2008年9月23日(火)
ポルトガル観光の2日目。
さらに、この日はポルトガル観光に続いて、いよいよスペインへ移動する日。
そのため、スーツケースを午前8時までに部屋のドアの前に出しておくことと言われていた。
富山県人は気忙しく、朝まだ暗い中からスーツケースを出して、6時30分から朝食開始。昨日よりもさらに30分早い。
日程表(3日目)
昨日と同じバスに乗り込み、9時にホテルをスタート。
日本人のガイドさんが昨日の人と代わっていた(何れも我々と同年輩くらいの女性だった)。
リスボン市内観光(昨日の続き)
世界遺産② ベレンの塔
↓
発見のモニュメント
↓
世界遺産③ ジェロニモス修道院
地図はWORLD MapFinder リスボン地図を使用。
世界遺産② リスボン港を守る要塞として建築されたベレンの塔
16世紀にバスコ・ダ・ガマの偉業を記念して作られた要塞
発見のモニュメント 石畳に描かれた「世界地図のモザイク」
エンリケ王子の没後500年を記念して建てられた大航海時代を記念した記念碑。
記念碑は52mの高さのコンクリート製で、キャラベル船の船首の曲線ににせてある。
石畳には、多くのポルトガル人航海者が辿った航路を示す世界地図のモザイクがある。
なお、日本の場合ポルトガル人が種子島に漂着した1543年ではなく、ポルトガル船が豊後に漂着した1541年が記述されている。
ここリスボンの港から日本に漂着したポルトガル船も出航したのだった。
世界遺産③ ジェロニモス修道院
大航海時代の富をつぎ込んで建築されたマヌエル様式の最高傑作。
その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われたとのこと。
リスボンからエヴォラへ
地図はWORLD MapFinder ポルトガル地図の一部を使用。
車窓ではコルクの木の林が延々と続く。
世界遺産④ エヴォラ歴史地区
エヴォラで修道院を改装したレストランで昼食
↓
エヴォラ大聖堂
↓
ディアナ神殿
エヴォラ大聖堂
1280年から1340年に主に建設されたエヴォラの誇る大聖堂。
マヌエル様式、バロック様式、ルネサンス様式の三つの異なった様式が見られるとのこと。
ディアナ神殿
1世紀に皇帝アウグストゥスを祀るために作られた神殿で、ローマ時代の遺跡。
国境越え、スペインのセルビアへ
↓
宿泊ホテル:アルコラ
ホテル・アルコラ(☆☆☆☆)
午後8時頃、漸くセルビアの街のレストランで夕食を済ませ、ホテルに入ったのは、10時30分頃だった。
なお、スペイン・ポルトガル旅行(3日目)のスライドショー(←クリック)は、ココログの“ヒマジンの試行錯誤-2”にアップした。
ポルトガル観光の2日目。
さらに、この日はポルトガル観光に続いて、いよいよスペインへ移動する日。
そのため、スーツケースを午前8時までに部屋のドアの前に出しておくことと言われていた。
富山県人は気忙しく、朝まだ暗い中からスーツケースを出して、6時30分から朝食開始。昨日よりもさらに30分早い。
日程表(3日目)
昨日と同じバスに乗り込み、9時にホテルをスタート。
日本人のガイドさんが昨日の人と代わっていた(何れも我々と同年輩くらいの女性だった)。
リスボン市内観光(昨日の続き)
世界遺産② ベレンの塔
↓
発見のモニュメント
↓
世界遺産③ ジェロニモス修道院
地図はWORLD MapFinder リスボン地図を使用。
世界遺産② リスボン港を守る要塞として建築されたベレンの塔
16世紀にバスコ・ダ・ガマの偉業を記念して作られた要塞
発見のモニュメント 石畳に描かれた「世界地図のモザイク」
エンリケ王子の没後500年を記念して建てられた大航海時代を記念した記念碑。
記念碑は52mの高さのコンクリート製で、キャラベル船の船首の曲線ににせてある。
石畳には、多くのポルトガル人航海者が辿った航路を示す世界地図のモザイクがある。
なお、日本の場合ポルトガル人が種子島に漂着した1543年ではなく、ポルトガル船が豊後に漂着した1541年が記述されている。
ここリスボンの港から日本に漂着したポルトガル船も出航したのだった。
世界遺産③ ジェロニモス修道院
大航海時代の富をつぎ込んで建築されたマヌエル様式の最高傑作。
その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われたとのこと。
リスボンからエヴォラへ
地図はWORLD MapFinder ポルトガル地図の一部を使用。
車窓ではコルクの木の林が延々と続く。
世界遺産④ エヴォラ歴史地区
エヴォラで修道院を改装したレストランで昼食
↓
エヴォラ大聖堂
↓
ディアナ神殿
エヴォラ大聖堂
1280年から1340年に主に建設されたエヴォラの誇る大聖堂。
マヌエル様式、バロック様式、ルネサンス様式の三つの異なった様式が見られるとのこと。
ディアナ神殿
1世紀に皇帝アウグストゥスを祀るために作られた神殿で、ローマ時代の遺跡。
国境越え、スペインのセルビアへ
↓
宿泊ホテル:アルコラ
ホテル・アルコラ(☆☆☆☆)
午後8時頃、漸くセルビアの街のレストランで夕食を済ませ、ホテルに入ったのは、10時30分頃だった。
なお、スペイン・ポルトガル旅行(3日目)のスライドショー(←クリック)は、ココログの“ヒマジンの試行錯誤-2”にアップした。
2008年9月22日(月)
いよいよ中世のヨーロッパ・ロマンに満ちた観光のスタート。
先ずは、“ポルトガル”観光の1日目である。
この国は、夜の明けるのが遅かった。7時でもまだ暗い。
7時30分モーニングコールとのことだったが、ホテルの食堂オープン7時の10分前から並んでいた人がいたとのこと。(添乗員談)
これぞ日本人特有のセッカチ。
ヨーロッパ人には、どのように映ったのだろうか?
9時お迎えの貸切大型観光バスで出発。
日程表(2日目)
観光バスに日本人ガイドと現地ガイド(国のライセンス持ちだそうだが、ガイドは殆んどしない)と当然のことだが現地運転手が同乗。
ガイドは全て日本語である。
ポルトガルで有名なものは“コルク”(世界一の生産国)と“金装飾細工”とか。
ガイドさんの案内が始まる。
私はポルトガルについては殆んど知らない。
何を聞いても新鮮であった。
ポルトガル
【2日目のコース】
ホテル(リスボン)⇒ ロカ岬⇒ シントラ⇒ リスボン市内
赤枠部分を拡大した地図
ポルトガル地図 (WORLD MapFinder ポルトガル地図を使用)
大型観光バス
実は、この日から7日目の午前中スペインの首都マドリッド市内観光まで、全てこのバスを利用したのだった。
ロカ岬
ヨーロッパ大陸最西端の地
ポルトガルの詩人の叙事詩の一節が刻まれた石碑
『ここに地終わり海始まる』
ここで、初めて“大西洋”と対面。
記念に、ユーラシア大陸最西端到達証明書(有料)を貰った。
証明書には、名前・日付等が入り、裏面には主要国の言葉で書かれた上記の詩(日本語もある)が書かれている。
世界遺産① シントラの王宮
シントラの文化的景観の一部として世界遺産に登録。
15世紀初頭から19世紀後半にかけポルトガル王家が住み続けており、ポルトガル国内でも最も保存状態の良い中世の王宮であるとのこと。
内部の装飾や調度品は実に素晴らしかった。
また、この近辺の景観にもうっとりとさせられた。
参考までに日本との関係:天正遣欧使節、長崎県大村市と姉妹都市。
バスは再び、リスボンへ。
リスボンのレストランで昼食。
ここでの面白かったエピソード:
昼食に「焼き鰯」が出た。味は良かったが、ステーキ並みにホークとナイフで喰ったのには、さすがの富山県人も参ったようだった。
今回の旅行を通じて、昼食の時間は大体午後の1時頃だった。
一時間間くらいで昼食を済ませ、リスボン市内観光へ。
リスボン市内地図(WORLD MapFinder リスボン地図の一部を使用)
エドゥアルド7世庭園
幾何学模様の植え込みが美しい
リベルダーデ大通り
ポルトガルのシャンゼリゼと称される。バスで通過。
金街道
ポルトガルの名産、金装飾細工品のショッピング。
国の取り決めにより、偽物は無いとのこと。価格もどの店も同一とか。
市電に試乗。
リスボンは坂の街。傾斜に合わせて水平を保てるように設計された電車であった。
この国の夜になる時間も遅い。
午後8時ごろ、ようやく日が沈む感じである。
という訳で、8時頃、リスボン市内のレストランで夕食を済ませた。
料理はあまり記憶がないが、ここで飲んだワインのハーフ・ボトルはうまかった。
バスで1日目と同じホテルに戻った。
明日は移動なので、ホテルでスーツケースの荷造りをした。
なお、スペイン・ポルトガル旅行(2日目)のスライドショー(←クリック)をココログの“ヒマジンの試行錯誤ー2”にアップした。
いよいよ中世のヨーロッパ・ロマンに満ちた観光のスタート。
先ずは、“ポルトガル”観光の1日目である。
この国は、夜の明けるのが遅かった。7時でもまだ暗い。
7時30分モーニングコールとのことだったが、ホテルの食堂オープン7時の10分前から並んでいた人がいたとのこと。(添乗員談)
これぞ日本人特有のセッカチ。
ヨーロッパ人には、どのように映ったのだろうか?
9時お迎えの貸切大型観光バスで出発。
日程表(2日目)
観光バスに日本人ガイドと現地ガイド(国のライセンス持ちだそうだが、ガイドは殆んどしない)と当然のことだが現地運転手が同乗。
ガイドは全て日本語である。
ポルトガルで有名なものは“コルク”(世界一の生産国)と“金装飾細工”とか。
ガイドさんの案内が始まる。
私はポルトガルについては殆んど知らない。
何を聞いても新鮮であった。
ポルトガル
【2日目のコース】
ホテル(リスボン)⇒ ロカ岬⇒ シントラ⇒ リスボン市内
赤枠部分を拡大した地図
ポルトガル地図 (WORLD MapFinder ポルトガル地図を使用)
大型観光バス
実は、この日から7日目の午前中スペインの首都マドリッド市内観光まで、全てこのバスを利用したのだった。
ロカ岬
ヨーロッパ大陸最西端の地
ポルトガルの詩人の叙事詩の一節が刻まれた石碑
『ここに地終わり海始まる』
ここで、初めて“大西洋”と対面。
記念に、ユーラシア大陸最西端到達証明書(有料)を貰った。
証明書には、名前・日付等が入り、裏面には主要国の言葉で書かれた上記の詩(日本語もある)が書かれている。
世界遺産① シントラの王宮
シントラの文化的景観の一部として世界遺産に登録。
15世紀初頭から19世紀後半にかけポルトガル王家が住み続けており、ポルトガル国内でも最も保存状態の良い中世の王宮であるとのこと。
内部の装飾や調度品は実に素晴らしかった。
また、この近辺の景観にもうっとりとさせられた。
参考までに日本との関係:天正遣欧使節、長崎県大村市と姉妹都市。
バスは再び、リスボンへ。
リスボンのレストランで昼食。
ここでの面白かったエピソード:
昼食に「焼き鰯」が出た。味は良かったが、ステーキ並みにホークとナイフで喰ったのには、さすがの富山県人も参ったようだった。
今回の旅行を通じて、昼食の時間は大体午後の1時頃だった。
一時間間くらいで昼食を済ませ、リスボン市内観光へ。
リスボン市内地図(WORLD MapFinder リスボン地図の一部を使用)
エドゥアルド7世庭園
幾何学模様の植え込みが美しい
リベルダーデ大通り
ポルトガルのシャンゼリゼと称される。バスで通過。
金街道
ポルトガルの名産、金装飾細工品のショッピング。
国の取り決めにより、偽物は無いとのこと。価格もどの店も同一とか。
市電に試乗。
リスボンは坂の街。傾斜に合わせて水平を保てるように設計された電車であった。
この国の夜になる時間も遅い。
午後8時ごろ、ようやく日が沈む感じである。
という訳で、8時頃、リスボン市内のレストランで夕食を済ませた。
料理はあまり記憶がないが、ここで飲んだワインのハーフ・ボトルはうまかった。
バスで1日目と同じホテルに戻った。
明日は移動なので、ホテルでスーツケースの荷造りをした。
なお、スペイン・ポルトガル旅行(2日目)のスライドショー(←クリック)をココログの“ヒマジンの試行錯誤ー2”にアップした。
スペインと言えば、闘牛とフラメンコを思い出す。
今回の旅行では、フラメンコだけが叶えられた。
写真を見ながら、1日目から順番に今回の旅行を振り返ってみる。
日程表(1日目)
時刻はすべて現地時間で表示。
日程に従って、1日目は関西国際空港からエールフランス機でパリ経由ポルトガルのリスボンへ。
関空で、今回の旅行に参加する全員が顔合わせ。
北日本放送の鍋田恭子さんと同行男性社員Tさん、阪急交通社の男性添乗員Aさんと我々応募参加者30名の合計33名。
応募参加者の中には、我々のような初参加者とこのツアーに過去何べんも参加している常連組みもいた。
曇り空。
飛行機はほぼ定刻に関空を飛び立った。
(世界地図:WORLD MapFinder 世界地図の一部を使用)
ロシア大陸上空を飛び一路パリへ。(大阪⇒パリ間距離:約11,000Km、対地速度:約900Km/h)
航路は飛行機内部で見たテレビ画面からの推測。
機内食:2回。
飛行中は、飛行機の後からずっーと夕闇が追っかけてくるような感じだった。
予定より若干早く16時40分パリ到着(所要時間:約12時間、日本との時差は7時間である)。
でも、長い長い飛行時間だった。
天気は晴れ。
パリで乗り継ぎ、空路リスボンへ。
予定より若干遅れて22時頃リスボン到着(所要時間:約2時間30分)
夜間飛行だった(機内で軽食:1回)。
天気はここも晴れ。
出迎えの観光バスでホテルへ。
ホテル到着23時(日本との時差は8時間である。日本では翌日の朝が始まっている時間だった)。
なお、スペイン・ポルトガル旅行(1日目)のスライドショー(←クリック)をココログの“ヒマジンの試行錯誤ー2”にアップした。
リスボン滞在中、2日間宿泊したマリオット・ホテル(☆☆☆☆)
今回の旅行では、フラメンコだけが叶えられた。
写真を見ながら、1日目から順番に今回の旅行を振り返ってみる。
日程表(1日目)
時刻はすべて現地時間で表示。
日程に従って、1日目は関西国際空港からエールフランス機でパリ経由ポルトガルのリスボンへ。
関空で、今回の旅行に参加する全員が顔合わせ。
北日本放送の鍋田恭子さんと同行男性社員Tさん、阪急交通社の男性添乗員Aさんと我々応募参加者30名の合計33名。
応募参加者の中には、我々のような初参加者とこのツアーに過去何べんも参加している常連組みもいた。
曇り空。
飛行機はほぼ定刻に関空を飛び立った。
(世界地図:WORLD MapFinder 世界地図の一部を使用)
ロシア大陸上空を飛び一路パリへ。(大阪⇒パリ間距離:約11,000Km、対地速度:約900Km/h)
航路は飛行機内部で見たテレビ画面からの推測。
機内食:2回。
飛行中は、飛行機の後からずっーと夕闇が追っかけてくるような感じだった。
予定より若干早く16時40分パリ到着(所要時間:約12時間、日本との時差は7時間である)。
でも、長い長い飛行時間だった。
天気は晴れ。
パリで乗り継ぎ、空路リスボンへ。
予定より若干遅れて22時頃リスボン到着(所要時間:約2時間30分)
夜間飛行だった(機内で軽食:1回)。
天気はここも晴れ。
出迎えの観光バスでホテルへ。
ホテル到着23時(日本との時差は8時間である。日本では翌日の朝が始まっている時間だった)。
なお、スペイン・ポルトガル旅行(1日目)のスライドショー(←クリック)をココログの“ヒマジンの試行錯誤ー2”にアップした。
リスボン滞在中、2日間宿泊したマリオット・ホテル(☆☆☆☆)