いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

7月の本土寺

2007年07月17日 | YG-World

一昨年、二千和会で訪れました。
『あじさい寺』と言われる、『本土寺』です。
この季節は花菖蒲もきれいです。

   さて7月です。
          あじさいはすっかり終っています。
          見事にお客さんはいません(ー_ー)!!
          ついこの間まで1日に3000人、来ていたとか。
          息子の関係で松戸で研修会が行われました。
          その帰りに『本土寺』に寄りました。


住職さんとその奥様です。
これからあじさいの選定や株分けで大変だと言うお話です。

         多古町に『日本寺』という日蓮宗のお寺があります。
                   そこの管主さん(住職)とお付き合いがありました。
         この春、その管主さんが俗に言う転勤で本土寺に移動になりました。
         そんな縁もありお寄りしようということになったのです。

        実はここだけの話、この和尚さん。女性陣にはすこぶる評判が悪い。
        なぜ??
        お酒が入るとセクハラ発言が目に余る・・・
        男社会だから何事もなく済んでいるのかも知れないけど。
        今日は仕事の顔です。隣に奥様もいるしね。
                      (くれぐれもここだけの話でよろしく)

何はともあれ、普通では入れない本堂へ案内してもらいました。
ここへたどり着くまで迷子になりそうです。

これも一昨年の写真ですが、花菖蒲の後ろに写っている回廊を通ってきました。
籐の椅子がいくつも並んでいます。
そこに座って、ゆったりと菖蒲田をめでる。
さぞや良い眺めでしょう(^_^)/~

  外からはいつでも見ることができますが、部屋の中からはめったには
見る事はできないでしょう。
  本土寺の紅葉は12月とか。
思い立ったその時にふらりと行ってみようと思います。


シャドーボックス

2007年07月16日 | YG-World


シャドーボックス』って何

千葉市内の画廊でその作品展をやっているので、行ってみました。

彼女の日本語指導の方が、シャドーボックスの教室をやっています。
行って見たいと言うので、「じゃあ連れて行ってあげるか」という訳です。
いろいろとお話を聞くことが出来ました。
シャドーボックスと聞いたことはあるのですが初めて見ます。
        シャドーボックスは絵を重ね合わせて立体的な世界を作り出す                    3次元のクラフトです。
      先生の話を聞くと、同じ絵(このクラスの場合はお気に入りの作家の    
カレンダーと言っていました)を10枚買ってくるらしい。
        その中からそれぞれのパーツを切り出し、重ね合わせて立体的に
作品を作り出していく。
横から見ると確かにその厚みがわかる。

残念ながら画像にしてしまうとその立体感を表すことが出来ません。

彼女のお気に入りのチューリップの前で記念の一枚。
超美人のスリランカ人。これをどのようにぼかしたらよいか悩みました。
結局Sさんに「ヘルプ(^_-)-☆」

ついでにと言う訳ではありませんが、『いのはな城』へ。
 『城』とは名が付くものの、正確には『千葉市立 郷土博物館』
桜の名所でもあります。
何年か前、大雨の中傘をさして、夜桜を見に行ったことがあります。
しかし、中に入るのは初めてです。
プラネタリウムがあります(確か7月で閉鎖) 
4階の天守閣から市内を見下ろせてちょっとした『殿様気分』 
スリランカには『城』がない??
『寺院』かと聞くので違う『城』と言ってもその概念が存在しないよう。
日本へ来て初めて見るのだそうだ。
初めて見る『城』が「いのはな城」じゃあちょっと問題ありかも・・・
今頃はこの写真、国にいっているそうだ(^_^)/~


納得!

2007年07月15日 | 晴歩雨読夏

 楽しい情報集めを学びました。
 F.K.さんに、私の前からの友達とご一緒にとお誘いしていたら、反対に「その日なら…」とF.K.さんに誘われてその計画に乗りました。

 国立劇場の中の伝統芸能情報館で、「映画だけれど文楽を無料で楽しめるの」という。
 外国の方は日本の伝統的な芸能として興味をもち学んでもくださっているのに、列記とした日本人である私が、難しいと敬遠している「文楽」や「能」、「狂言」。イーデス・ハンソンさんは確か文楽に興味をもたれて、人形を扱う吉田某という方と結婚され、帰化して日本人になったほど尊敬に値するひとり…。
 ひどい話で申し訳ないことだったと後悔しているのだが、高いチケットを買っておきながら文楽の舞台をすっぽかした過去もあり、能舞台の花道の直ぐ前の席で眠ってしまったこともある。F.K.さんは「もったいない…!」と呆れ顔。
   
   国立劇場↑       伝統芸能情報館

 
                       情報館の玄関
 お誘いを受けた今回のものは「公演記録鑑賞会」として4月から9月まで、毎月第2金曜日午後2時から先着120名(開演中の入場はもちろん出来ない。)というもの。
 演目は「祇園祭礼信仰記」で〔金閣寺の段〕だけを拝見した。〔爪先鼠の段〕は惜しくも見ずに退席したが、帰ってから検索して調べたら、爪先鼠は姫さまが、爪先で描いた鼠が実際に動き出して結わえられた綱を噛み切ってもらい助けられたと言う話。よかったんだろうなぁ、もう少し粘っていたほうがよかったかな?と思った。
 F.K.さんは最後までご覧になると思ったのに悪いことをしてしまった。私に付き合ってくださって、申し訳ない気持ちが残った。
 〔金閣寺の段〕が始まった時は、全く言葉として掴めない状況だったが、やはり私は日本人だと確信した。だんだん解ってくるのだ。
 信長と秀吉が囲碁を楽しんでいて、秀吉の打ち方は淀みなく一気に人形の手から碁盤にスッと打つが、信長は碁を盤に落として碁石を動かす打ち方で、考えながら打っている表現は指使いの細かさも窺えて見事だ。ついに信長の負けの色が濃くなってきたところで、碁盤をひっくり返す怒り―相手を許せないほど悔しがる。…そんな怖さも感じさせてこれが人形かと思えるほどのチームワークで一糸乱れぬ滑らかさであった。
 映画だからその微妙な部分を知ることが出来たとも言えるし反対に直に見なくては分からないことも多かろう。そこが情報館の目的でもある。
         
 F.K.さんの情報蒐集は、それぞれの施設にあるチラシをたくさん集めて、よさそうな好みに合いそうなものを選択するのだ。大なり小なりには皆さんもなさっているでしょうが、時間を有意義にそして情報を上手に活用され金額もそれほど張らないで楽しめる賢い手段の選択は、畏れ入ったし感心した!!
 真似の少しでも出来るものならと私も集めたが、どのくらい上手にそして貪欲に素晴らしいものを掬い味わうことができるであろうか?
 少しでも真似をしよう、良いことを教えて頂いたと思って、帰ってきたけれど…。


サミエル・ウルマン

2007年07月13日 | 会報お役立ち


 皆さんの後姿を追ってきて感じること、以前仲間で話し合ったこと…それは、人生における青春です。

 青春と言えばサミエル・ウルマンの詩が真っ先に想いうかべられます。

青  春

原作 サミエル・ウルマン
邦訳 岡田 義夫

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相ようそうを言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦きょうだを却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や狐疑こぎ、不安、恐怖、失望、こう言うものこそあたかも長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をもあくたに帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪からが人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷あつごおりがこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。

       だから何ですか?
 …なんて言わないでください。ふと思い浮かんだまでですから…。


はがき

2007年07月11日 | SO-Color

   
 大学時代とくに仲良くさせて頂いて、一緒に下宿したルームメイトM からはがきが来た。

 私たちの国立 A.K.大学は初めの2年間は2箇所に学び舎を分けて3年目に合流して、O 地区に集まった。私が入学時に選んだO 地域の同専攻の「・科教室」は13名であったが、N 地区は17名の同級生がいて、同科専攻の学生は全部で30名と夢のような人数。
 13名はきょうだいのように過ごした年月を懐かしみ、7月7日に急遽会うことにしたと言う。当日私は都合がつかず残念だったが参加を諦めた。
(合同のクラス会案内はオリンピック開催年と決まっていた。3年前のクラス会には出席できたが…。)
 現在の学び舎は初めからK という地、一箇所に統合されてしまった…。
         
  
 教師を、定年まで勤めて多くの人に話すのが商売だったから、みんなそれぞれ聞かせる話をする。特に話術に優れている方が Aさん。3年前会った時も Aさんの話はみんなを納得させ注目を浴びた。A さんの父親の生き方を通して自分の生き方を見つめるような内容の濃い近況報告だった。


 
 ルームメイトになった彼女 M のはがきが、7日の会以後すぐに届けられた。それには「Aさんの波乱万丈の人生に自分の生き方を重ねながら聞かせて貰いました。私の生ぬるい生き方に反省させられました。Aさんの風格、人格に頷くものがありました。学生時代のままで楽しいひとときでした。・・略・・」
 私はまた3年前に送られたその優しさ溢れるM のはがきに――そのなかのたった一言が、今も心に沁みている…「お母様のご様子いかがですか。私は母を送って3年になりますが、世の中でこんな悲しいことがあるのかと思うほどでした。どうぞ大切にしてあげてください。」
 あ~経験者は語る。経験なければこの一言は単に身体を吹き抜けるのみ。
 私も尊敬していた愛すべき父を失った時の、重い悲しみがまたいま蘇ってくるのだった。

    
              養老渓谷でのスナップ


「恋は無くなった」という…

2007年07月09日 | 雑記自由帳


 突然ですが「恋」のことです。
恋も論ずれば限りなく深く、心の奥底まで散策できるとは思いますが、今日はシャンソンの「恋」のことです。
 シャンソンはフランス語。映画のセリフを聞いていると、喉の奥に何か詰まったような突っかかるような言葉という印象(世界の中でも上品な響きの言語とも言われているのに…)で、二千和会でよく使うお店「シャ・ノアール」がフランス語で「黒い猫」だなんて思いもよらなかったのでした。ちなみに私は第二外国語にドイツ語を選びましたが、それもとっくに忘れています。
 「サン・トワ・マミー」の歌の題はフランス語のままですが、それは英語に少し似通っているとしたら…?と推測すると…よくわからない…??
 以下のインターネット上の「誰かさん」みたいにしばらく疑問でした。

       サン・トワ・マミーSans toi mamie

作詞・作曲:サルバトーレ・アダモ
日本語詞:岩谷時子

1 二人の恋は 終わったのね 許してさえくれないあなた
さよならと 顔も見ないで 去っていった 男の心
たのしい夢のような あのころを 思い出せば 
サン・トワ・マミ-
悲しくて目の前が暗くなる
サン・トワ・マミ-

2 街に出れば 男が誘い ただ意味なく つきまとうけど
このあたしが 行きつくとこは あなたの胸 ほかにないのよ
サン・トワ・マミ-
風のように 青空をさまよう恋
サン・トワ・マミ-
さびしくて 目の前が暗くなる
サン・トワ・マミ-

  なんとなくお母さんに救いを求めて取りすがって泣いている弱い女、男に捨てられて未練がましく惨めな女…そんなイメージさえします。
 それはフランス語を知らないからなのですけれど、そんな先入観をもってしまったものはなかなか打ち消しができません。
  
   「サン・トワ・マミー」は「ママ、お母ちゃん」には全く無関係で、Sans toi m'aimeと書いて英語ではWithout ・・my Love】 つまり【私には恋はなくなった(私にLoveはない)】 みたいな意味になるんだそうな。
 これで、ハハーン、日本語の歌詞の【私の恋は~ 終わったのね~♪♪】 となるんだね!!!  と、一人納得したのでありました。せっかく調べたから、この文章は私の「勝手に雑記帳」のページにも載せとこう!!

 以上赤い色の文字はインターネットからコピーしました。
岩谷時子の「私の恋は終わったのね」という訳の素晴らしさを味わい、サン・トワ・マミーを改めて鑑賞すると、その失恋を自分で納得しながらその恋を見つめるのは、弱くて愚かしい女ではなかった、とこの主人公の味方をしたくなりました。
 これは私の備忘録にしておきましょう。(SO)


七夕こぼれ話

2007年07月08日 | 晴歩雨読夏


私たちが子どもの頃、七夕様には笹飾りをして
それぞれにお願い事を短冊に書きました。

今ふっと思い浮かんだのですが、これって季節が違いますが
クリスマスのプレゼントごっこと通じているかも…?
子どもが何を望んでいるのか、親の身になれば、
解るいいチャンスです。

あるブログには、子供たちの願い事が全く無い短冊や
切り紙細工が笹に飾ってあるだけだった…とありました。

私が今日見てきました。
ある介護施設の食堂の入り口に、2本の笹が飾ってあるのです。

ここの方たちはどんなお願いをなさったのかしら?

「私はむかし哲学少女…ウフフ 今も楽しいですよ」
「早くおうちにかえりたい」
「もしも私が生まれ変わったなら 丈夫な身体で元気に
好きなことをして過ごしたい」
「カレーライスが食べたい」
「仕事をしたい」
「好きな人とくらしたい」

あ~、色々な願いがあります。
まだまだたくさん…でもメモして来なかったので思い出せるまま。

今コマーシャルで、
「おじいさんの願いは何ですか」と孫娘が聞きます。

おじいさんは何と応えるでしょうか?

おや~?と意外な答えでした。

「もう一度恋愛をしたい!!」

「う~ん」…そうなんだ~。
希望・成就・活動・快楽・工夫・・
何だかわからないけれど、若者のような気持ちで
暮らせば病気も軽くなっていくという
実験結果もあるそうですね。
お年よりは赤ちゃんや幼い子供が大好きです。
こんなところからも、若いエネルギーを思い出しては元気になるのでしょう。


詩人・和田元震 2

2007年07月07日 | SO-Color

今日は七夕です。
少しロマンティックに想いをめぐらすのもいいかなぁ…。
文学畑で少し散歩でもしましょう! 

     ホレトンネン   和田元震
      (惚れてんだよ、ではこの軟らかな気持ちがでない)

ホレトンネンてのはいい言葉ね
気持ちが内にこもってるのよね
好き――なんてのは うわついていて
気持ちの表面のことですね
ひとに言う言葉ではないのよね

国宝竜吟庵の入り口の
東福寺の庫裡の粗(あら)壁に
大きく 深々と
相合傘の中には ノブとノコ
傘の三角の片方に ウットリと軽くつむったまつ毛の眼
片方に この言葉が刻まれていた

刻みつけなければいられなかった確かな愛情
寺の壁に臆面もなく
大きく彫りつけた無遠慮な若さ
忘れられない無邪気な 楽しい落書だったが
今日は新しい漆喰の白壁が消していた

      

     芭蕉の「俳」   

落柿舎の庭の句碑
柿主や 梢はちかき あらし山 去来

おお 目の前に大きく迫る 嵐山
梢はちかき……
うん いいなあ
うまいなあと感じる
それが「俳」だ

「俳」のある句だから俳句
句ができても「俳」がなければ俳句ではない
(詩も ポエジイがなければ詩ではない)
と芭蕉は指導したという

だが その「俳」については
芭蕉は一言も説明しないで
ユックリと自分で体得させたとか

「俳」の無い俳句が今でもあるのじゃないですか
ポエジイの無いポエムじゃ困ります

        


南総里見八犬伝

2007年07月04日 | 晴歩雨読夏

 千葉県が舞台になっての有名な物語「南総里見八犬伝」…申し訳ないけれど子供の頃、この物語にあまり興味を持たなかったのです。
 その昔父は女の子にも、これは面白いぞと薦めてはくれていたのでしたが、とうとう私は読んではいません。仕方がないので、インターネットのお世話になろうと開きました。

南総里見八犬伝
 曲亭馬琴(1767-1848)作の江戸時代後期の人気小説。
 全九十八巻百六冊、日本古典文学史上最長の雄編。
 戦国初頭の関八州を舞台に、犬と夫婦になる悲運の姫君と、
仁義礼智忠信孝悌の文字が浮きでる八つの霊玉を持つ、
八人の若き武士たちが活躍する物語。
 だが今は「読まれざる傑作」となっている。
江戸の人々が熱狂して読んだ人気作品が面白くないのか?
 否、そんなことはない。
 しかし、古典文学人気勝負、東の横綱・武家文学代表「南総里見八犬伝」
vs.西の横綱・公家文学代表「源氏物語」。
どうも八犬伝が負けている感じである。これではいかんぞ~。

 ……てなわけで、"白龍亭"に来たからには「南総里見八犬伝」の魅力を知らずには
帰さぬぞ、なんてね。
http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/menu.html
(インターネットより)

我が息子は、少年時代に漫画「ドラゴンボール」に夢中になったけれど、
これは…「土台が八犬伝らしいわ」と感じて「本物の物語を読みなさい」
などと言って薦めてはいたのでしたが…。
 インターネットのあるページに誘われて、
そのうち私も読まなくっちゃ!と決心いたしました。

里見城がある城山公園より海を望む

トンビが画面に入ったと思ったが…  
              

 
 館山城(里見城とも言われる)       城山に葬られた八人の忠臣の墓。
                       里見八犬伝のモデルになったと言われる。
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Chiba/Tateyama/インターネットから
 

そろそろ今日のコースの終わりに近づきました。養老渓谷です。

 若いグループ・2カップル。
女性がハイヒールを履いて川原を散歩していたのには
「小母さん」は少々驚き!
若いっていうこと!?

昔の私たちも「若さから…」と
年配者を驚かせその理由で片付けられていたことが
あったのでしょうか!?

 
上の写真はお世話になりました、左から、A.Kさんのご主人で住職さん、
隣は二千和会会員のA.Kさん、K.Mさん。
下は、夕闇迫る時刻でしたが、"出世観音"の珍しい「ふたこぶ?の太鼓橋」
渡れば~山有り谷有り?かな~ を感じてしまいました。

「おまけ」で~す!
イワタバコの花が咲いていました。


先日の鎌倉では咲き終わった岩煙草の葉っぱのみを見ました。
たまたま千葉・鋸山ではちょうど"満開の花時"でした。 
 
大変お世話になりました住職さんに心から御礼申し上げます。
また何かよいニュースや、またお知恵などがありましたら
よろしくお願いいたします。

千葉はなんと言ったって!

2007年07月03日 | 晴歩雨読夏

 もし千葉で二千和会が行ってみるなら…?
千葉の代表的な観光地は「鋸山」だと幼いころから思っていた所。
ああ、でもこれは文学面ではなく歴史的観光面での色合いが強い…!!
二千和会候補地コースとしては魅力がないということでしょうか。
でも鋸山も最近ちょっと変わってきましたので
見てくださいね。


日本一の大仏さま(鋸山日本寺)
鎌倉の大仏様=13.350m 奈良の大仏様=18.18m 鋸山の大仏様=31.05m

 
百尺観音の前で ―この二組は同級生同士でした―
我ら戦中派の64、5歳のクラスメイト組、
片や現在81歳の同級生仲間だと言う。

凄い達者なお爺ちゃん組です。
私たちはハンカチが絞れるほど汗をかいて登って来ましたのに。
途中すれ違い、追い抜いてきたその方々…
昔は若かった男性組…お一人は確かにその途中で石段に
腰をおろしてへばっておいででしたが、
果たして我々女性組が16、7年後に
「鋸山へ登ろうよ」なんて思うでしょうか。
きっと息子、娘や孫たちに「いってらっしゃい」と
勧めはするだろうけれど、家で留守番しているからと丸い心で
丸い背中をさらに丸くすぼめて送り出すのが見えるような気がします。


百尺観音から空を仰げば上には地獄のぞきの岩がそりだしています。

地獄のぞきの岩に立つと湿った下界から上がってきた霧が
風に流されてあっという間に向こうの岩も隠します。
まるで天国にいるような感じでしょうか…
そんな気候でもありました。




居並ぶ千五百羅漢様のなかには、自分とそっくりなお顔の姿があるとか…。
限りなく並べられた羅漢様。
密かに、あれが自分に似てるかな?などと思いながら、
濡れている石段を踏みしめて滑らないよう注意して下りました。

そしてお昼!
美味しい海の魚料理(金目鯛、メバル、ムツの煮魚・焼き魚)に
舌鼓を打つことになって…幸せでした。
お刺身盛り合わせも、美味しかった!
皆さんも一度訪れてお味見なさることをお薦めします。


有名人(周富徳・藤岡弘・藤田まこと・阿藤快など)の色紙が
掲げられ、それらの方々が立ち寄っているという
格別に美味しいお店(福喜庵・0470-33-4450)が
見つかったこと、これひとつとっても
運がよい一日となったのでした。
もちろんお天気もよくなって
きましたから!

A.Kさんのご主人が案内と運転役を引き受けて下さったのですが
食欲さえ満たせば静かに満ち足りた表情をする…との
評価を3人はもらってしまいました。

ラッキー!ラッキー!ラッキー!
(↑3人分の叫び声です)