傘寿の恩師を囲んで
あの頃はみんな子供だった
若かった
みんな理想を求めて
向上したいと
何らかの見えない敵と闘っていた
そして闘った分
ちょっとしたことが嬉しくてとても素直に喜べた
友達もまた同じように
闘っていた
同士とも戦友とも言えるクラスメイト
友情が芽生えた
生徒たちに近づけて肩を並べてくれたのか
ガキ大将を演じてくださった先生は
今年は傘寿、八十歳
あの頃から五十年経ったけれど
あの頃が懐かしくてこうして集まってくる
何十回と繰り返されたクラス会だが
顔ぶれも決まってきていてお馴染みメンバーが揃う
そんななか
「場違いかな?」と
ここ三、四回ご無沙汰で久しぶりに参加の
友の感想…
みんな仲間と思っていたのに
思いもよらない友の気持ちにハッとする
彼女は高田馬場から
集まったみんなにお土産を
持ってきてくださった
重かったろうに…
メキシコ産のマンゴーを12個も…
「次回、俺は欠席する―たまにはゲストになるために」
「そんな考え方はKの癖だね」と彼の親友が言う
「Wさんは転校生なのにだんだんデカイ顔するようになったね」
そう言って笑うYも転校生
「Y君の後に続いているだけよ、彼方は横綱。とても敵いません!」
Wも軽口をお返しする
みんな同じ過去の 同じ場で
同じ空気を吸ってきた
旧友に会うことは心弾む時だ
年を取ったんだね
若かった自分に帰るチャンス
自分の存在価値を改めて確認している
なかには病気で来られなかった人も
残念なことに亡くなられてしまった人もいる
一期一会と唱えながら
いまこの時は二度と来ないのだからと
ことさら重く 大切に考えて
生きて行きたいと
思うのだ
「お土産のマンゴー、そろそろ頃合に冷えたので食べようっと!」
日本には昔から「待ちの文化」という独特な考えがあることを何かの本で読んだことがある。上の写真は昨夜―7月25日の月。デジカメで三脚を使わないのに多少のブレ程度で、よく撮れたと自負している。
上弦の月(半月)(7日ごろ)も過ぎてこれは十日夜〔とおかんや〕。続いて十三夜、満月(十五夜・望月)になるのを待つ。
満月を過ぎると十六夜〔いざよい〕から立待月(17日ころ)、居待月(18日ごろ)、寝待月(臥待月〔ふしまちづき〕)、更待月〔ふけまちづき〕、下弦の月(23日ごろ)、有明月、三十日月(「晦日〔つごもり〕とも言う。大晦日を「おおつごもり」。ちなみに「つごもり」は「つきこもり」が転じたもので、月が姿を見せないのでこう呼ばれた。)と、寝る時間まで待っていたり夜も更ける時刻まで…とにかく月が上るのを待っていたその気の長さ。いにしえのお方は「ほんとによく待ったなぁ」と思う。
デートで相手が遅れて来ても、月を眺めて待つくらいの余裕が持てたら…なんて言葉も聞こえる。
「月を眺めていて遅れた」と言って許してもらえるような…あぁ運命が変っていた人もいたかも!! そんな人が、現代の世に実際居られるのかしら?