忠治が愛した4人の女 (9)
第一章 忠治16歳 ⑤

赤城の山麓を見つめていた忠治が、4人へ視線を戻す。
「それで親分を切られた久宮一家は、その後はどうなっているんでぇ?」
忠治が生まれた国定村と、となりの田部井村を縄張りとして支配しているのは、
いまだに久宮一家だ。
サイコロで遊んでいた富五郎が、ふと手をとめ、忠治の問いかけにこたえる。
「甥の豊吉ってえのが、跡目を継いだ。
しかしまだ若え。先代の親分と器が違うらしく、力量もねぇって話しだ。
子分もだいぶ減っちまったようだ。
何とか潰れず、青息吐息で持ちこたえてる状況だって、もっぱらの噂だ。
いま売り出し中なのは、島村の伊三郎だな」
「島村の伊三郎・・・聞いたことがねぇなぁ」忠治が首をひねる。
「知らねえのも無理ネェ。
だがいまこの親分は、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いをもっている。
利根川の河岸は、ほとんどこの親分が仕切っている。
世良田(せらだ)祇園の賭場には、各地から親分衆が集まって来るそうだ。
落ち目の久宮一家にかわり、八州様の御用聞きも務めてるから、勢いが有る。
だけどその勢いも利根川から北の、ここらあたりには届いてこねぇ」
「どうしてだ。なぜ、そんなことが言える?」
「利根川の北には、百々(どうど)村の紋次親分がいる。
伊勢崎には半兵衛の親分がいる。どちらも大前田の親分とは兄弟分だ。
いくら勢いに乗っている伊三郎親分といえども、百々村から北へは、
勢力を伸ばせねえのさ」
「なるほど。富五郎、お前、ずいぶんと詳しいな」
「へへへ。興味が有るんだよ、侠客の生き方に。
けどよ。だからといって、そう簡単に侠客になれるわけじゃねぇ。
これからは、大前田一家の身内になんのが一番だ。
しかし。大前田の親分から、子分の盃を貰うのは難しいそうだ。
2年間は三下(さんした)として修行する。
それが明けて、はじめて子分にしてもらえるそうだ。
修行もずいぶん厳しいという」
「へぇぇ、富五郎は侠客になりたいのか。
なるほどな。サイコロ振りがうまいお前さんには、ピッタリだな」
「どうだ忠治。お前も侠客にならねぇか。
どうせ短い一生だ。面白可笑しく生きたほうが楽しい。
だいいち博打うちってのは、誰が見てもかっこいい。
銭にも苦労なんかしねぇからな」
「忠次。おめえも道場主なんかやめて、博奕打ちになったらどうだ。
お町なんか目じゃねえぜ」と、さらに富五郎がまくしたてていく。
「綺麗な姉ちゃんを、思いっきり侍(はべ)らせて、いい思いもたんまりできるぜ」
と目を細めてニンマリと笑う。
「親父が生きていれば、俺もばくち打ちになってもいいと、考えた。
だがよ。お袋ひとりに苦労ばっかりさせるわけにはいかねぇ」
「たしかにおめぇの家は、おふくろさんひとりで持っている。
そうだよな。ひとりで頑張っているおふくろさんを泣かせたら、バチが当たる。
じゃ、ばくち打ちの道はすっぱりあきらめて、せいぜい剣術に精を出すんだな。
だけど、俺はやっぱり、侠客の道を行く」
富五郎が、立ち上がる。
右手にしっかりと、サイコロが握られている。
富五郎は剣術より、いかさま混じりの壺振りを得意としている。
ここ一番というとき、自在にサイコロの目をあやつる手腕はたいしたものだ。
(たしかにこいつは、サイコロひとつで飯を食う、侠客家業に向いている。
だが俺は、そうはいかねぇ。
おふくろのためにも、一生けん命に腕を磨いて、はやく道場主になる。
そいつが俺のできる、たったひとつの親孝行だ・・・)
靄の晴れてきた赤城山をふたたび見つめる忠治は、今年で16歳。
このあと忠治は、自分でも思っていない運命をたどっていくことになる。
しかしそれはまた忠治と同じ年の、五目牛村の千代松。国定村の清五郎。
曲沢(まがりさわ)村の富五郎も同じことだ。
ひとつ年下で、田部井(ためがい)村の又八も、忠治とともにやがて
博徒の道をたどっていくことになる・・・
(10)へつづく
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第一章 忠治16歳 ⑤

赤城の山麓を見つめていた忠治が、4人へ視線を戻す。
「それで親分を切られた久宮一家は、その後はどうなっているんでぇ?」
忠治が生まれた国定村と、となりの田部井村を縄張りとして支配しているのは、
いまだに久宮一家だ。
サイコロで遊んでいた富五郎が、ふと手をとめ、忠治の問いかけにこたえる。
「甥の豊吉ってえのが、跡目を継いだ。
しかしまだ若え。先代の親分と器が違うらしく、力量もねぇって話しだ。
子分もだいぶ減っちまったようだ。
何とか潰れず、青息吐息で持ちこたえてる状況だって、もっぱらの噂だ。
いま売り出し中なのは、島村の伊三郎だな」
「島村の伊三郎・・・聞いたことがねぇなぁ」忠治が首をひねる。
「知らねえのも無理ネェ。
だがいまこの親分は、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いをもっている。
利根川の河岸は、ほとんどこの親分が仕切っている。
世良田(せらだ)祇園の賭場には、各地から親分衆が集まって来るそうだ。
落ち目の久宮一家にかわり、八州様の御用聞きも務めてるから、勢いが有る。
だけどその勢いも利根川から北の、ここらあたりには届いてこねぇ」
「どうしてだ。なぜ、そんなことが言える?」
「利根川の北には、百々(どうど)村の紋次親分がいる。
伊勢崎には半兵衛の親分がいる。どちらも大前田の親分とは兄弟分だ。
いくら勢いに乗っている伊三郎親分といえども、百々村から北へは、
勢力を伸ばせねえのさ」
「なるほど。富五郎、お前、ずいぶんと詳しいな」
「へへへ。興味が有るんだよ、侠客の生き方に。
けどよ。だからといって、そう簡単に侠客になれるわけじゃねぇ。
これからは、大前田一家の身内になんのが一番だ。
しかし。大前田の親分から、子分の盃を貰うのは難しいそうだ。
2年間は三下(さんした)として修行する。
それが明けて、はじめて子分にしてもらえるそうだ。
修行もずいぶん厳しいという」
「へぇぇ、富五郎は侠客になりたいのか。
なるほどな。サイコロ振りがうまいお前さんには、ピッタリだな」
「どうだ忠治。お前も侠客にならねぇか。
どうせ短い一生だ。面白可笑しく生きたほうが楽しい。
だいいち博打うちってのは、誰が見てもかっこいい。
銭にも苦労なんかしねぇからな」
「忠次。おめえも道場主なんかやめて、博奕打ちになったらどうだ。
お町なんか目じゃねえぜ」と、さらに富五郎がまくしたてていく。
「綺麗な姉ちゃんを、思いっきり侍(はべ)らせて、いい思いもたんまりできるぜ」
と目を細めてニンマリと笑う。
「親父が生きていれば、俺もばくち打ちになってもいいと、考えた。
だがよ。お袋ひとりに苦労ばっかりさせるわけにはいかねぇ」
「たしかにおめぇの家は、おふくろさんひとりで持っている。
そうだよな。ひとりで頑張っているおふくろさんを泣かせたら、バチが当たる。
じゃ、ばくち打ちの道はすっぱりあきらめて、せいぜい剣術に精を出すんだな。
だけど、俺はやっぱり、侠客の道を行く」
富五郎が、立ち上がる。
右手にしっかりと、サイコロが握られている。
富五郎は剣術より、いかさま混じりの壺振りを得意としている。
ここ一番というとき、自在にサイコロの目をあやつる手腕はたいしたものだ。
(たしかにこいつは、サイコロひとつで飯を食う、侠客家業に向いている。
だが俺は、そうはいかねぇ。
おふくろのためにも、一生けん命に腕を磨いて、はやく道場主になる。
そいつが俺のできる、たったひとつの親孝行だ・・・)
靄の晴れてきた赤城山をふたたび見つめる忠治は、今年で16歳。
このあと忠治は、自分でも思っていない運命をたどっていくことになる。
しかしそれはまた忠治と同じ年の、五目牛村の千代松。国定村の清五郎。
曲沢(まがりさわ)村の富五郎も同じことだ。
ひとつ年下で、田部井(ためがい)村の又八も、忠治とともにやがて
博徒の道をたどっていくことになる・・・
(10)へつづく
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