院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「新劇場版公開を控えて」

2007年05月15日 07時05分51秒 | ノンジャンル
新世紀エヴァンゲリオンの劇場版を借りてきて観ました。

2回目。


以前から院長の頭の中で整理が出来ていなかった弐拾四話から最終話(弐拾六話)までと

劇場版(DEATH & REBIRTH シト新生 、THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に)の

関わりがはっきりしないというかイマイチぴんと来なかったのですが、

今回、完璧に理解しました。


説明したいんだけど・・・・いい?



スマナイネェ



まずテレビ版エヴァンゲリオンは壱話~弐拾六話(最終話と記載される)の

全26話で構成されます。


しかし監督には最後の弐拾伍話と弐拾六話の二話の仕上がりに満足できていなかったという

想いがずっとあり、劇場版という形で最後の二話だけを作りなおし、裏弐拾伍話、裏弐拾六話を

作り上げることにしました。

(テレビ版の弐拾伍話、弐拾六話と区別するため、25話、26話という表記になっている)


そして壱話~弐拾四話までの総集編と、25話、26話の二つを合わせ、本来のエヴァとしました。

その総集編をDEATH、新たに焼きなおした2話をREBIRTHとし、二つを合わせ

「DEATH&REBIRTH」(死と新生)と名づけ、劇場版にする予定でした。

(死と、と使徒をかけてシトと表記し言葉遊びをしています)


しかしここで大きな、そして紛らわしい問題が出てきます。

REBIRTHにあたる、裏弐拾伍話と裏弐拾六話の完成が公開に間に合わなかったのです。


しかたなく、裏弐拾伍話の途中までを公開するかたちになりました。


だから、劇場版シト新生は実は新生の部分が未完成であって、

死と新生とは呼べないものなのです。



これまで院長は「シト新生」とはどこの部分の話を指すのか?

というのがわからなかったのです。


総集編が終わり、エンドクレジット、休憩が入った後の話で、

量産型エヴァがジオフロント上空を旋回して飛んでるのをみたアスカが

「エヴァシリーズ、完成してたの・・・」と言うところまでが

シト新生という話なのかと思ってましたが、実は全然違う。

そもそも「シト新生」なんて話は無いのです。


だから「シト新生」は次の劇場版で 「25話 Air」と「26話 まごころを、君に」の二話が

出来あがって初めて完成したのです。

この二話が「REBIRTH(新生)」に当たるわけですから。


結論をいうと、テレビ版を見た人は劇場版「シト新生」を見る必要はほとんど

ありません。

シト新生に収められている、総集編でない部分は次に公開された「Air」の一部に

過ぎないので、「Air / まごころを、君に」を観れば何の問題もありません。


ただね、見る必要がほとんどないといったのは、総集編のDEATHの部分は

ほとんどが編集でテレビ版を繋ぎ合わせただけのものなんだけど、総集編でしか

描かれていない場面が少しだけあるのです。


セカンドインパクトで葛城調査隊が大爆発に巻き込まれる直前のシーンです。


第一使徒アダムを胎児の状態にまで還元することを目的としたアダム計画がセカンドインパクトの

直接の原因なわけですから、この爆発直前のシーンは結構大事なのです。


しかし、そこまで読み込むのはマニアだけなので、ほとんど必要が無いとしたのです。


まとめると「壱~弐拾四話までの総集編+25話Air、26話まごころを、君に」

が「シト新生(死と新生)」であって、エヴァンゲリオン本来の物語というわけです。

見所は24話までで完全に精神崩壊したアスカが25話Airで完全復活し、

鬼人のような戦いを見せるシーンです。

何度見ても気分が昂ぶります。


もし、エヴァを見てないのに今回の記事を全部読んだという人がいたら、

その人はよほどの院長ファンかと思われます。


スマナイネェ