落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (22)       第二章 忠治、旅へ出る ⑦ 

2016-07-26 10:50:43 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (22)
      第二章 忠治、旅へ出る ⑦ 




 次の日の朝。忠治は玉村宿を目指して歩いている。
本間道場の師匠・千五郎が、忠治のために紹介状を書いてくれた。
行く先は角万屋という旅籠屋。
そこに2足のワラジを履いている、佐重郎という親分がいる。


 佐重郎は、忠治の亡くなった父親をよく知っている。
この男ならほとぼりが冷めるまで、万事うまくはからってくれるだろうと
本間道場の師匠が、忠治の背中を押してくれた。
玉村宿まで、およそ6里。
朝もやの赤城山を背にゆっくり歩いても、日が高いうちに玉村の宿へ着く。



 玉村宿は、日光例幣使(れいへいし)街道の宿場町。
徳川家康をまつる日光東照宮の春の大祭へ、京都の朝廷が毎年、
幣帛(へいはく)を奉献するため勅使の一行を出す。
(幣帛は、神前にそなえる供物のこと)



 例幣使街道の起点は倉賀野宿(現在の高崎市)。
玉村宿は、一番目の宿場。
四丁目から七丁目にかけて、50軒あまりの旅籠屋が立ち並んでいる。
六丁目に本陣があり四丁目と七丁目に、問屋場がある。



 飯盛(めしもり)女と呼ばれる女郎たちが、大勢いる事でも知られている。
角万屋にも、おおぜいの女郎がいる。
佐重郎は旅籠の主人でありながら、玉村一家を張っている。
また八州様の道案内として、十手をあずかっている。



 「それにしても・・・」忠治が、はるかにかすんでいく赤城山を振りかえる。


 (おいらの生き方が、狂い始めてきたぞ・・・
 いったいぜんたい、何がどうなって、こんな風になっちまったんだ。
 ワラジを履き、旅に出る羽目になるとは夢にも思わなかったぜ・・・)



 忠治が、昨夜の出来事をふりかえる。
名主の家に暴漢が押し入ったくらいなら、普段ならまったく気にも留めない。
(どうせ金銭が目当てだ。気が済んだから勝手に帰るだろう)
平然と聞き流す忠治だが、昨夜にかぎりそれが違っていた。
嘉藤太の家で、竹やりを構えて留守番をしていた、あの小生意気なガキ。
浅太郎の顔が、まっさきに浮かんできた。


 留守番の佐与松が切られたとなると、ガキの命も危ない。
そう考えた忠治が、ためらいもなく義兼に手を伸ばした。
あとの事は、無我夢中だった。
相手の切っ先が忠治の頭上をかすめた瞬間、忠治は、相手の懐へ飛び込んでいた。



 (おかげで生まれて初めて、人を殺す羽目になっちまった。
 すべてはあの、小生意気なガキのせいだ。
 だがよ。それにしてもよかった、あの小生意気なガキが無事でよ・・・)


 だが愛しいお鶴やおふくろには、とうぶん会えねぇだろうな・・・
忠治の目が、後方にかすんでいく国定村を振りかえる。
真上に上った太陽が、地上に靄をうむ。
赤城山の全体が、靄に包まれて消えていく。
同じように忠治が生まれた国定村も、靄のかなたへ沈んでいく。



 (こんな風にして、生まれ故郷の国定村をあとにするとは不本意だ。
 だが。めそめそしたって、はじまらねぇや。
 サイはもう投げられた。
 成るようにしか成らねぇ。そんな人生がはじまった。
 さて、玉村の宿で、人殺しのおいらを待っているのは、鬼かはたまた蛇か・・・
 そんなことは、どっちでもいい。
 あともどりの出来ねぇ、あたらしい人生がはじまったんだ。
 ここから先のことはその日に吹く風任せ、運任せだ・・・)


 忠治の行く手に、玉村宿の旅籠群が見えてきた。
忠治が助けに走った小生意気なガキ。
浅こと板割りの浅太郎は、やがて忠治に忠誠を誓う子分の一人になる。
そしてそのことがまた、あらたな別の悲劇を生む。



 しかし。今の忠治にそんなことは、まったく知る由もない。
流れ者としての人生が、たったいまから、この瞬間からはじまったことになる。

 
(23)へつづく

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