いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

お気軽に中国へ①

2009年11月15日 | SO-Color

 
 この度の旅は、いつもの同級生グループ Hathinin様。
 11日小雨模様の中を成田空港へ。そして予定通り中国へ向けて飛んだ。
  
 
 霧が多く雲の厚い地上から高くなるとこんなに澄んだ雲海が広がる。わくわく気分の旅の始まり…幕が開いたところです。

   
 中国、杭州の空港でも日本と同じような、はっきりしない空模様。4人のガイドさんが私たちを出迎えてくれた。70人の御一行様は、35人ずつに分かれて出発。紅組と桃組と、ネームプレートで分け一目で識別できた。
 私たちHathininは紅組。ガイド担当は陸さん(48歳)と陳さん(23歳)のお二人。女性の陳さんは単なる助手かと思ってよくカメラのシャッターを押してもらったが、最後お別れのバスのなかでプロカメラの方だったと分かった。
 陸さんの奥さんは教師で、大学生のこどもがいるという、いかにも人が良さそう。一生懸命なガイドで、時々駄洒落に近いことを言って笑いを取ろうとしたり、中国の現状や、日本のニュースなども出しては絶えず話を途絶えないように心掛けているが、時々判らない(通じない)ことも言っていた。
 
 バスの窓に張ってあったのは、これからの大まかな位置とコース。中秋の名月ころに海と河の水の大逆流として有名な銭塘江の上も通った。高速道路の周りに3~6階くらいのきれいで立派な建物が並んでいた。それには3人家族の農民が住んでいるという。昔は町へ行った若者は近年田舎に移り住み、婿入りするのも恥とは思わなくなっている風潮だとのこと。農民は優遇されていて裕福らしい。
  
 杭州市内に入って鉄筋コンクリートの建物が増えてきた。
  
 西湖遊覧。水は濁った緑色。雨模様だからという訳ではなさそう…。

 

 

  
  



  
 西湖のほとりの花港観魚へ。ここの庭園もお金持ちが私財を投じて作ったのか。共産圏でも貧富の差はどうしても出てくるのだ…ネ。
  
 左は白松。松の葉が見慣れているのに、幹の肌が白くむけるのでそう呼ばれている。
 右の向こう岸の湖に張り出した建物には、20年前に母と姉妹ともに立って写真を撮った覚えがある。屋根はもっと黄色い色が綺麗だったが。
  
 次はラテックスの工場。天然ゴムでマットレスは寝心地が良く、枕は固さも頭の置き具合・当たりも良いと仲間は、500元(約6,800円だったかな??)のものを何人か求めた。
 中国の物は買わないと、確か…誰かが言っていたような気もするが。やはり寝てみると良いものはよいか……。
 一応、出発時の成田空港で皆は気を揃えて、2万円を元と両替して、1300元のお札を財布にそれぞれ入れていた。(端数は仲間共通に使えば良いと一任する。) また、そのうちの1万円は、旅コースのオプションで支払ってしまっているのだから、もうお土産は[自分の旅を楽しむ]だけに使うしかないようだ。
  しかし旅の終わりでは、それぞれ予算を超過していたようにも見受けられたけれどね。
 


東京大神宮・寿ぎ

2009年11月14日 | YG-World

飯田橋駅改札を出るとすぐにこんな案内板があります。  

飯田橋駅からほど近く、『東京大神宮』 

 

若い女の子が「かわい~~い!!」と言いそうな、おみくじや絵馬がたくさんあります。

 


縁結びの神社としてテレビで放送されていました。
この日も雨にも関わらず、たくさんの若い女の子が列を作っていました。

さて、この『東京大神宮』で姪が結婚式を挙げることになりました。
その衣装選びです。一緒に付いて行きました。
娘のいない私には一生縁のないことです。興味シンシンです。



私は貧乏挙式だったので、こんなにたくさんの中から選んだ記憶は全くありません。

 

 


いったい何枚、脱いだり着たりしかことだか(;一_一)・・・

 
それに比べて、母親の留袖はか・ん・た~~ん・・・ 

お色直しは白のウエディングドレスで。
これもまた、素敵です。
若いとは言えない姪で、世間的な決まり事とは縁のない生活をしていると思っていましたが、結婚式となるとやはりそれなりに一通りのことはやりたいようです。
式は12月です。


まるめろ

2009年11月12日 | YG-World

                 『まるめろ』 と読みます。
 
        家庭会席料理 『まるめろ」にやって来ました。

お向かいのたわわの蜜柑

この方の自宅です。
   稲毛の浅間神社の近く、国道から少し内側に入ります。
  ごくごく普通の昔ながらの古いお家です。       
    
  中に入ってみましょう。



『まるめろ』というのは『カリン』に似た黄色で綿毛のある果実。
ススキを活けてある器の脇に二つ置いてあります。






  おもしろい漢数字のカレンダー 

 お料理が運ばれてきました。
この家のオーナーでありシェフであるOさんが一人で全てやっています。


    豆乳のスープ


    ブリのヅケに菊の花




 ラッキョウ・小玉ねぎ・里芋・牛蒡の餃子のから揚げ
 カレー味の春巻きは油で揚げずにオーブン焼き


 ワインの炊き込みご飯の焼きおにぎり・ トマトの入ったお吸い物


 紅茶はキビ砂糖を一粒、口に含んでお飲みくださいとお勧めです。 


 ワインゼリーに『まるめろ』のジャムを乗せて
 
全て自分で考えたメニューで、家では絶対にできないだろうなというお食事をおいしく戴きました。
その器も素敵で目でも楽しむことができます。
落ち着いた和の空間に、ジャズが静かに流れていました。  


 おしゃれなビーズのアクセサリーの数々・販売しています


  こちらはオーナー手作りのお雛様・


忙しいのに、話題のお店のチェックは欠かさず??
開拓心旺盛な方々です。次回は何処?
 


変わってSOは中国へ

2009年11月10日 | SO-Color

 
 祖父が漢方医学者であったので、その長男(私にとって伯父)は漢方医学の跡を継いだ。これは伯父の家の客間の軒下に掲げて、この庵のような離れ座敷を「草堂」と呼んでいた。この部屋に数多くの蔵書を並べ大きな床の間には日本画や南画を掛けて、置き床には仏像を並べてお客人を通す自慢のお部屋でもあったように私には感じられていた。
 そしてまた、伯父は『草堂茶話』と題して二冊のエッセー集をまた『枇杷の町』などを「医道の日本社」から出している。勿論他にも著書があるのだが、これは伯父の指針も、私心も見えて、弟でもある私の父(内科小児科医)から受ける兄への想いは、厳格で近寄りがたい恐いような存在としてあるように、私には映っていた。だから伯父を理解する手掛かりとしておもしろく読んだものだった。

  
    祖父、伯父、父、従姉、夫の、(私のは別格で戯れの出版の…)本が、その一部だけれど、並んでいる父の本棚である。
 昭和の時代にオリンピックが開かれたが、本の前にあるチケットは、戦前開かれるはずだったオリンピックの入場券を記念に置いてある。

 当時中国は、日本と国交がなかったころで、ソ連は鉄のカーテンと呼ばれたことに並べて、中国は「竹のカーテン」が引かれていると、謎の多い国という存在であった。

 そんな時代に漢方医学を千葉大で教えてもいた関係で、中国へ招待されて飛んでいく前日に、お見送りに行った思い出がある。伯父への為書きも鮮やかに、蒋介石の立派な文字を戴いて軸装にしたものも遺されていた。
  
  離れの奥座敷は、特別な部屋で伯父の趣味の蒐集などが詰まっていた。最近まで従姉がこの部屋をなるべく伯父の生きていた姿が偲べるように、とそのままに遺していた。 
 

 このような大きな額を、高く広い天井の、20畳敷き?もっと広いかも知れないこの部屋に掛けてあった。

 
 中村不折の墨絵や、書もここで見つけた。
 伯父が生きていたから、こうした物もみな生き生きと威厳をもって、見下ろしていたように思ったが、今は伯父の蔵書のどの本を見ても、絵を見ても…過去の輝きを思い出せる人のみに、その良さを正当に判断できるだけではないのかと想いが及んで寂しい気がした。何人もの死に目にあったであろう伯父の跡をとって東京で医院を開いている従兄は、「一切無」だから、特別な想いでの物は要らないからと、私たちを呼んで整理の一端を担わせてくれた。

 
 TV放送のお宝鑑定団なら? どうなのだろうか?

 このような伯父に触れあいをもつ環境のなかで育ったので、少なからず中国に対しては、ちょっと気にかかる存在でもあったのだ。

 20年前だったけれど、まだまだ生きてくれると思った父の死は、母にとっても当然ながら大きな寂しさをもたらした。母を慰める気持ちから、親孝行のつもりもあって、それら想いの強い中国へ、子供である私たち姉妹と共に母は中国旅行に同行したのだった。
 北京の長安門、紫禁城や万里の長城へ。真っ白い大理石だけの豪華な天壇公園や大きな墓地(ピラミッドのような大きさには敵わないけれど、皇帝関係の人を葬った墓地内部にも入って見学)など。他に上海、杭州方面の風景にも深い思いをもって、1週間かけて中国のほんの一部を回った。
 出かけた旅のきっかけは悲しみからだったが、旅自体は幸せな色合いの思い出が、煌めきとトキメキとして残っている。

 そんな訳で(?自分でも訳は判らないけれど。)この11日から14日まで、短い中国への旅を、気のあった仲間、幼な友達8人グループを組んで、楽しんできたいと思います。

 そして帰ったら、会報「いちよう」37号編集に取り組みますので、皆さん、原稿を送って下さいね Tabutiさん、Katagaiさんの原稿は有難いことに届いております(感謝いっぱいです)。
 それでは行ってきま~す。


ソウル・いろいろ

2009年11月07日 | YG-World

たった2泊のソウル滞在にこんなに引っ張って申し訳ありません。
ソウルいろいろ

仁川空港に到着後すぐに連れて行かれたロッテワールドの免税店
ホテル代込み、19,800円では文句も言えません。



パク・ヨンハ

ソン・スンホン
特に免税店で買いたいものは無かったのですが、友人二人にBBクリームを頼まれました。
相変わらずBBクリームは人気です!!

さて、こちらはソウル市民の利用する大型スーパー『E・マート』
南山韓屋村から地下鉄に乗ってやって来ました。

まず、ロッカーに手荷物・上着等を預けます。
100ウォン。後から戻ってきます。



次はカート        チェーンで繋がれています。    
 
  100ウォンを入れて鍵が解除されます。
  カートを戻せばお金も戻ってきます。
 

 コチジャンの置かれた棚 さすが本場のコチジャン その数の多さにびっくり
 ただ、最近は中国産も増えたようでkueonさんに選んでもらいました。


  こちらは『韓国のり』のコーナー

 E・マートの すぐ隣の『ドラゴン・スパ』
サウナ&よもぎ蒸し・あかすりとおなじみのコースでリフレッシュ&一皮むいてきました。


  機内の人になりました。
  「アンニョンヒケセヨ!!」 「カムサハムニダ」


南山・韓屋村

2009年11月04日 | YG-World

ちょっと一休みしていましたが、再びソウル・シリーズ
南山Nタワーを後にして、路線バスに乗り『南山韓屋村』にやって来ました。




ソウルの中心にそびえる南山の麓に造られた韓国伝統屋敷村・南山韓屋マウル。2400坪の広大な敷地には、ソウルの各地に散らばっていた朝鮮王朝27代王順宗の皇后である順貞孝皇后の生まれ育った屋敷や 順貞孝皇后の父親朴沢栄の書斎、朝鮮王朝25代王哲宗の娘永恵翁主の夫で政治家の朴泳孝の屋敷、軍人五衛将の金春栄の屋敷、朝鮮王朝末期に景福宮復元の際大工の棟梁であった李承業の屋敷が移築・復元され、足を踏み入れたその時代を彷彿させます。その屋敷を一つ一つまわってみると、韓国伝統屋敷が家屋の位置や構造、家具の配置にいたるまで考えつくされた機能的造りであることが実感できます。
 
        大韓帝国最後の皇帝妃 13歳で嫁ぐ


   『赤』は陽・『青』は陰
身分の高い両班階級からから平民にいたるまで、家主の身分によって違う構造の伝統家屋5棟が保存されています。


 かまどで『豆腐』を作っています。


 こちらは洗濯。布を叩いています。


   『韓国ッ子』 本物ですよ。


                   オンドル


 『チャングム』にありましたね。  ここに『酢』を入れて土の中に埋めていました。

キムチを入れるムロ
      『タイム・カプセル』 Nタワーが見下ろしています。
  ソウルが首都となって600年の年に、ここに600種の物を入れました。
  400年後にあけるそうです。
  なんとまあ~~~壮大な!!!


   ちょっと遊んでみました。 左  妓生 『ファンジニ』の世界
 こんなのは日本の観光地だけかと思いましたがこんなところにもありました。




 日本と韓国は時差がありません。                             注目
 秋の日は釣瓶落とし、だいぶ日が暮れてきました。
この日は、団体の観光客とは会わずにきたのですが、ここ韓屋村でお揃いの真っ赤なベストの団体さんに遭遇。
中国人の観光客です。
(賑やかです・元気です・若くはないです・お金持ちそうです)
2時からのウォーキング・ツアーも終わりになりました。
まだまだ話尽きせぬ感の李さんと、固い握手のお別れです