落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (39)お勘定書きは・・・

2015-05-15 11:18:09 | 現代小説

つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(39)お勘定書きは・・・



 数時間後。勇作が温かい膝で目をさます。
酔い果てた勇作がいつの間にか恵子の膝で、うたた寝をしていた。
2階の大きな座敷からさきほどまでの喧騒が、まるで嘘のように消えている。


 座布団が、あちらこちらに乱れ飛んでいる。
綺麗に並んでいたはずの膳が、ところどころで転倒している。
持ち帰りを忘れた仕出し弁当がわびしく、畳の上に取り残されている。
16畳の部屋に、人の姿はまったく見当たらない。
遠くの部屋からかすかに、談笑している男たちの声が聞こえてくる。


 「お目覚めどすか?」


 
 恵子の瞳が、勇作の顔を覗き込む。
『みんなは・・・』勇作が眠そうな目を、こすりあげる。
『ほとんどの方はお帰りになりました。残った方は、奥の部屋で呑み直しの最中どす』
『何時?』ふぁっ勇作が、口から出そうになったあくびをかみ殺す。


 「まもなく11時どす。祇園ではまだ、宵の口どすなぁ」


 「祇園の11時は、宵の口かぁ。そうか、やっと日が暮れたばかりなんだ。
 悪かった。膝。重たかっただろう」



 「どうもありまへん。新婚時代を思い出し、少しばかりどすが、
 ほのぼのとした気分を、味わっておりました」


 「あれ、君。・・・結婚してたの?」



 「しちゃあかんの、結婚。
 してましたけどわずか2年で別れました。その先はまったく男に縁のない毎日どす。
 多恵とは生き方がちゃうのどす、あたしは」



 思わず『子供は居るの?』と、口まで出かかってきた言葉を、
あわてて勇作が呑み下す。
『目が覚めたら呼んでくださいと、椎名はんから伝言されていますえ。
奥の部屋で呑んでおりますのが、どうしましましょう?。伝えましょうか?』
起き上がり大きく背伸びをする勇作を、恵子が見上げる。



 「椎名は、放っておこう。
 それより、まだ宵の口だ。酔い覚ましもかねて、白川のほとりを散策しょうか」


 「あら嬉しい。眠る前の約束をまだ覚えとったんや。
 酔っ払いなんか放り出して、うちと2人で呑みに行こうと約束したことを」



 「なんとなく、そんな言葉が、俺の耳に残っている。
 無防備に眠りこけている俺の耳に、君が何度も暗示をかけたんだ。
 なんだか無性に、君と歩きたい気分になって来た。
 結構利くんだね。君のおまじないは」


 ウフフと笑いながら、恵子が立ち上がる。
恵子の肩に手を置き、廊下まで出た時、奥の部屋から椎名が出てきた。
『お目覚めですか、勇作先輩』と椎名が呼び止める。
『ちょっとお話が』と勇作の背中へ手を回し、『ここではちょっと』と
勇作を、廊下の隅まで案内をする。



 「先輩が全部支払うという約束でしたが、この状態では、勘定書きが心配です。
 トヨタといすゞ。三菱ふそうと日産ディーゼルの4社で参加者が合計で、48名。
 舞妓が8人。芸妓が12名、お座敷へ駆けつけてきたそうです。
 仕出し屋から届いた料理は、全部で60人前。
 予想外と言える大宴会になったため、ざっと見積もりしただけでも、
 予算額をはるかに超える、べらぼうな請求額になると思います。
 先輩一人に全部を背負わせるわけにはいきません。ウチの会社でも負担します。
 請求書が届いたら、俺のところへ回してください」



 「馬鹿野郎。祇園の飲み会に突発事態はつきものだ。
 つまらん心配をするんじゃない。
 最初から、何が起ころうと俺が全部、責任を持つと公言したんだ。
 武士と男に二言は無い。
 参加者が増えようが、芸妓の数が増えようが、仕出し屋から大量の料理が届こうが、
 ビクビクすることはない。
 俺が全部支払うから、金のことなど一切いうな。
 じゃなぁ椎名。今日は楽しかった。また、あとでゆっくり呑もうぜ」



 酔いを醒ましながら、女将と歩いて帰ると、勇作が恵子の背中へ手を回す。
『そうはいきません!。先輩を困らせるわけにはいきません。
遠慮しないで、なんでも言ってきてください』と、さらに椎名が追いすがる。
『わかった、わかった。分かったからもう、何も言うな』と、勇作が、
階段を降りながら、後ろ手で『あばよ』と椎名に指を振る。


(40)へつづく

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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (38)魔性の女

2015-05-14 10:46:26 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(38)魔性の女




 目元がほんおりと染まった恵子の横顔が、急に艶めいてくる。
52歳とはいえ、まだまだ女盛りだ。
年若い舞妓や、独身の芸妓を監督する女将という立場とはいえ、
もとは、祇園で浮名を流してきた美人芸妓だ。
酔うと仕草のひとつひとつに、そんな昔の名残がよみがえって来る。


 「近すぎるなぁ、お前さん・・・話と言うのは、例の伏魔殿のことだ。
 多恵さんに注意しろと言っていたが、どうにも意味が、いまひとつ分からん。
 どういうことなんだ。注意しろとは?」



 「なんや、多恵のことどすか。無粋どすなぁ、こんな場合に。
 ウチを介抱するために、表へ出てライトアップしている白川沿いを歩くか、
 席を変えて、2人でしみじみ呑もうと言われると、期待しとったのに。
 いけずやなぁ・・・人の気持ちがわからない朴念仁(ぼくねんじん)は、」


 色っぽい目をした恵子が、舐めるような距離にまで近づいてくる。
『おいおい。勘弁してくれ、迫りすぎだ。みんなが見ている。
もう少し離れてくれ。お前さんの色気に負けて、俺がどうにかなりそうだ』
『どうにかなれば、いいのに・・・』ふんと恵子が、火照った身体を遠ざけていく。



 「多恵は、魔性の女どす。
 男を惑わせる天性を、生まれた時から持っている子どす。
 平気で嘘を並べ立てる。今言ったことなんか、その場でサラリと忘れる。
 性懲りもなく、別の言い訳を平然と口にする。
 小さい時から、多恵はそんな子どす。
 嘘と出まかせだけで、生きてきたような女どす。
 けど、それが男衆にはたまらんようどす。
 次から次へ男を捕まえては、とことんまで食い物にする。
 全部食い尽くして用済みになった男は、ポイと平気で投げ捨てる。
 けど。そんな風にして捨てられた男たちが、何故か多恵の事を悪く言わないんどす。
 さんざん利用されて搾られたくせに、まだ未練が有るんどすなぁ。
 だから、あたしは多恵の事を、魔性の女と呼ぶんどす。
 あ・・・いけません。
 ペラペラと余計なことばかり、しゃべりすぎましたなぁ・・・」



 (お前さんの酔っぱらった色気たっぷりの顔のほうが、俺には魔性の女に見える)
勇作が恵子には聞こえないように、注意深く小さくつぶやく。
だがそんな勇作の様子を、恵子は決して見逃さない。
『いい女だと思っているんやろ、実は、ウチのことを」と酒臭い息を勇作へ吹きかける。



 「お前さんも多恵さんも、実は2人そろって、祇園の魔性の女だな。
 お前さんを見ていると、何だか急にそんな気がしてきた。
 ずいぶん男どもをだましてきたんだろう。お前さんの色気で」



 「あたしの色香はただの営業。でも多恵は、いつでも本気どす。
 奥さんと別れた運命の男もずいぶん居るし、会社もかなり潰してきたわ。
 みんな夢中になるのよ、多恵に言い寄られると。
 いまでもあの美貌でしょ。言い寄られたら、免疫のない男なんかいちころどす」


 「そうか。だから君は、椎名に充分気を付けると言ったのか」



 「お前さんと呼んだり、君と言ったり、忙しいですねぇ今夜のあなたは。
 恵子と呼びすてで呼んでくださいな。
 それが一番心地よく、今夜のあたしのハートに響きます。
 東男に京女。うふふ、恋する大人同士の、最高のとりあわせどす」



 「わるいなぁ。3ヶ月前までなら関東に居たから東男だったが、
 あいにくいまの現住所は、北陸だ。
 すまん。女将の期待に、応えられなくて」


 「あぁ・・・また振られてしまいましたなぁ。
 やっぱり、福井に居る、あのすずという女が目障りどす。
 今夜、丑の刻。五寸釘を打ち付けて、あの女に呪いをかけてあげましょう。
 人の恋路を邪魔する奴は、一人残らず、あたしが全部、
 踏み潰してあげますから」



 『詰まらないことになってきましたなぁ・・・』とつぶやいた恵子が、
ふぁ~と大きなあくびを見せる。
『なんや、眠くなってきました』とささやきながら、勇作の肩へ
ふわりともたれかかる。
恵子にも魔性の才覚が、十二分すぎるほど有りそうだ。


(39)へつづく

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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (37)どんちゃん騒ぎ

2015-05-13 11:26:18 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(37)どんちゃん騒ぎ




 暮れの28日になると、街に酔っ払い客の姿が増える。
12月28日が、『仕事納め』や『御用納め』の日にあたるからだ。
行政機関の休日に関する法律(昭和63年12月13日施行、法律第91号)の中で、
12月29日から1月3日までが、公務員の休日として定められた。
一般企業でも、これに準じる会社が多い。
したがってこの日になると一年の憂さを晴らそうと、おおくの勤め人が
祇園の町へ繰り出してくる。


 時間の経過とともにお茶屋の2階に、男たちの姿が溢れてきた。
呼ばなかったはずのトヨタ自動車の社員まで、いつの間にか男たちの中へ紛れ込んでいる。
16畳の宴会場から人がはみ出し、2階全体に人があふれてきた。
入りきれなくなった男たちが、廊下の真ん中で思い思いに座り込む。
此処まで来るともう人が多すぎて、誰にも収拾がつかなくなる。



 集まって来た男たちが携帯でさらにまた、別の男たちに声をかける。
京都中のトラック関係者が集まったのではないかと思うほど、つぎつぎと人がやって来る。
だが、2階へ集まって来るのは男たちだけではない。
誰が呼んだのか。お座敷を終えた舞妓や芸妓たちまで集まって来た。



 祇園のお座敷は、2時間ほどで宴席が終る。
午後の9時を過ぎると、最初のお座敷を終えた芸妓たちが屋形へ戻る。
バブルの頃なら深夜まで、掛け持ちのお座敷でてんてこ舞いした芸妓たちも
不況が続く昨今は、シングルの仕事でその日が終わる。
帰りがけの芸妓へ電話を入れると、誰もが喜び勇んで池田屋の2階へ駈け込んでくる。
『あら、あんたどこの妓や。初めてみる顔やなぁ』
『へい。鶴松んとこの、豆千代といいます。お客さんに呼ばれてきたんどすが
賑やかどすなぁ、お座敷が。今日はいったいどなたさまの集まりどすか、お姐さん』
『ウチもよう知らん。呼ばれてやって来たら、この騒ぎや・・・』



 集まって来るのは、男や、舞妓や芸妓たちだけではない。
老舗の仕出し屋から、出来たばかりの料理がぞくぞくと部屋へ届く。
『老舗の菱岩( ひしいわ)から、仕出し弁当が届いたぞ。
菱岩といえば幕末のころ、近藤勇や大久保利通、西郷隆盛も通ったという、
かの「一力亭」御用達の仕出し屋だ。
前日に予約しなければ手に入らないはずだが、良く届いたなぁ、こんな貴重なものが』
『トヨタ自動車の部長が、菱岩へ直談判の電話を入れていたそうだ』
『なに、トヨタが頑固者の菱岩を動かしたって!。負けてたまるか、トヨタなんぞに。
トヨタが菱岩から弁当を取ったのなら、ウチは茶懐石の柿傳 (かきでん)へ
電話を入れろ。予約でなければつくらないと威張るだろうが、菱岩が動いたと聞けば、
ライバル心の強い柿傳も、たぶん、絶対に動くだろう!』



 男たちは、仕事以外でもライバル心をむき出しにする。
それぞれのトラックメーカーが、それぞれ懇意にしている仕出し屋へ電話をかけまくる。
参加者が増えるたびに、老舗の仕出し屋からまた、特製の弁当が届く。
男というものは、酔うほどに見栄を張る生き物だ。
『とにかく急いで、特上仕様の仕出しをもってこい!』などと無理な注文を繰り返す。
やがて、誰も手を出さない仕出し料理が、部屋の片隅に山のように
積み上げられることになる。


 「凄いことになってきましたなぁ・・・」



 男たちが入り乱れる部屋の様子を眺めながら、恵子が傍らの勇作へささやく。
2人は危険を感じて、壁際の席まで少しづつ移動してきた。
だがここも安心できる場所ではないようだ。
油断をしていると、どこの誰ともわからない酔っ払いが『俺の酒が呑めないのか』と
2人の間へ乱入してくる。


 「避難したくてもここにはもう、これ以上、逃げるスペースは残っておりまへん。
 いったい誰が呼んだのでしょうか。これほどまでの大人数を。
 京都中のトラック関係者が、勢ぞろいしたような感さえありますなぁ・・・」


 「たまたま仕事納めで、ぜんぶ、祇園で羽根を伸ばしていたんだろう。
 ライバル同士とはいえ、同じトラック業界で苦楽をともにしている連中だ。
 どこかで気の合うところも有るんだろう。
 だがそんなことよりも、恵子。さっきの話の続きだが・・・・」


 「あら。あたしのことを、恵子と呼び捨てですねぇ。
 そんな風に呼ばれると、なんだか、心に響くものがあります、旦那様。
 はい。何でしょうか、ご用件は」


 恵子が着物の膝を崩し、しゃなりと勇作の肩へもたれかかる。
少し酔った眼で、『何が聞きたいのでしょうか、今夜のわ・た・し・に」
と勇作の顔を、最短距離から覗き込む。




(38)へつづく


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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (36)ライバルたちが集まって来る

2015-05-12 11:47:44 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(36)ライバルたちが集まって来る





 「おっ・・・誰かと思えば、珍しい。
 エンジン鋳造の神様、脇屋さんじゃないか!」


 勇作に気が付いた七三分けの男が、懐かしそうな顔で振り返る。
顔を向けたのは、三菱ふそうトラックで長年、労働組合の仕事をしてきた男だ。
勇作が若いころ。自動車労連※の全国集会で何度も顔を合わせた間柄だ。



 ※全日本自動車産業労働組合総連合会の略。
  日本全国に支部を持つ、産業別労働組合(産別)の全国組織。
  現在、約74万1000人の組合員がいる。



 「おう・・・その顔は、三菱ふそうの土屋さん。
 懐かしいですねぇ。お会いするのは、20年いや、25年ぶりになりますか。
 変わらないですねぇ、少し、髪が薄くなっただけで」


 「労働組合の書記長もいまじゃ京都にとばされて、窓際で暇をつぶす管理職だ。
 お前さんのほうはどうだ。
 相変わらずいまでも、現場でエンジン製造一筋か?」



 「いや。3ヶ月前に早期退職した。
 椎名にキャンピングカーを造ってもらったので、お礼代わりに全員を招待した。
 どうだ。どうせ呑むなら、俺たちに混じって呑まないか。
 大勢のほうが、賑やかでいいだろう」

 「おっ、もと労働組合の委員長らしい、ナイスな提案だな。
 一緒に呑もうといわれて、断る理由は特に無い。
 それに、日野自動車の椎名所長には、長年の積もり積もった因縁があるからな」


 「なんだ。椎名との長年の因縁と言うのは?」

 
 「今年も、大型トラックの顧客満足度調査でこいつの日野自動車に負けた。
 調査の結果、日野自動車が6年連続の1位だ。
 今年こそ奪還しようと俺たちも頑張ったが、あと1歩足りなかった。
 だが6年連続で、顧客満足度1位を獲得するのは素晴らしい。
 いいだろう。今日のところは素直に、椎名のために祝杯をあげてやろう」 



 「そういうことなら、さっき路上ですれ違ったいすゞ自動車の連中も呼んで、
 一緒に祝杯をあげたらどうですか」



 後ろに控えていた男が、ライバル会社の『いすず』の名前を挙げた。
『そういえばさっき、四条の通りで日産ディーゼルの幹部連中ともすれ違ったぞ。
どうせなら、トラック業界の4大メーカーを全部、呼びつけたほうが良い。
みんなで集まって、盛大に祝杯をあげてやろうぜ』と後ろのほうで男が声をあげる。


 「そうだな。今年も1位を獲得した日野自動車の椎名を祝福して、
 4大メーカをぜんぶ集めて、一杯やるのもいいだろう。
 女将。たったいま、そういう話が決まった。
 いすゞも日産ディーゼルも一見さんだが、俺たちが責任をもって紹介者になる。
 女将。呉越同舟の酒盛りのために、ひと肌脱いでくれるよな」



 「4大メーカーの、ライバル同士の酒盛りどすか。
 顧客満足度NO-1の日野自動車さんのために、祝杯をあげるとは粋どすなぁ。
 面白そうどす。土屋はんのお友達でしたら、異存などありません。
 よろしおす。万事、わたしにお任せ下さい」


 女将の多恵が、どんと胸を叩く。
顧客満足度調査とは、輸送事業者を対象にトラックの『満足度』を民間機関が調査したものだ。
トラックに対する総合的な満足度を、『アフターサービス』『営業対応』
『商品』『コスト』、の4つのファクターで評価する。
対象となる国内の4大トラックメーカーの中で、日野自動車が640ポイントを
獲得して、6年連続の1位に輝いた。



 ちなみに2位がトヨタ自動車。3位が三菱ふそうトラック・バスで
4位がいすゞ自動車、5位が日産ディーゼルという順位だ。
2位のトヨタ自動車に声をかけないのは、トヨタが純粋なトラックやバスの
製造メーカーではないからだ。
日本のトラックは、トヨタを除いた4大メーカが切磋琢磨を繰り返しながら、
世界的に評価の高い、優れた車体を生み出してきた歴史を持っている。


(37)へつづく


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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (35)宴会が始まる

2015-05-11 09:13:48 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(35)宴会が始まる




 一番広い16畳の座敷に、ずらりと膳が並んでいる。
12名の男たちの宴席へ2人の舞妓につづいて、芸妓が3人入って来た。
いずれも恵子の置屋、『市松』の在籍者だ。


 お茶屋のお座敷は、陰で女将が采配を振る。
幹事はただ、当日の意向を女将に伝えておくだけでいい。
あとのことは女将がすべて責任をもち、臨機応変に対応してくれる。
酒はお茶屋に置いてある。料理はすべて祇園の老舗仕出し屋から届けられる。
温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに、食感を失わない
絶妙のタイミングで、お座敷へ運ばれてくる。


 舞妓が定番の京舞をひとつ舞う。
つづけて芸妓が、優雅な舞いを2つ披露するころには、緊張していた男たちも、
リラックスした雰囲気になって来る。
恵子は、幹事席に座る勇作のすぐ脇に『あたしの居場所』とばかりに、
きわめて優雅に腰を下ろす。
『はい、どうぞ』勇作に酌をする恵子の様子は、幹事に気を遣う姿ではなく、
時々座敷の様子を見に来る多恵の視線から、勇作を守っているようにさえ見える。



 (所長の椎名さんは盗られても構いませんが、あなたまで盗られたら
 すずさんに、合わせる顔がありません。うふふ・・・)
勇作にぴたりと寄り添った恵子が、涼しい顔で周りに笑う。
置屋の女将がお座敷で、一般客の傍にピタリと寄り添うのは、異例のことだ。



 30分ほどが経った頃。
所長の椎名が芸妓の肩に手を置いて、ふらりと席を立った。
『あら・・・』恵子の目が、席を立っていく椎名の背中を注意深く見つめる。
(何か有ってからでは遅すぎます。様子を見てまいります)
小声で勇作へささやいた恵子が、廊下へ消えていく椎名の後を追う。


 お茶屋では、数組の客が入った場合、かならず隣の部屋を空室にする。
客の話声や、部屋での騒ぎが外へ漏れないようにするためだ。
鉢合わせを防ぐための配置だが、ただひとつだけ、手洗いが共有の場になる。
手洗いに行ったとき、合わせては不味い客同士が、顔を合わせしまう危険性が有る。
先に動き、手洗いの安全性を確認しておくことも、お茶屋で呑ませる時の
配慮のひとつだ。


 だが、時はすでに遅かった。
ふらりと廊下に出た椎名の前に、4人の男が立ちふさがった。
30分ほど時間をずらし、奥の部屋へ案内されてきた別の男たちのグループだ。


 「よお・・・珍しいなぁ。
 誰かと思えば、ライバルの日野自動車、椎名所長じゃないか」


 「あ、三菱ふそうトラックのお歴々。
 奇遇ですねぇ。こんなところで、ばったりと顔を合わせるなんて」



 「それはこっちの言いたいセリフだ。
 俺たちはこの池田屋が、祇園で酒を飲むときの定宿(常連の意味)だ。
 だがここで日野自動車のお前さんと会うのは、初めてだな。
 誰から紹介されて此処へ来た。
 一見さんでは、老舗のここへは上げてもらえないはずだ。
 よほどの人間が紹介したと見える。
 いったい、どこのどいつだ。お前さんを此処へ紹介したのは?」



 「置屋『市松』の女将さんに口利きをお願いしました。
 祇園の初心者ばかり10人を、まとめて、ここへ連れてきてもらいました。
 身分不相応なのですが、たまには祇園で忘年会もいいだろうということで、
 30分ほど前から、この部屋で呑み始めたばかりです」


 「一見さんばかり、まとめて10人も座敷へあげたのか・・・
 凄いねぇ。荒業を使うなぁ、置屋『市松』の恵子のやつも。
 そうか。ここの多恵とは舞妓の時からの、同期の仲と言っていたなぁ。
 ということは、トラック業界の1位と2位を争うライバル関係の俺たちが、
 同じお茶屋の2階で、酒を飲むということか。今夜は・・・」

 
 不味い展開になってきましたねぇと、恵子が壁際に身体を隠す。
三菱ふそうトラックといえば、日野自動車と人気を二分するトラック業界のライバル会社だ。
ライバル会社同士が、同じお茶屋でばったり鉢合わせするとは、今夜は運が悪い。
『困ったことになって来ましたねぇ・・・』とつぶやく恵子の背後へ
『どうしたんだ。何か有ったのか?』と、勇作がのそりと顔を出した。

 


(36)へつづく



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