中山文化村とは、個人の寄贈によって住まいを市川市に、とのことで市民に還元していることでできているのです。
中山地域の「市民案内人の会」を置いている、清華園(平成4年9月)は、石井はな氏の住まいでした。石井氏宅は江戸時代中ごろからこの地に住んでいて後に文房具屋さんになったとのことでした。2階建てのお宅は和室3部屋と広い庭園を、市に寄付して、市民の憩いの場として活用されています。
もうひとつは旧片桐邸。これは川原君江氏の寄贈。川原氏の御尊父が電器問屋で成功されて、設計者を選んで建築に庭園にと手がけられ、父君亡きあとに市民に開放するようにと寄贈されたのです。
お金持ち(?)や、有名な方が住んでいた特徴を持つ下総中山駅から中山法華経寺周辺。この日は回らなかったけれど、東山魁夷記念館も、この地に住まわれた魁夷を記念して、建て直されて記念館になったのです。
まだ、法華経寺の境内をご案内ボランティアが続いております。
境内をずーっと奥へ進むと、聖教殿(しょうぎょうでん)。
この建物は正倉院のようなもの。国宝や国指定重文など貴重な資料を保存するための建物。
年に1回だけ市民に開放される。
11月3日の朝8時に晴れていたら、その日の11:00~13:30の間
観覧することが出来るそうである。
この周辺はお花見にお勧め。静かで適当な広さがあり、MTさんは「家族の花見はここでしているのよ」
…ということでした。奥の方だし人の出入りも少ないし良いかもしれないと思いました。
中山大仏は八代将軍吉宗(1719年)の時。
江戸神田鍋町の鋳物師大田駿河の守藤原正義によって鋳造。
銅製釈迦如来坐像で、約4,8m台座約4,5mの露座の大仏さま。千葉県内では一番大きい。
昔からの日本人の知恵からくる免震構造になっている五重塔。地震による五重塔の揺れは
龍が昇っていくような塔の動きをしながら、地震国日本でも倒れない構造の秘密が
あるんです。
その辺の説明に耳を傾けて下さい。私は簡単に説明できませんから。
千葉県内で五重塔は、ここしか無いし、国指定の重要文化財です。
その五重塔の足元に、さざれ石が巌となる…という名石があります。
細石が集まっていてこれがやがて大きな石となる(なっている?)とうたっています。
法華経寺本院へ靴を脱いで上がり、奥に祀ってある鬼子母神堂にお参りしました。
この写真は祖師堂を正面に見て建っている灯篭。青銅になって上品な風情を醸していました。
その辺りに蒋介石像もあるが、1時間半でお願いして端折っていたようでしたが、乗ってしまった私たちの空気に押されてのご案内で、2時間もお付き合いしてもらっていたのです。お昼になりましたので、ボランティア柴田さんと別れました。
上の写真は片桐邸。この日は休館日でした。
この地にお住まいのMTさんに、ボランティアの後の案内は彼女にお願いしながら進みました。前もって彼女の家に「休憩させてもらって、いいでしょうか」と伺っていましたので、そちらの方に向かいながら周辺を見学して行きました。
カメラは省きましたが、奥の院では日蓮上人が幕府から襲撃をうけて、この地に逃れかくまわれた場所が、お寺、奥の院と呼ばれるようになったのです。
ここでは大きな日蓮上人の像に見守られて無数の小さなお地蔵様が見事に並んでいました。水子の霊を祀っているとのことです。
この一角には滝もあり凄い水量で滝が落ちるそうですが、一定の時間しか流れない人工の滝で、訪れた時はお話だけでした。
下の写真は日常上人の廟所。
紅梅の咲き終わりの頃でしたが、遠景でみるとまだまだ咲き誇っていました。
廟所は紅梅が見事でした。この辺りを一回りしてのち、MTさんのお宅がこの近くですので向かいました。彼女のお宅にお邪魔して、熱いお茶を戴きほっと一息のゆったり時間になりました。そして温かいカレーうどん、親子どんぶりなどを店から取り寄せてもらって、お腹も満たし心もいっぱいとなった一日でした。
天気予報通りに、午後奥の院への道筋で、額に一粒の氷雨が降りてきたのを感じましたが、傘を開くことほどではありませんでした。
けれど暖かいお部屋に座っておしゃべりに花が咲き、旧交を温めながらのひとときを楽しんでいるうちに、4時過ぎになってしまいました。彼女宅をおいとまする時には本格的に冷たい雨が降って居りました。