今咲いているのはつつじ?またはサツキ?
緑の葉が覆われてしまうように、華やかな彩りを見せている。
今、大変に目を楽しませてくれている。
母が元気に散歩しているころ、私も付き合って近所のスポーツセンターや
草野水路の遊歩道を往復していたことがふと目に浮かぶ。
母は体調改善のために入院した。
幸せなことに、今までの介護老人健康施設に近い病院だから
大変気軽な感じで、病院に移れた。
病院に入ると、流石その効果は目に見えるように良い感じになるのは嬉しい。
ここの入院仲間で、私が今までに出会ったことのなかったような人に出会った。
そのお婆ちゃんは、いつも他に非難の矛先を当てている。
私はこんな処に来たくなかったのに、入れられてしまった。
今までは自分の足で歩けたのに、ここじゃ歩けないじゃないか。
こんなお食事じゃ食べられないよ。これじゃ鳥のえさだよ。
菜っ葉が無いじゃないか。何を食べさせられるんだか分らない。
何よ!こんなカーテンぶら下げて邪魔じゃないか。
仏様も神様もここに無いよ。捨てられちゃったらしいね。
お父さん(亡夫)が出てきて早くこんな処、出てしまった方が良いと言っていた。
ここに居たら殺されちゃうよ。
あなた達、肩書きでものを言って、私に押し付けてくるね。
私が文句を言うと無視するし、居なくなっちゃうじゃないか。
横合いから口を挟むんじゃないよ。
60年も前に今の家を買ったんだ。あの家へ行かせてくれよ。
・
・
ウルサイ~ッ!!
ベッドの名札には86歳とある。看護士さんもヘルパーさんも実に優しい言葉で対応しているのに、自分勝手な言い分を繰り返しながら通そうとしている。
考えて見ればある意味では“唯我独尊”…周りにいる者を皆撥ね退けて、言いたいように、やりたいようにやってきて86年過ごして来られたようである。
周りは皆信用できない人ばかり。息子でさえもこの母の言い分には黙って従っているしかなかったようで、見舞いにきても声もあまり聞こえず、ただ母親の恨み節を静かに聞いている。おとなしそうな良い感じの人のように見えるのに、嫁もとらず(この母が居て迎えられないのか?)に、結構な年なのに…しかし未だ独り者と、そのお母さんの恨み節の中にも、そのことが混ざっていた。
この方にもこの方なりの“太陽”をもって生きられていると思う。
さて、私が85歳以上も生きていられるなら、どんなおばあさんになっているのだろうか?
介護しながらも、未来の自分の在り方を描きつつ、今を過ごしているのである。
私は食事介助をしながら言った。
お母さんは素晴らしい!
私たち子供に食べ物の好き嫌いの躾をしてきたから、
なんでも食べられて、介助も遣り甲斐があるわ。
お母さん、食べてくれてありがとう!!
隣の恨み節がす~っと消えた。