いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

燃える石・燃える平蔵・・・片寄平蔵物語・・・紙芝居始まり始まり!!

2013-03-10 08:20:11 | いわきの歴史

常磐炭田の石炭発見者
片寄平蔵は今から200年前、
文化10年(1813年)2月15日
現在のいわき市四倉町に生まれた。
紙芝居の始まり。
お話は地元のボランティアの方々でした。
始まり始まり!!


天保12年(1841年)28歳で伯父の娘・タカと結婚
材木商・古川屋を継げ、働きづめ
3度の飯より、仕事が好きだと。


平蔵40歳の嘉永6年(1853年)神奈川の浦賀沖に黒船到来。
黒船はペリー提督率いる4艘の艦隊。
2艘は黒い煙がいきよいよく上がる蒸気船。
江戸幕府に開国を迫る。
将軍様は、どうするんだろう!!


黒船は石を燃やして動いているんだぜ。
真っ黒い燃える石が・・・・
石炭?
あぁ、石炭だ!!
と明石屋から聞いた平蔵。


アメリカ、開国、黒船、石炭…
それらに対する平蔵の気持ちは。
燃える石は聞いたことがあると平蔵。
いわきにも燃える石、あるかも。
石炭の山。
これからの日本にはなくてはならないものだ!!
大きな商売にもなるな!!


平蔵はこれまで以上に仕事をはげみながら、
石炭を探し始めた。


内郷の白水の弥勒沢でとうとう見つけた。
石炭!!


その時支配していた湯長谷藩の役人が。
お縄を頂戴しろと。


そこに現れたのは白水村の名主、
大越甚六で、平蔵の知人。

運よく救われる。


これからは石炭の時代です。
石炭が船を動かすのですと。
製鉄で鉄を溶かすにも石炭を必要とします。
殿様の許しを得て石炭を掘り始める平蔵。


平蔵は弥勒沢で石炭を掘らせ、
それを藁の俵に詰め馬や牛の背に乗せ、

中之作などの港に運びそこで船に積み替え江戸まで運ぶ。
江戸幕府からも注文があり、
たくさん売れたと。
その後安政6年(1859年)には明石屋と組んで、
明石屋平蔵という屋号で、横浜に大きな店を出すまでに。


アメリカのペリーが浦賀にやってきたのは平蔵40歳の時。
弥勒沢で石炭の地層を発見したのは平蔵が43歳の時。
44歳の時石炭の掘り出しを始めた。
ところが
その3年後万延元年(1860年8月3日)
平蔵は笠間藩江戸中屋敷にて急死!!

平蔵はほんの数年で、
本当に短い期間で時代を駆け抜けて
近代日本の産業を切り開いた人として、
石炭産業の父として、これからも記憶に残したい。
ではまたの機会にお会いしましょう。


これが黒いダイヤ、
石炭です。

昨日内郷公民館祭りの一環として、
内郷支所と共同で、
片寄平蔵生誕200年記念事業として、
紙芝居。
土曜日に3人の先生による講演会。
日曜日に3人の先生による講演会が予定。

そのうちの紙芝居のご紹介。
上記の文章は要約・変更してあります。

文:夏井芳徳
絵:いくまさ鉄平

紙芝居を通し
東日本大地震の被災地の復興特に心の復興を支援しようという
広島市のボランティア団体「ボランデポひろしま/まち物語制作委員会」

いわき市内郷のまちづくり団体「内郷まちづくり市民会議」

「片寄平蔵生誕200年記念事業実施団体連絡会」
の共同作業で完成されたものです。

3・11の大地震、
人災による原発事故からの復興を急ぐいわき市民の皆様にも
これから活用していただきたい立派なものが完成されました。

貴重なものありがとうございました。

コメント (2)
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