40)へつづく
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