落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (25)       第二章 忠治、旅へ出る ⑩

2016-07-29 09:25:10 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (25)
      第二章 忠治、旅へ出る ⑩





 「忠治。おまえさんも、英五郎親分の盃が欲しくてやって来たのかい?」

 
 姉さん被りのお園が、お勝手からやってきた。
涼しく相手の目を見つめる瞳が、どこか幼なじみのお町に似ている。
「いいえ。違います」
薪(まき)割りの手を止めて、忠治が答える。



 「へぇぇ、なんだ。違うのかい。
 上州から若い者が、英五郎親分の盃が欲しくて大勢やって来るけど、
 おまえさんは違うのかい。
 ふぅ~ん。変わっているんだねぇ、おまえさんて子は」


 
 「ほとぼりが冷めるまで、ただ隠れているだけですから」



 「ああそうか。そうだったねぇ。その若さであんたは人を殺したんだっけ。
 度胸があるんだねえ。見かけによらずあんたって子は」


 うふふと笑うお園に、忠治が苦笑いをうかべる。
流れていく汗をふきながら忠治が、お園を見つめ返す。
お園の綺麗なくちびるの端に、なんともいえない妖艶な笑みが浮かんでいる



 「大前田の英五郎親分といえば、誰もが認める、男の中の男だよ。
 凄いお人だ。
 こんな近くにいるというのに、盃を貰わない手はないと思うよ」


 
 「英五郎さんは、そんなに凄い人なんですか・・・」


 
 「ああ凄いさ。凄いに決まっているじゃないか。
 なんだい、知らないのかい、あんたは。英五郎親分の凄さを」


 こっちへおいでと、お園が縁側を指さす。
汗をぬぐいながら、忠治が黙って縁側へ腰を下ろす。
そのすぐ隣へいいにおいを漂わせたお園が、ふわりと腰をおろす。



 「英五郎さんは、顔が広くってね、あちこちの大親分さんを知ってるんだ。
 そのうえ、たくさんの仲裁をしてきたから、人望も厚い。
 佐渡島に送られたのに、死なずに、島抜けして来たなんて大したもんさ。
 英五郎親分から盃を貰って、生まれ故郷に帰ってごらん。
 おまえさんは人を殺した事で、男を上げている。
 そのうえ大前田の親分さんから盃を貰っていけば、さらにいっそうの箔がつく。
 一家だって、立派に張る事ができるんだよ」


 「えっ・・・俺が一家をはる!。
 まったくそんなことは、考えてもいなかったなぁ・・・」



 「忠治。よくお聞き。
 一度、人を殺しちまったら、もう堅気の生活には戻れない。
 凶状持ちは博奕渡世で生きて行くのが、定めなのさ。
 でもね。人様の子分として生きていくよりも、一家を張って親分になった方が
 絶対いいのに決まっているだろう」



 人を殺せば、もう堅気には戻れないのさ絶対にと、お園が言い切る。
まったく予測していない指摘だ。
何年か辛抱してほとぼりが冷めれば、また、生まれ故郷の国定村へ帰れる。
そのときが来たらまた、道場主になるための修行をはじめる。
忠治はずっと、そのことばかりを考えていた。
だがお園はあっさりと、そんな忠治の気持ちを根底からひっくり返した。



 「うちの人は、川越のお殿様のお気に入りの力士だったのさ。
 だけどね。力士なんてのは、若いうちだけだよ。
 強い時はみんなにちやほやされるけど、落ち目になったら惨めなもんさ。
 ちやほやされながら生きてきた者は、堅気には戻れない。
 真面目に働くということを知らないからね。
 大抵の者が博奕打ちになる。
 だけど、うまく行く奴は少ない。たいていが途中で落ちこぼれるのさ。
 うちの人は英五郎親分に贔屓にされて、弟分にしてもらったんだ。
 お陰でこうして一家を張り、この世界で生きていられる。
 島抜けしてすぐ、うちの人を頼って来てくれるなんて、嬉しいじゃないか。
 うちの人は英五郎親分のためなら、命なんかいらないっていう程、
 こころの底から、惚れ込んでいるからね」

 
(26)へつづく



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