いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

片寄平蔵・暗殺説?・・・片寄平蔵生誕200年記念講演会番外編

2013-03-20 19:47:44 | いわきの歴史

「片寄平蔵物語」の紙芝居はこれが最終版?
幕切れが違う2種類の紙芝居が・・・・・


熱演中の夏井先生。
そのうちに本当のことを突き止めると。


安政7年=万延元年(1860年)三月三日、桜田門の変にて
井伊直弼暗殺さる。
その一週間後の平蔵の諸用留(メモ帳)には
上記写真のように
暗殺者一七名の名が書かれています。
すごい情報力には驚かされます。

お彼岸の今日
夏井千本桜近くのいのしし家のお墓に家族でお参りを。
その後
大津港まで五か所ほどのお墓をお参りして帰宅。

先日の
片寄平蔵生誕200年記念講演会
2日間で
6名の先生方に貴重なお話を講演していただきました。
当ブログにても
各先生の貴重な
お話を載せることができました。

最期はその番外編を
夏井先生のお話で。
お彼岸でもありますし。
平蔵無念の急死。
真の真相はいかに!!

家族・一族の方々だけでなく夏井先生も暗殺説?

尊王攘夷派の脱藩武士に江戸にて暗殺されたのではないか?
それが
笠間藩に運び込まれたことにより真相がうやむやになり
闇から闇へと。
そして
万延元年8月3日に急死した事実だけが残った。

平蔵さんに聞いてみたいですね。 
その真相を。

今後の研究に待ちたいです。

 夏井先生
今回の平蔵生誕200年記念講演会
ありがとうございました。
これからも新しい史料を探して
真相を突き止めてください

コメント (2)
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弥勒沢からエブリアまで・・・採炭の今昔物語・・・片寄平蔵生誕200年記念講演

2013-03-20 07:54:46 | いわきの歴史

講演中の秋元先生。
自分で書かれた地下の図面を説明しながら、
時を忘れて聞いていました。


第一期のの露天掘り・・・ツルハシ採炭。
第二期の斜坑・・・・・・・・発破採炭。
第三期の斜坑・立坑・・・機械採炭。
閉山までのお話。


上記の写真を
手書きですらすらと書いて
わたくしたちに説明を

採炭の今昔物語

秋元孝義先生(常磐炭鉱OB)

1) 石炭を掘り始めて120年かけ
   地下650メートルくらいまで掘り進めた

  弥勒沢→現在のエブリア・かしま病院まで掘ったところで閉山。
  まだ海の中には5億トンの石炭があると。

2) 昭和29年より46年まで・・・それ以降、秋元先生は陸へ。
  採炭一筋で石炭を掘り続けてきた。
  東大の工学部鉱山学科を卒業された。
  東大の工学部に鉱山学科があったのですね。
  時代の流れを感じる。

3) 石炭はどこにあるのか。
  素人の我々はどこにもあると感じるが、
  上記写真のように
  石炭の層=炭層は傾斜10度~15度くらい、
  厚さ3~4mで傾斜しながら、のびている。
  写真で見ますと右下がりで弥勒沢より海へ向かい傾斜しています。

4) 石炭を掘るとは「お湯」との戦いだったと。
  特にいわきの炭鉱は!!
  世界の炭鉱に例がないほどの「お湯」が・・・・
  それが問題だった・・・いわきの炭鉱だけ。
  熱中症にも。
  「お湯」は60度以上の温泉が噴き出す。

  坑内にお湯がたまる

     ↓
 徹底的に「お湯」をくみ上げる方針で・・・水位を上げないために。
     ↓
 毎分100~120トンのお湯を
     ↓
 川に流した
(現在毎分5トンで間に合っているのでどれだけ多かったのか想像を絶する)
現在温泉組合で使用しているのが毎分5トン。
それの20倍以上のお湯が出ていたことに。

 

いのししの中学時代から数年、
社宅に温泉・ガスが引かれた時がありました。
炭鉱から出るお湯・ガスを利用したのです。
泥のようなお湯ですので、
風呂に入るためには何回も濾さなくてはいけないので
大変でしたが・・・・
その温泉がこれだったのですね。


秋元先生
採炭の現場のお話
貴重で、
日本では2度とできない経験のお話

ありがとうございました。
語り続けてほしいです。


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