いちよう:二千和会だより

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千葉県の京都・法華経寺

2010年03月13日 | SO-Color

 ここ、中山法華経寺はあまりに由緒ある建物が多くあり、“千葉県の京都”だと評したブログもありました。
 身近にあると、何が大切であるか、尊重しなくてはならないかが、判らなくなります。案内をボランティアして戴いた結果、浅く考えていた私は、思ったより観る価値やその多さもさることながら、その背景に含む歴史の重さに驚きを持って拝見いたしました。

 
  

  今は水のない窪地の上の橋ですが、まず橋の欄干には、鬼子母神の象徴のザクロの実、そして中山法華経寺の建立や充実に力を注いだゆかりの方―桔梗紋と揚羽蝶の紋が模様になっています。

 

  皆さんの後ろ姿が寒そうです。でも防寒に徹した服装だったから、思ったほどは寒くありませんでした。KMさんの少々歩き姿が乱れていたのは、フードを被ろうとしていた様子の時でした。

 前に見えるのが祖師堂。1325年創建。以前は「三層しころ屋根入母屋形式」だったけれど、1987(昭和62)年~1997(平成9)年の10年がかりで創建時の「比翼入母屋造り杮葺き(こけらぶき)形式」に復元されたとのこと。
 屋根を二つに並べた珍しい形式の屋根はその真ん中に雨が沁みたり漏れやすく、管理維持が難しいので、他には備中の吉備津神社本殿(国宝)に見られるのみだそうです。
 この「祖師堂」と「五重塔」は国指定の重要文化財です。
 五重塔は本阿弥光室(光悦の甥)が両親の菩提を弔うために加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したものとのことでした。

 
 

  寺内の墓地には正田家の墓地もあり皇室に嫁がれる前に皇后美智子さまがお別れのご挨拶に来られたとのことです。
 また、総門の扁額の書を書かれた本阿弥光悦の分骨されたお墓に詣でました。その他、田山花袋の叔母・姉のお墓もあるとのこと。

 比翼入母屋造り杮葺きも、もう少し判りやすい位置でカメラに納めて見ました。

 祖師堂の裏に刹堂がありますが、ここで美智子さまの御祖父さまが百年前になりますが、行をされるために建てたものだと聞きました。屋根は上から見ると五角形に組まれた立派なものでした。
 

 
祖師堂 
日蓮宗の祖、日蓮と歴代六祖を祀るお堂。
1678年建立で焼失などでの再建を経て後、10年がかりの修復工事が行われている。
 
刹堂

   

  裏山の刹堂、法華堂、宇賀徳正神が並んで建っています。その前位置に「私におみくじをつけないでください 梅の木より」と ユーモラスな注意書きが梅の枝にぶら下がっていました。
 その脇に四足門(国指定重要文化財)があります。鎌倉から移築されて法華経寺本門の玄関門でしたが、今の位置に再度移築されたのです。これは室町時代の様式で細かな装飾や柔らかに曲線を描く「海老虹梁」という梁が特徴ということです。