忠治が愛した4人の女 (15)
第一章 忠治16歳 ⑪

「ずいぶん世話になったな、兄弟」
五郎がこれがお糸だと、ワラジを履いている若い女の背中を指さす。
身支度を整えた女がくるりと振りかえる。
愛くるしい顔をしている。
典型的な加賀美人だ。しまも気立てが良さそうだ。
2人は、2年ほど住んだ笠懸を離れていくことになった。
お糸の希望で、冬でも暖かい房州を目指して旅立つことになった。
「これは約束の品だ。遠慮しないで受け取ってくれ」
いつの間に作り上げたのだろうか。
五郎が、朱塗りの鞘に収まった義兼を差し出す。
忠治の両手にずしりと、刀の重みが降りてくる。
「抜いてみな」
刀身を抜くと、刃先が朝陽を受けて青白く光る。
見事なまでに研ぎあげられている。
だが切っ先から3寸ほどにかけて、なぜか薄く曇っている気配が見える。
「妙だな。先端の切っ先から3寸ほどにかけて、刃先に曇りがあるぞ。
なんでだ。研ぎ師の野郎が手を抜いたのかな?」
「ほう。そいつに気がついたか。たいしたもんだ、おめえの勘は。
そうよ。それがこの刀の切れ味だ」
「なんでぇ。曇っていたほうが、切れ味が良くなるのか?」
「サムライが使う刀は、刃の先を、これでもかとばかりに磨き上げる。
綺麗に波紋がうかび出るまで、徹底的に磨きあげる。
見た目は、切れそうだ。
だが、実戦になるとピカピカに磨いた刃先は、脂で滑って切り込めねぇ。
刃先が脂で滑るからだ。脂の付いた刃は、肉を切り裂かねぇ。
少しくらいひっかかりが有ったほうが、人を斬るには、ちょうどいい」
「ピカピカに磨いた刃じゃ、人は斬れねぇのか?」
「滑る刃を使うには、高い技量がいる。
だが引っかかる刃は、ちょっと力を加えれば、そこから内部へさらに食い込む。
斬るんじゃねぇ。相手に当たったら押し込むんだ。
この刀にはそんな風に、深く斬りこむための刃がついている」
「斬るんじゃなくて、押し込むのか、こいつの刃は」
「そうだ。こいつの刃は、そういう風に出来ている。
こいつならたったの一撃で相手に、致命傷をあたえることができるだろう。
だがな。ホントは、使わねえのが一番だ。
こいつを抜いたとき、おまえさんは間違いなく人を殺すことになる。
こいつは出来上がった時から、そういう力を持っている」
「なるほどなぁ。たいしたもんだ・・・
こいつは、俺の一生の、強い味方になりそうだ」
「気を付けろ。両刃の剣と言って、刀は使い方次第でわが身を滅ぼす。
使い方を間違うなよ、兄弟。
だがよ。たかがもと刀鍛冶の俺に、それ以上のことはわからねぇ。
好きに使ってくれ。いろいろ世話んなった礼だ。
こんなものしかやれねぇが俺だと思って、大事にしてくれると有りがてぇ」
じゃなぁ。
名残惜しいがそろそろいくぜと、五郎がお糸をうながす。
「はい」と応えたお糸が、「お世話になりました」と忠治に向かって深々と頭をさげる。
2人の背中が、朝もやの中を遠ざかっていく。
残った忠治は2人の無事の旅を、ただただ黙って見送るだけだ。
加賀の国の住人。小松村出身の刀鍛冶、五郎が作り上げた「義兼」。
この刀はこれからの忠治とともに、その短い一生を、ともに過ごして
いくことになる・・・
第一章 完
(16)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第一章 忠治16歳 ⑪

「ずいぶん世話になったな、兄弟」
五郎がこれがお糸だと、ワラジを履いている若い女の背中を指さす。
身支度を整えた女がくるりと振りかえる。
愛くるしい顔をしている。
典型的な加賀美人だ。しまも気立てが良さそうだ。
2人は、2年ほど住んだ笠懸を離れていくことになった。
お糸の希望で、冬でも暖かい房州を目指して旅立つことになった。
「これは約束の品だ。遠慮しないで受け取ってくれ」
いつの間に作り上げたのだろうか。
五郎が、朱塗りの鞘に収まった義兼を差し出す。
忠治の両手にずしりと、刀の重みが降りてくる。
「抜いてみな」
刀身を抜くと、刃先が朝陽を受けて青白く光る。
見事なまでに研ぎあげられている。
だが切っ先から3寸ほどにかけて、なぜか薄く曇っている気配が見える。
「妙だな。先端の切っ先から3寸ほどにかけて、刃先に曇りがあるぞ。
なんでだ。研ぎ師の野郎が手を抜いたのかな?」
「ほう。そいつに気がついたか。たいしたもんだ、おめえの勘は。
そうよ。それがこの刀の切れ味だ」
「なんでぇ。曇っていたほうが、切れ味が良くなるのか?」
「サムライが使う刀は、刃の先を、これでもかとばかりに磨き上げる。
綺麗に波紋がうかび出るまで、徹底的に磨きあげる。
見た目は、切れそうだ。
だが、実戦になるとピカピカに磨いた刃先は、脂で滑って切り込めねぇ。
刃先が脂で滑るからだ。脂の付いた刃は、肉を切り裂かねぇ。
少しくらいひっかかりが有ったほうが、人を斬るには、ちょうどいい」
「ピカピカに磨いた刃じゃ、人は斬れねぇのか?」
「滑る刃を使うには、高い技量がいる。
だが引っかかる刃は、ちょっと力を加えれば、そこから内部へさらに食い込む。
斬るんじゃねぇ。相手に当たったら押し込むんだ。
この刀にはそんな風に、深く斬りこむための刃がついている」
「斬るんじゃなくて、押し込むのか、こいつの刃は」
「そうだ。こいつの刃は、そういう風に出来ている。
こいつならたったの一撃で相手に、致命傷をあたえることができるだろう。
だがな。ホントは、使わねえのが一番だ。
こいつを抜いたとき、おまえさんは間違いなく人を殺すことになる。
こいつは出来上がった時から、そういう力を持っている」
「なるほどなぁ。たいしたもんだ・・・
こいつは、俺の一生の、強い味方になりそうだ」
「気を付けろ。両刃の剣と言って、刀は使い方次第でわが身を滅ぼす。
使い方を間違うなよ、兄弟。
だがよ。たかがもと刀鍛冶の俺に、それ以上のことはわからねぇ。
好きに使ってくれ。いろいろ世話んなった礼だ。
こんなものしかやれねぇが俺だと思って、大事にしてくれると有りがてぇ」
じゃなぁ。
名残惜しいがそろそろいくぜと、五郎がお糸をうながす。
「はい」と応えたお糸が、「お世話になりました」と忠治に向かって深々と頭をさげる。
2人の背中が、朝もやの中を遠ざかっていく。
残った忠治は2人の無事の旅を、ただただ黙って見送るだけだ。
加賀の国の住人。小松村出身の刀鍛冶、五郎が作り上げた「義兼」。
この刀はこれからの忠治とともに、その短い一生を、ともに過ごして
いくことになる・・・
第一章 完
(16)へつづく
新田さらだ館は、こちら