今年の土用丑の日は7月30日です。
平成16年の秋に歌舞伎鑑賞をしようと計画いたしましたが、残念なことに座席確保が困難という事態になり中止となりました。
その際、ご案内のパンフレット原稿を準備いたしました(結局は皆さんには未配布)が、内容は浅田次郎の小説の中の、粋なお祖母さんの話を取り上げてみたのです。
(歌舞伎とお寿司と鰻…鰻については明日土用の丑の日に関連して…の話が登場していました。)
深川芸者だったとお祖母さんが亡くなってから知って、在りし日のお祖母さんの逸話が書いてある作品です。
浅田次郎の『霞町物語』から
「雛の花」
――(略)祖母は何につけても上等でなければすまなかったのに、こと芝居に限ってはいつも三階の大向こうに席を取った。
急勾配の闇の中から、「音羽屋!」と叫ぶ祖母の掛け声は、大向こうの通(つう)さえも一斉に振り返らせるほどの、実にいい声だった。
祖母と芝居を観に行った帰りがてら、銀座で寿司を食ったことがある。
(略…席についたとたん、ものの数分で寿司が運ばれてきたので手をつけずにお代だけ置いて席を立って出て行く二人。「釣りはいらないよ」と捨てぜりふを残して…概略です)
「座ったとたんに出てくる寿司なんてあるものか。あれははなっから握ってあったんだ。いくら忙しいからって、お客をこけにしちゃいけない―おなか、すいたろう。鰻でも食べようか」
(略…祖母とは馴染みの店らしくその鰻屋の女将と長いこと世間話をしていた…)
鰻はなかなか出てこなかった。僕は空腹に耐え切れず、祖母のたもとを引いて、
「遅いね、おばあちゃん」
と言った。
とたんに、祖母は僕の手の甲をいやというほど叩いた。
女将はくすっと笑って奥へ入って行った。叱られた理由が僕にはわからなかった。
「おまい、鰻屋で早くしろは口がさけたって言うんじゃないよ」
「どうしてさ」
「うまい鰻はそれだけ手をかけて焼くんだ。鰻の催促は田舎者にきまってる」
早い寿司は食うな、遅い鰻は催促するなと、江戸前の作法はなんとやかましいのだろうと僕は思った。
「ちょいとの間、これで辛抱おし」
と、祖母は僕の口にドロップを入れてくれた。鼻につんと抜ける薄荷(はっか)の香りを渋茶で味わいながら、僕はその時もやはり、ガラス越しの西日に隈取られた祖母の顔を、美しいと思った。
(略)――