芳名録に記入する。人形はかくのごとく出来ている。当然だがみんな手作り。
そしてAkasakiさんの全て創作で、どなたの師事も受けずに独学で制作する。
スリッパの裏側のミシン針の跡。靴下も何かのリサイクルの活用している。
緑茶ブレイク。その時の器はこれです。参りますね。シャッポを脱がざるを得ません。
テーブルの上には過去の展示の模様が記録されているアルバム。
製作者の説明やその作品にまつわる逸話もかなり興味深いものがあります。
もうすぐお姉さんになるのよ。お腹に耳を当てれば、
ほ~ら、妹か弟の眠っている鼾が聞こえてくるでしょう?
Akasakiさんの自筆で、彼女の言葉がそこにあった。
―よろこび―
そっと見つめていたい人がいるという幸せ…
自分をそっと見つめてくれる人がいるという幸せ…
生きるよろこび、って
そんなお互いの存在感の中にあったりするのかも
しれません Toyoko
ここでギャラリーを開いたのは4年前。その当時からの記録アルバム。
人形制作に関わっての25年の月日は、やはり人を夢中にさせる“深さ”があると思った。
嫁ぐ前日の母娘の語らう様子を示す人形。
衣桁には白無垢と、打ちかけが掛けられて障子の明かるさの温くもりの場面。
本格的に着物など縫う機会はなかったとのことですのに、
美容院から借りてきて見様見真似で作られたという着物の数々。
綿を入れたふき、比翼仕立ての難しい仕立ての着物。
大変なものだと知っている。仕立ては少し気になる個所も(ごめんね)見えたのだが、
仕立ての玄人でもあまり作らないだろう打ち掛けなどに挑戦する心が、素晴らしい。
私は少し習った程度だが、自分の訪問着を縫いあげたり、子供の七五三の着物を縫ったり、
娘のウェディングドレス…まっ白いレースとサテンの生地を扱い長いチュールをつけて
花嫁衣装を仕立てて、娘に着せ結婚式をさせた経験がある。
彼女は習ったこともない着物の仕立てを、縮尺寸法で小さいとは言え、
これまた見事に出来上がっていることに、またまた驚いた。
下の写真は、おひな祭りのお重に、ちらしずしと桜餅にどら焼き。
本物に見えるが、ちいさな重箱においしそうに…しかしこれも粘土や布きれで作った小道具。
そして自転車。アメリカからのお土産に下さったというもの。ぺタル、ブレーキなど本物のように動く。
小人なら乗って行かれるに違いない精巧な本物志向。参ったね!
カウンターバーで気持ちよく酔っている客二人。一人はマスターを相手にかなり酔っている風情。
隣の部屋には、趣味の焼き物、ビーズ手芸、はがき、便箋、一筆箋などを展示販売していた。
ピエロの奥、左の書棚には彼女のたった一冊だけの本としては、娘さんの写真と母の心を綴ったもの、
彼女の大事な出来事などを綴った本があった。
そして自費出版のご本は、初めて書いた小説…という言葉が添えてあった。
ご主人が静かに見守っている暖かな明るい日差しの和室で、
午後の素敵なひとときを戴いた。
個性的な創作人形のギャラリーを訪れた。
ご自宅を一部開放してギャラリーとしてお使いになって、ようこそ!とお出迎え。
お花も一杯、外に置く瀬戸様焼き物人形・鋳物人形も、アプローチから歓迎される。
ご姉妹で家庭画報大賞を受賞なさったことや、テレビドラマに彼女の人形が出演する機会があって、その番組のアクターとともに、記念に写した写真も壁にあったが、どなたが俳優でどなたが素人なのか分からないくらい、美しく堂々と場馴れなさった様子の、人形作家・Akasaki Toyokoさん(姉)、Wada Sumikoさん(妹)。
他にも、新聞など数々マスコミに取り上げられていると聞いている。お二人の制作による人形が展示されているギャラリ―にお邪魔した。
まず最初に出迎えてくれた人形は「ちょっと足あげて」。
老夫婦のさりげない日常の一コマ。新聞をよんでいる夫がひょいと足をあげて掃除機をかける妻の様子を人形で表現されている。一体の背丈が約40センチ。
その体に合わせての、小物を作ったり、売っているのを探したり、だれかが見つけて知らせてくれる出会いもあったり、親切に金槌やカンナを使って幌馬車など大きなものを手作りされる協力者もあったり…何か小さいものやちょっとしたものを見ると、欲しかった物に変身させたり…探している対象が、ひょっこりと現れる…と言われたが、アイディア一杯の物凄い空間であった。
こうした物は、いつも頭から離れないで、工夫の気持ちの線上にあるからで、漠然と街を歩いているだけではなかなか見つかるものではないと感じた。
この写真が捉えた小道具たち~新聞、掃除機、置時計、スリッパ、立派なソファー…みんな彼女の工夫や物色する心がここに結集されている。
一部見えている子供の風景にもランドセルや机、地球儀、スタンド、厚表紙の本、遊んでいるトランプなどなど、全てミニチュアで人形に合った寸法のもので、風景の均整を保っている。ただ舌を巻いて感嘆の声を発するだけであった。
ここは出窓を広くした特別な舞台。テーブルを囲んで4人のご婦人たちがおしゃべりしながら、パッチワークにいそしむ風景。外には桜が咲いている。椅子もテーブルも老眼鏡も…。状況や場面設定を2カ月ずつ換えているそうである。それは季節にあった設定や、ドラマ設定にして人形たちに演じてもらっている。また季節とそのシーンに合わせたりドラマが浮かんだりして換えるそうである。またそれらが変わったあたりで再び訪れてみたいと思った。
人形作家のAkasakiさんは右に座られている方、また、下の写真では後列に立っていらっしゃる方。
下の方の写真はみんな揃って同級生である。ただし学校・生活する地域は違っているのだが、それぞれ不思議な糸で結ばれていたようす…過去の出会いも、話しているうちに分かって驚きの中で共通した場があったりしたのである。
どこか出会ったとか、小学校が一緒だったとかは普通のことだが、小学校は違うが先生の転勤から転勤先の小学校の同級生を引き合わせてくれたために出会ったとか、同級生と結婚していたから今回の出会いのきっかけが出来たとか、高校が一緒になったとか…。
それぞれが「あれ~?!」「一度は別々になったのに、高校で再会できたのよね!」「50余年の再会ですね~」
驚いたり感激したり、なぜ?と不思議に思ったり…の関わり方。
改めて写真のなかの皆さんの笑顔を見て、なんと幸福そうな、満足度が高い、良い表情をしているのだろうと…思って見た。
Akasakiさんは、人形制作のみならず万能の才能の持ち主である。本を上梓なさったり、絵を描かれたり…存分にその才能が発揮されて人形演出のプロデューサーだ。そして、はがきや一筆箋などにも彼女の個性がきらめいたものを購売されるコーナーもあった。
あ~、こんなに一生懸命に生きて、自分を活かしている時間を持っていられたのかと。積極的に、自分の個性がきらめくための対象(人形制作)を見つけて生きてこられたのね~と、ただ感服。その生きざまを垣間見て眺めさせて戴いて、今、なんと充実した時間、中身の濃い一日を共有できたことかと喜びと感激、ときめく時間を戴いた。
そして帰路にはあまりに感心したこと、感激したことに対して、なぜなのだろうか? 大変疲れてしまった自分を見つめ、寡黙な傾向に……そんな意外な無の空間を発見。車を出してくれた友人と二人になったので、そのあと2時間近くをコーヒーとケーキセットで、日常的な会話で埋めた。そして平らな生活にスリップしていく時間をしばらく持ってから、友人Chiekoさんと別れた。