清運寺だより

ようこそいらっしゃいました。甲府市にある日蓮宗寺院の住職のブログです。日々の出来事、感想、行事などをご紹介します。

坂本龍馬ゆかりの地

2008-08-06 18:00:52 | 甲府城下町

先日、甲府市の観光開発課から電話で、再来年の大河ドラマに「龍馬伝」が放映されるので、それに合わせて「甲府市観光ガイド甲府遊歩」(甲府市の観光ガイドパンフレット)に清運寺を坂本龍馬ゆかりの地として掲載させてほしいとの依頼がありました。

もちろん、承諾しました。

もっとも、以前からこの「甲府遊歩」パンフレットには太宰治ゆかりの地として、清運寺を含めたコース案内が掲載されていましたから、今度はどんなふうに紹介するのだろうと思っていました。

そして、送られてきた新しい「甲府遊歩」を見ると、今まで太宰治ゆかりの地というタイトルが”太宰治・坂本龍馬ゆかりの地”と変更され、清運寺の文字の下に括弧して(坂本龍馬のいいなずけ千葉さな子の墓)という文が付け加えられていました。

新しく坂本龍馬ゆかりの地コースが設定されたわけではなく、今まで通りの太宰治ゆかりの地コースの中に坂本龍馬ゆかりの地が含まれることになったのです。

 コースは、甲府駅北口を起点に→太宰治の妻石原家実家跡→太宰治下宿寿館跡→清運寺(千葉さな子の墓)→太宰ゆかりの銭湯喜久の湯→太宰ゆかりの豆腐屋跡→太宰治新居跡→御崎神社です。

先日も、東京から女性4人組の方が、この「甲府遊歩」(古いバージョン)を手に、駅から太宰治のコースを辿って清運寺まで歩いてやってきました。

そして、その方たちに太宰治下宿跡の寿館の場所を尋ねられました。

聞くところによると、甲府駅から地図を見ながら来たけれども、清運寺まで来る途中の太宰治の妻だった石原美智子さんの実家跡の場所もよくわからなかったそうです。

理由は簡単、その場所に何の表示もないからです。

清運寺や御崎神社、喜久の湯は現存していますし、太宰治新居跡には碑が建っているのでわかりますが、寿館跡(現在個人の住宅)にも豆腐屋跡(現在駐車場)にも何の表示もありません。

コース地図自体簡略化されたもので、しかも、、現地にはなんの目印もない状態では、散策をされる方がわからないものも無理はありません。

観光資源として活用したいのなら、もう少し考える必要がありますね。

 そういう清運寺でも、千葉さな子さんの墓への案内板などは設置していませんが。

というのも、この千葉さな子さんの墓は小田切家(自由民権運動をしていた小田切謙明氏の墓所)という個人の墓所の中にあるので、あまり観光化することはできないのです。

 おそらく寿館跡、豆腐屋跡なども個人の所有なので、なかなか案内板などを設置できないという事情があるのかも知れません。

この「甲府遊歩」は甲府駅ビル、みどりの窓口隣にある甲府市観光案内所においてあります。

興味のある方はそちらで入手してください。

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太宰治ゆかりの地ツアー

2008-06-14 21:53:19 | 甲府城下町

今日、つなぐNPO主催のまちミューツアーの方々がお見えになりました。

今回のツアーは太宰治ゆかりの地をめぐるツアーです。

甲府駅北口に集合し、太宰治の奥さんだった石原美智子さんの実家跡、太宰治が下宿していた寿館、新婚時代を過ごした新居跡、よく利用した豆腐屋、酒屋、風呂屋などをめぐり、最後は執筆のために滞在した湯村温泉の「明治旅館」までの行程だそうです。

清運寺参道に太宰治が下宿していた寿館跡があります。

そして、その参道に敷き詰められていた敷石が清運寺境内に残されています。

太宰治もここを通って石原美智子さんに会いに行っていたのでしょう。

ツアーの方々は清運寺の境内で一休みです。

その間、講師の方が、太宰治についての説明をされていました。

せっかくいらっしゃったので、千葉さな子さんのお墓もご案内しました。

皆さん、お疲れ様でした。

 

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甲府城下町散策~山田町周辺・石切り場

2008-06-11 16:30:05 | 甲府城下町

甲府城下町、旧山田町(ようだまち)現在の中央2,3丁目から、愛宕町石切り場までの散策です。

 昨日ご紹介した山梨中央銀行金融資料館となりの江戸時代豪商だった末木家の土蔵作りのお宅を拝見。

そこから、横近習大神宮へ移動。

山田町はこの大神宮(伊勢社)があるため、伊勢町と呼ばれていましたが、宝永2年(1705年)甲府藩主柳沢吉保の子、吉里の官名である伊勢守の伊勢の名を町名に付けるのは好ましくないとのことから、伊勢神宮のある山田(ようだ)町と改名されました。

その大神宮の向いには、時の鐘をならしていた歓喜院がありました。(現在は駐車場となっています)

時の鐘はその後、愛宕町に移動されました。

また、大神宮の隣には江戸豪商の大木家がありました。(現在は駐車場となっています)

山田町から境町を経て、愛宕町に移動。

三念坂上には時の鐘があったことを記す碑が置かれています。

その隣に、甲府城築城に使った石を採掘した石切り場跡があります。

築城の際に、これほど城の近くに採掘場があるのはめずらしく、保存状態もよいとのこと。

ここからは、富士もよく見え、眺めも素晴らしいところです。

しかし、以前、裁判所長の官舎として使われていたおり、国所有地となっているため、現在は許可がないと立ち入ることはできませんし、草ぼうぼうで手入れがされていないのが残念です。

今日の山日新聞によると、「甲府城愛宕町石切場跡」として甲府市の文化財に指定されたそうです。

ゆくゆくは手入れをして、一般に公開されるようになればよいのにと思います。

 

<土蔵作りの末木家>

<末木家の軒下>

<土蔵作りの二階の窓>

<特別に見せていただいた裃と刀>

<横近習大神宮>

<歓喜院跡>

<大木家跡>

<建物があったころの大木家、隣は横近習大神宮>

<大木家ゆかりの井戸―石をくりぬいて作られている>

<愛宕町山念坂上の時の鐘の碑>

<石切り場跡ー石を切りだす時につけられる矢穴もはっきり残っている>

<石を切りだした跡、矢穴のきざぎざが残っている>

甲府城下町は史跡も多く、見どころ満載です。

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甲府城下町散策~山田町周辺 山梨中央銀行金融資料館

2008-06-10 21:15:03 | 甲府城下町

歴史研究グループで甲府城下町の散策に行ってきました。

山田町(ようだまち)とは現在の甲府市中央2,3丁目付近です。

今日はその中の山梨中央銀行金融資料館をご紹介します。

ここは甲州金をはじめ、さまざまな金融コレクションを収蔵している資料館です。

貴重な資料もたくさん展示されており、かなり見ごたえのあるところです。

見学料は無料、係の方の説明を聞くこともできます。

<甲州金ー露一両金>

<甲州金ー駒一両金>

<甲州金ー糸目金>

<大判(10両)>

<一両小判>

<日本製最古のお金>

 

<世界のいろいろなお金>

 

 

<体験コーナー>

<一億円が入った重さのジュラルミンケース>

<千両入った重さの千両箱ー左右に取っ手がある>

<千両箱の中身>

<小林一三はじめとするそうそうたる面々>

<山梨中央銀行の前身、第十銀行の取締役・山梨貯蓄銀行頭取の名取忠愛>

<名取家から移築した茶室>

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